月明かりが湖面に細長い光の道を描いている。揺れるその道を見つめながら、リサは一人で立っていた。その風景を、古いスウェーデンの言葉で「モーンガータ」と呼ぶことを、彼から教えてもらったのはもう何年も前のことだ。その言葉を耳にした瞬間、心に深く刻まれた感覚は、今でも消えない。

彼、カナトと初めて会ったのは、湖畔の近くにある小さな美術館だった。リサがその日偶然足を運んだ展示は、「宇宙と感覚」をテーマにしたもので、照明を最小限に抑えた薄暗い部屋に、ガラスで作られた水晶玉のような彗星の彫刻が浮かび上がっていた。

その彫刻をじっと見つめていたリサの隣に、カナトがそっと立った。彼は、不思議な色をまとったその彗星を指差しながら言った。

「これ、食べかけの水晶玉みたいだと思わない?」

リサは驚いて彼を見た。食べかけ、という発想があまりにユニークだったからだ。だが、次の瞬間、彼のその視点が妙にしっくりきて、思わず笑ってしまった。それが二人の始まりだった。

カナトと一緒にいると、世界が少し違って見えた。彗星の彫刻に「食べかけ」という名前をつけたり、湖面に映る光の道に宇宙の入口を見たり、ありふれたものに彼は必ずユニークな意味を与えた。リサは彼と名前をつけたそのすべてを覚えていた。まるで二人だけの秘密の辞書を作っているようだった。

「名前をつけるって、未来を変える行為なんだよ。」
彼はよくそう言っていた。

その言葉を信じていたリサは、彼との未来が永遠に続くものだと疑わなかった。けれど、それはある日突然、砕け散った。

あの夜も湖のほとりで二人は話していた。月が静かに湖面を照らし、光の道が伸びていた。その道を指差しながらカナトは言った。

「モーンガータ。月の道だよ。でも、本当は触れられない幻なんだ。」

彼の言葉は妙に重く、何かを隠しているように感じた。リサがその真意を尋ねる前に、彼は唐突に「さよなら」と言った。そして、それ以上の説明もなく、彼は去っていった。

彼が残したのは、一冊のノートと、湖の近くで拾ったというビー玉だけだった。

それから何年も、リサはその夜のことを考え続けた。彼がなぜ突然去ったのか、その理由を彼女は知ることができなかった。ノートには、彼が一人で見つけた風景や、名もない感情を羅列したような言葉が書かれていた。そのどれもが断片的で、彼の真意を伝えているようで伝えていない。

「僕を一人にさせるのは何故なの?」
ノートの最後のページにそう書かれていた。

リサは答えを探そうとしたが、その問いはあまりに曖昧で、何度読んでも彼の心には届かない気がした。許された灯火が涙を運んでくる――そんな彼の言葉だけが耳に残る。

月夜の湖畔に立つたび、リサは思う。自分は取り残されたのだ、と。けれど、彼が何かを残してくれたこともまた事実だった。彼が最後に見た「モーンガータ」の先に、何があるのか。それを知るために、リサは再びこの場所に戻ってきた。

その夜、湖畔でリサはもう一度彼が残したビー玉を取り出した。それはどこにでもあるような透明なガラス玉だったが、月明かりに照らされると、中に無数の星が閉じ込められているように見えた。

「もう一度君と見たい。」
リサはつぶやいた。あの食べかけの水晶玉――いや、彼が見ていた未来を。

ビー玉を胸に抱きながら、リサは湖に浮かぶモーンガータの先をじっと見つめた。彼が去った理由も、彼が言葉にできなかった何かも、すべて理解することはできないかもしれない。それでも、彼が教えてくれたように、未来に名前をつけていこう。そう決意しながら、リサは湖畔を離れた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

モーンガーターの記憶

閲覧数:93

投稿日:2024/12/13 08:04:38

文字数:1,510文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました