今は昼下がり。
晴れた空の下、神社でのんびりとその巫女は客が訪れるのを待っている。
昼の巫女の仕事は主に接客であるからだ。
神が強く信仰されるこの島で、紙を祀っている神社には毎日たくさんの参拝者が訪れる。
大きな神社であれば、時には天皇が参拝に来ることもある。
そのため、掃除から始まり、宝物殿等を開き終えた巫女たちは午前中から午後まで接客に追われる。
しかし、その巫女は客が訪れるのを待っている。
もう宝物殿を開き終えてからずっとその状態。
もともとその神社はあまり大きくなく、山の上にあって都からは遠いため、客はあまり多くない。
そして、この戦乱の世の中、民が神社に来る余裕などない。
飢饉や災害は頻繁に発生し、村は荒れ果て、山賊は荒らしまわり、他国との戦は絶えない。
民は明日食べるものも危うく、いつ山賊に襲われないとも限らない状態で、神社にするお供え物などありはしない。
ましてや山を登ってまで小さな神社に行くなど論外である。
天皇も行くとすれば都にある大きな神社。
このような小さな神社にはやっては来ない。
なので、実際はその巫女はのんびりとしていると言ったほうが正しいのかもしれない。
退屈そうにはしていない。
それはこの状況に慣れたからだ。
他の巫女も客を待っている。
皆、この神社に登ってくるための階段を見つめている。
だが、その巫女の見つめる先は、はるか遠く。視線は宙をかく。
この島には他の大陸にあるような魔法というものが存在しない。
その代わりにあるのが陰陽術である。
魔法には系統ごとに
範囲攻撃型の炎魔法
単体攻撃型の雷魔法
魔法防御型の水魔法
物理防御型の地魔法
攻撃補助型の氷魔法
行動補助型の風魔法
輸送型の空間魔法
特殊型の音魔法
万能防御型の光魔法
万能攻撃型の闇魔法
に分けられる。
だが陰陽術はその一種類だけ。
属性は光と闇であり、光魔法と闇魔法の両方の能力を合わせ持つ。
魔法において、多系統の魔法を覚えることは非常に難しく、特に闇魔法と光魔法は他の魔法と両立することが難しく、闇魔法と光魔法の両立は不可能である。
だが陰陽術では闇属性の術は陰と言い、光属性の術を陽と呼び、その両立を可能としている。
その代り、陰陽術は自然の力を借りなければ発動できない。
陽のある回復術では太陽がなければならなく、陰のある攻撃術では夜でなお且つ月がなければならない。
つまり、このように陰陽術は自然条件に拘束されるのだ。
それがこの島では代々昔から存在し、病人を治すときや妖怪を退治するときなどに使われている。
それらを使える者のほとんどは神社に勤めている巫女や神職である。
仕事が終わり、夕食後、彼らは陰陽術の練習や学業を始める。
陰陽術でも魔法と同じように、同じ系統でも練習する術は人によって変わる。
治癒術を集中的に練習するものもいれば、攻撃術を集中的に練習するものもいて、また、全般を浅く広く練習する者もいる。
そしてその巫女はその神社で一番陰陽術がうまい。
名を神門光生(かみかなひこい)。
彼女は主に治癒や視界妨害など補助的術全般を得意としているが、攻撃術も使え、またそれらの術はほぼすべて、 浅くではなく、ある程度深くまで覚えている万能型である。
そして、彼女は容姿淡麗、性格真面目、学業優秀。
いわば、才色兼備、美を兼ね備えた優等生である。
その巫女の見つめる先ははるか遠く。
待っているのは客であって、客でない、とある一人の人物だけ。
今は昼下がり。
晴れた空の下、神社でのんびりと光生は客が訪れるのを待っている。
昼の巫女の仕事は主に接客であるからだ。
しかし、真に心から待っているのは一般のお客ではない。
一般の参拝者はこのご時世にはほとんど来ることがないということもあるが、参拝者への接待はただの巫女としての仕事である。
光生が真に待っているのは、一人の男。
(いえ、あの方は…………)
そう思い、光生はまた遠くを見つめて考え込む。
(あの方に漂っている雰囲気は一般の方とは違うもの。戦いの強い方のオーラのよ
うなものも漂っているのですが、それよりも…………)
何か違いを感じるが、それが何に近いのか、肝心のものがなかなか分からない。
光生はその男との出会いを思い出す。
初めて会ったのはある日の夜。
もう皆が練習を終え、光生が床に入ろうとしていたときだった。
突如、外から大きな声が聞こえた。
「よ、妖怪だ!」
たじろいでいるその声に光生は急いで起き上がり、外に飛び出した。
そこにいたのは数多の妖怪。
神社は妖怪退治も行っているので、妖怪から恨みを買われ、反対に神社が襲われるのはしばしばあることだ。
そのため、もちろん神社も結界を張るなどしてそれ相応に対処している。
結界は入った妖怪の力を下げる効果がある。
なので、基本的に神社で戦えば妖怪に負けることはない。
もちろん、皆もそれを知っている。皆、落ち着いて対処をした。
もちろん、光生も。
前から妖怪が光生に向かって走ってくる。
光生は手を空に向かって突き上げ、唱える。
「没有月的天空(つきなきそらよ)、掩蓋的雲(おおいかくすくもよ)、変成箭的雨(やのあめにかわりて)、射穿敵人(てきをいぬけ)、黒暗矢雨(やみやざめ)!」
すると、空から向かってきていた妖怪たちに黒い矢の雨が降り注いだ。
向かってきていた妖怪はすべて地に崩れ、もう二度と動かなかった。
それから戦いがしばらく続いた。
数多いた妖怪は多数やられ、相当数を減らした。
だが、それ以上に神社側は被害を出していた。
もう戦える者はあと数名。
数的にも相当不利であった。
光生はまだ傷を負っていなかったが、妖怪たちの奥から現れた親玉と対峙していた。
(烏天狗!?)
