窓一枚隔てて、僕の世界はここで終わる。
六畳ほどの空間が、僕の世界。
毎日届けてくれるお母さんの料理が、僕の外界との接点だ。
……このままじゃいけないことは分かったいる。
でも、外が怖い。
その恐怖は、得体の知れないモノで出来ていて、僕はその恐怖に打ち勝てないでいた。
僕は窓から離れて、パソコンに座る。
ネットを開き、思いついた言葉を検索する。ニュースを調べて、考える。
僕のすることはこれだけ。外界の情報は常に調べていた。
ネトゲなんかしない。そんなことをしたら、お母さんに捨てられてしまう。
だから僕はこうして、いつ捨てられてもいいように、外界の情報を学んでいた。
一通り調べたら、僕はピアプロを開く。
ここが僕の唯一の癒し。
これがなかったら僕はもう、この世にいないかもしれない。じょ、冗談だけど。
「いいな……」
さまざまなミクちゃんが、僕を出迎えてくれた。
そして、パソコンの横にいるミクちゃんのフィギュアそっと見る。
どうにかお母さんに頼み込んで買ってもらった、部屋で唯一のフィギュア。
左手を伸ばしたそのフィギュアに、そっと触る。
手と手を合わせてみた。
「ミクちゃん」
ミクちゃんと手を合わせながら、僕はこれからのことを考える。
窓一枚隔てた外界は、お天道様に照らされた世界であっても、僕は地獄にしか見えなかった。
でも、外に出られれば僕の評価は変わる。
外にさえ、出られれば!
「ミクちゃん、僕はどうしたら……」
つい指に力がこもってしまう。
「あっ」
気づいたときにはすでに遅かった。
フィギュアが後ろに滑っていき……
そのまま机から落ちた。
「あっあっあっあ」
そこには、無残にも折れたミクちゃんの腕があった。
「ああああああああ、げほおええ」
普段声を出していないから、むせ返る。
僕はあわててミクちゃんを机に戻した。
机には、一つだったミクちゃんが、本体と腕に分かれていた。
「ミクちゃん! ミクちゃんごめん! 許して! 許して!」
接着剤! 接着剤!
僕はあわてて部屋をひっくり返して探すが、見つからない。
外に! 行かなければ!
僕はあわてて、部屋のドアに手をかけて、身体が硬直した。
すぐさま、布団に避難する。
「こわい、こわいよ……ミクちゃん! ミクちゃん!」
布団にくるまって、ベッドで丸くなる。
僕は溢れる涙と嗚咽を必死に抑える。
「…………」
「マスター! マスター?」
これは、ミクちゃんの声?
僕は顔を上げると、そこにはミクちゃんが折れた腕を片手で持ちながら立っていた。
「ミクちゃん! ごめん! ごめん!」
申し訳ない気持ちで、必死に謝った。
「マスター。大丈夫ですよ」
ミクちゃんに頭を撫でられて、ハッとした。
これは夢?
「そうですよマスター。これは夢です」
ミクちゃんはにっこりと笑った。
「どうして?!」
「夢だからです。マスター」
そう言って、ミクちゃんは僕から一歩離れた。
「マスター、お願いがあります。腕を直して欲しい」
ごめん……。
「責めてないよ。マスターなら直せるから、頼んでいるの」
そういって、どこか遠い目をして横へむく。
コンビニの、接着剤。
でも、僕は怖くて怖くて……。
「マスター、私たちを忘れちゃ困るよ」
カイトさん?
「あら、私も忘れないでね」
メイコさん!?
「しっかりしなさい」
ルカさん!?
「兄ちゃんなら出来るよ!」
レンくん!?
「マスター、がんばれ~」
リンちゃんまで!?
「マスターなら、腕を直せます」
「うちの妹を頼むよ」
僕はカイトさんから伸ばされた手を取って――
布団から起き上がった。
机の上の怪我をしたミクちゃんを見つめる。
心のなかで力がふつふつとわきあがった。
僕は意を決して、部屋の扉に手をかける。
すくみ上がる足を抑え、深呼吸。
すると、僕の現実の手の上に、夢で見たカイトさんの手の感触を覚えて、その勢いのまま扉を開けた。
扉を開けられた!
カイトさん!
僕はすぐに机を引っ掻き回してお金と鍵を取り出して、階段を駆け下りる。
家には誰もいない。
お母さんが帰ってくるまでには時間がない。
僕はすぐさま第二の扉に手をかけた。
もちろん、玄関の扉だ。
この扉の先に、僕があこがれたお天道様の世界が広がっている。
コレを捻れば、扉はすぐに開く。
それなのに僕は、身体が固まって行くのを感じた。
怖い。つらいよ。
「ほら、こうやって」
メイコさんの声が頭に響いた。
僕の手に、女性の手がそっと添えられる。
僕はそれに勇気を感じて、玄関を開けた。
玄関の開けた先には、暖かい光に包まれた世界が待っていた。
僕は鍵を閉めて、コンビニを目指す。
家を出ると、人がまばらにいる道が続いている。
この先に、コンビニがある。
――ワンワン!
この犬の声は、あいつだ!
僕を異様に嫌っているあの犬だ!
僕はすぐに背中を外壁にくっつけて、様子を伺ってみた。
見てる! 見てるよこっちを!
回り道……は無理だ。ただでさえ外出るのが怖いのに、さらに未知の道へ行くのは怖すぎる。
――ゴクリ
唾を飲み込み、僕は硬直した。
動けない。
動いたら、吼えられる!
「あう!」
無意識に右手の爪を噛んでいた。
左手の振るえが止まらない!
「犬なんて、ラリアットしちゃえばいいのよ」
ルカさん?
