エンジニアとして長くコードを書いてきたけれど、最近思うのは「プログラムと音楽って、思っている以上に似ている」ということだ。
どちらも“コード”を書く。音のコードと、命令のコード。しかも、どちらも最初は「意図しない音」や「バグ」から始まることがある。
システム開発では、完璧な設計図を描いたつもりでも、必ず何かがうまく動かない。想定外の挙動、変なエラー、なぜか消えないデータ。
音楽を作る人たちだって、最初から理想のメロディが出てくるわけじゃない。音がぶつかり合い、リズムがずれ、時に不協和音が生まれる。
でも、その「不完全な瞬間」にこそ、創造の入口がある。
昔、開発中にひどいバグを出したことがある。テスト環境で何度も直しては崩れ、気づけば夜が明けていた。
疲れ切った頭で出力ログを眺めていると、ふと、その文字列が音楽のように見えてきた。
エラーコードがリズムを刻み、例外メッセージが歌詞のように響いてくる。
奇妙な感覚だったけれど、なぜかその瞬間、僕は「作ることの原点」を思い出した気がした。
作ることって、本来は“整えること”じゃなく、“発見すること”なんだ。
バグは、思い通りに動かない世界の叫び声だ。
そしてその叫びを聞き取ったとき、人は次の一行を書く。
音楽もきっと同じ。意図した音の外側にあるノイズが、心を揺らす瞬間がある。
プログラムで完璧な処理を書いても、心は動かない。
でも、たった一音の「外れた音」が、誰かの感情を動かすことがある。
その違いを考えるたびに、僕はコードの意味を問い直す。
効率を上げるために書くのか、それとも世界を少しだけ動かすために書くのか。
ピアプロに投稿されている曲を聴いていると、ときどきそんな問いが蘇る。
デジタルの中で生まれた音が、こんなにも人の心を揺らすのかと。
そして思う。結局のところ、テクノロジーとアートの境界なんて、僕らが勝手に引いた線にすぎないのではないか。
音もコードも、最初はただの信号だ。そこに人間が“意味”を吹き込むから、世界が少しだけ温かくなる。
そう考えると、バグも悪くない。
それは、システムが人間に語りかけてくる瞬間でもある。
「お前が思っているより、この世界は複雑なんだよ」と教えてくれる存在。
ミスを恐れず、音を間違えてもいい。むしろそこからしか、本当の創作は始まらないのかもしれない。
今日も僕は、ディスプレイの前でコードを書いている。
そして時々、ヘッドホンをつけて音楽を聴く。
その繰り返しの中で、いつも心のどこかで思う。
この一行のコードも、この一音のメロディも、きっと同じ場所につながっている。
それは、「人間が世界を理解しようとする行為」だ。
だから僕は、今日も少しバグのある世界を愛している。
【本田教之】音楽とプログラム、どっちも「バグ」から始まる話
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