剣術に長け、妖怪の中でも実力的に上位に立ち、大半が親玉か幹部の役職を当てられる一族、烏天狗。
(とても素早いはず……なら)
冷や汗を流しながらも、光生は考えを巡らせる。
(なら、弾速の早い術を使えばいい。あの術なら烏天狗にもよけられないはず)
光生は唱える。
「掩蓋月的雲(つきをおおいかくすくもよ)、散開了(はれて)、引導月光(つきのひかりをみちびけ)、月光(げっこう)!」
術を唱えた瞬間、雲が分かれ、月が姿を現した。
(私の今の力で月を出せる時間は5分……その間に)
休む間もなく、光生はもう一つ呪文を唱える。
「没有太陽的天空(たいようなきそらよ)、黒夜(くらきよるよ)、照射地的月(ちをてらすつきよ)、変成一杆長槍(いっぽんのやりとなりて)、貫穿敵人(てきをつらぬけ)、月光槍(げっこうそう)!」
唱え終わると、光生の前に身丈ほどの光の槍が発生した。
直後。
槍は目にも止まらぬ速さで烏天狗に向かって飛んで行った。
カーン!
確かに烏天狗はその槍をよけることができなかった。
「え…………」
しかし、その光景に光生は驚きを隠せない。
光の槍は烏天狗の剣で難なく止められた。
「この程度か。ふん」
そう言うと、烏天狗は翼をバッと開いた。
それを見て、光生は急いで術を唱えるために手を上げた。
「た……」
だが、光生が一文字目を読み終わるころにはもうすでに烏天狗は目の前まで迫っていた。
剣をすれすれで避けるが、直後の蹴りをもろにくらい、光生は吹っ飛び、3メートル先に落ちる。
「かはっ!」
地に倒れ、痛みで息もできない。
そこにつかつかと歩いてくる烏天狗。
烏天狗が目の前まで来て、剣を高々と振り上げる。
(私、もう……だめ……)
光生は死を覚悟した。
「お前には大分仲間を殺られた。死んでもらおう」
光生はギュッと目をつぶった。
だが。
1秒、2秒、3秒…………5秒経っても何も起こらない。
そっと恐る恐る光生は目を開ける。
見ると、妖怪が、烏天狗も他の妖怪も皆、ある一点を向いていた。
光生がその視線の先をたどると、そこには、その男がいた。
銀の鎧に身を包み、青いマントをまとい、ワニの上に立っている騎士。その騎士のオーラにあの烏天狗すら冷や汗を流している。
「お前が我ら妖怪を消そうとしているのか」
烏天狗の発した意味深げな言葉を、だが、光生は理解できない。
「違う」
騎士の物静かな返事に烏天狗はまた問う。
「ならば、神が我らを消そうとしているのか」
「違う」
「ならば、誰だ! 誰が我らを消そうとしている!」
声を荒立たせて問う烏天狗に騎士はやはり物静かに答える。
「この島の神とは違う神がお前たちを消そうとしている。世界征服を目論む神が」
「世界征服を目論む……神……」
烏天狗は先ほどとは違う冷や汗を流す。
騎士は続ける。
「人は狙われることはない。人を信仰させるのが神のたくらみだ。そして、その目論みの邪魔となるのが、他の大陸の、他の島の神や魔族や妖怪だ」
「この島にもその魔の手が迫っているのか」
「それもかなりだ。今はこの島の神と争っている場合ではない。すぐに神社と手を結ぶことを勧める」
騎士の意見に、だが、烏天狗は頷かない。
「言いたいことは分かる。だが、我らは長年、神社と、神と対立してきた。早々に手を結ぶなどということはできない」
そう否定した烏天狗だが、
「だが、もしお前が言ったことが確かなら対立すべきではないのは確かだろう。我らは手を引く」
と続けた。
そして、烏天狗率いる妖怪の一団は神社を引き上げていった。
痛みを堪えながら光生は立ち上がろうとする。
すると、
「無理をするな」
という声が聞こえた。
見ると、目の前にはその騎士。もうワニはいなく、地面に立って手を差し伸べていた。
「助けて、いた、だき、ありが、とう、ございま、す」
騎士の手をつかみ、痛みに耐えながら、とぎれとぎれで答える光生。
「無事で何よりだ。それでは」