ルカさんの声が聞こえて、僕の左手に柔らかな女性の手の感触が伝わる。
そのまま僕の左手や腕が動いて、外壁から僕を引き剥がし、ラリアットの態勢になった。
「負けない」
僕は意を決して、犬の前に出る。
「ワン……わう?」
犬の困惑した声が聞こえてきた。
僕はそれを無視して、道を突き進む。
いくつかの住宅のブロックを越えると、途中に公園があった。
その公園にはおばさんたちがたむろしていた。
あれは……近所のおばさん……。
もし見つかったら、お母さんが……。
後ろ歩きで逃げようとしたところで、
「兄ちゃん、俺たちがいるぜ」
トンッと背中が叩かれる感触。
レンくんだ!
そうだ、このままじゃ引けない。
みんながいる! みんながいる!
僕は両手を拳にして、戦闘態勢を保ちながら突き進んだ。
おばさんたちは僕を一瞬見たあと、すぐに興味をなくしたように、井戸端会議を再開する。
いいぞいいぞ! 出来る出来る!
僕は公園を離れてそのままの勢いでコンビニに行こうとしたところで、急ブレーキ。
目の前には、歩道の近くで三人、不良がたむろをしていた。
顔から血の気が引いて行くのを感じた。
「マスター、どうどうと歩いてみて!」
リンちゃんの手に左手が引っ張られていく。
僕は何食わぬ顔をしながら、彼ら不良たちの目の前を通り過ぎた。
何にもなかった。杞憂だった。
でも、ようやくたどり着いたコンビニで、僕は立ち尽くしていた。
時刻は昼ごろ。だから、お客さんたちがいっぱい。
どうしよう。
みんな、助けて!
返事がない。
あれほどみんなが一緒にいた感覚が、急になくなってしまった。
僕はそれに気がついて、目の前が真っ暗になったのを感じた。
「あ、あ、あ、あ」
声がかすれて行く。
僕は小走りでコンビニの敷地の隅に行って、身体を丸める。
みんな! みんな!
カイトさん! メイコさん! ルカさん! レンくん! リンちゃん!
……ミクちゃん!
僕は必死に頭を抱え込む。
外界から身と心を守るために。
返事はない。ただの妄想だったようだ。
「うう、うう、うう」
あとちょっとなのに。
フィギュアのミクちゃんの折れた腕を思い出す。
そのミクちゃんは苦痛に歪んだ顔をしていて……。
今まで聞いたボカロ曲が走馬灯のようにバラバラに浮かび上がったときに、
僕はいつしかの記憶を思い出していた。
それは、初音ミクの体験版をいじった記憶だった。
歌詞もメロディーも思い浮かばなかったが、さまざまなミクちゃんの声を聞けたのは楽しかった。
その記憶が、走馬灯のようなボカロ曲と組み合わさって行く。
これだ!
僕は有名曲を猿真似した稚拙な曲に、さまざまなふるいたたせる言葉をつなぎ合わせて、一つの歌を作り上げる。
それを僕は、強引に頭の中に流し込んだ。
力がみなぎっていく。
僕は顔を上げて、コンビニの人の流れに目を向ける。
「よし、いくぞ」
僕は立ち上がって、その人ごみに身体をつっこませた。
「あの、これ、ください」
それから接着剤を買えた。
すぐさま僕はコンビニを飛び出して、帰り道をダッシュする。
引きこもりの身にはつらいが、ミクちゃんのためなら我慢できる気がした。
「ただいま」
返事がないことを確認して、そのまま部屋へ駆け上る。
部屋のドアを開けて、
「ただいま、ミクちゃん、すぐ直すよ!」
僕はすぐさま接着剤でミクちゃんの身体をつなぎ合わせた。
固まるまで数分。
そして、
「やった直った! ミクちゃん! ミクちゃんごめん!」
目の前には、すこしボロボロだけど、五体満足なミクちゃんがいた。
嬉しくて、嬉しくて、自然と目から涙が溢れて行く。
「う……」
しかし、身体には無理な運動のガタがすでに来ていたようで。
僕はそのままふらふらとベッドに倒れこんで、
意識が遠くなるように感じた。
「マスター! マスター?」
頭を撫でられている気がする。
てか、この声はミクちゃん?
僕は起き上がると、そこには、
ミクちゃん、カイトさん、メイコさん、ルカさん、レンくん、リンちゃんがいた。
ここは夢か。
「マスター、ありがとう。おかげでわたし、マイクを持てるよ!」
ミクちゃんは嬉しそうに、くるくると回る。
それをニコニコしながら見る五人。
「ほら、出来るじゃないか」
「あたしの見込んだ通りね」
「ラリアットのおかげよ」
「兄ちゃん、かっこいいぜ」
「マスター、ありがとう」
「イエイ!」
ミクちゃんが最後にピース。
「ミクちゃん、僕、外に出られたよ」
「わたしたちは、どんな形でも、一緒にいるからね」
「うん」
歌に形はないけれど、僕の心には居場所があった。
六人は互いに顔を見て、手を重ねて行く。
一番上には、ミクちゃんの手が有って、
「さあ、マスター、手を重ねて」
僕はうなずき、それに手を重ねる。
そこに、透き通った女性の手が重なる。
「マスター、分かるよね?」
「え?」
ミクちゃんはこの手を知っている!?
「あっ」
「エイエイオー!」
ミクちゃんの掛け声に、他の五人の掛け声も加わって……
僕は跳ね起きた。
僕の身体にはいつの間にか布団が掛けられていて……。
ミクちゃんの言った言葉が心の底から分かった。
だから僕はすぐさま、部屋の扉の前に行き、
大きく息を吸い込んで、
部屋の扉を開けて、
「お母さん!」
と叫んだ! いつもとはちょっと一味違う、元気な声で。
END
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