光生が立ち上がり、大怪我がないことを確認すると、騎士は一言言って別れを告げ、立ち去った。
それから二週間。
怪我人は多数出たものの、幸いにも死者はいなかった。
(あの方は……)
光生はあの騎士を思い浮かべる。
最後まで戦っていた数名も光生が敵の親玉と思われる烏天狗と対峙したところまでしか見ていない。それからは他の妖怪と闘っていたため、その騎士を見たのは光生だけだった。
そのため、皆は光生が烏天狗を追い払ったと思っている。
(でも、実際はあの騎士が追い払ってくれた。烏天狗たち妖怪を……)
そこまで考え、光生はあの騎士のオーラが何なのかを理解した。
(そう、どちらかと言えば妖に近いもの)
彼を見た者は他にいない。
誰も彼が妖怪を追い払ったという真実を知らない。
だが、光生もなぜか真実を話そうとはしなかった。
(世界征服を目論む神……)
光生は騎士の言葉を思い出す。
その騎士の言葉に光生は恐怖や不安を感じ、神社を心配している。
そして、そのことを他人に心配してほしくないのだ。
(これは私だけで……でも、それだけ?)
だが、真実を離さないのにはほかに大きな理由が一つ。
光生の胸にはある大きな感情が渦巻いていた。それが何の感情か光生には分からない。
だが、なぜかその感情が、光生が皆に真実を言うのを止めていた。
なぜかあの夜の事件があってから、光生の頭にはいつもあの騎士の顔が浮かんでいた。
別に笑っているわけでも怒っているわけでも、また悲しんでいるわけでもない普通の真顔。
何も訴えることがないはずの真顔。
だが、それがなぜか脳裏に浮かんで離れない。
それがあの感情に結びついていた。
光生はまた騎士のことを思い出す。
一週間ほど前。
その騎士は事件以来初めて神社にやってきた。
いや、神社にというよりも、光生の元に、と言ったほうが正しいだろう。
光生が神社のはずれの井戸で水を汲んでいると、ガサッと茂みに大きな音がした。
茂みに向かい、身構えた光生は、その騎士が出てきたのを見て驚いた。
「もうあの凶暴そうな生き物には乗っていないのですね?」
「凶暴そうな生き物? ワニのことか。今日はな」
返事をすると騎士は要件を話した。
ただ
「都にはもう神はいない」
とだけ。
「待ってください!」
そのまま立ち去ろうとする騎士を光生が止める。
立ち止まり、振りむく騎士に光生は続ける。
「どうして私にだけ言うのですか。皆に言ったほうがいいと思います」
「他の者が、神社がどうなろうと知らない」
「ならば、どうして私に」
「お前は……いや、何でもない」
何かを隠すようにその騎士は話を止めた。
光生は騎士が何かを隠していることに気付いたが、何を隠しているのか分からない。
また立ち去ろうとする騎士に光生は一言。
「な、名前を教えてください」
「サレオスだ。お前は?」
「え?」
突然質問され、光生は戸惑う。
「あ、わ、私は光生です。神門光生です」
「光生か」
「は、はい」
サレオスの独り言のような一言に光生は返事する。
「いい名前だ」
「え……?」
サレオスの一言になぜか光生は恥ずかしいような気持ちになる。
自分でも顔が赤く、熱くなっていくのが分かった。
「それでは」
「ま……」
サレオスは光生に別れを告げると、光生が止める間もなく、神社から、光生の目の前から消えた。
それから、光生の胸に渦巻く感情はいっそう強くなった。たった五分にもならない会話で。
(会いたい。サレオスさんに会いたい…………でも……会ってどうするの? 私なんで会いたいの?)
光生は切ないような感情に浸る。
そして、思いをはせる。
(真実を、サレオスさんの言っていたことを、皆に言わないと…………でも、言いたくない。なんで? 解らない。この気持ちは……自分の中に渦巻くこの感情は…………何?)
自分の中の未知の感情に光生は戸惑う。
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