小鳥たちの合唱が聞こえる。
「んぁ……?」
心地よいまどろみに浸っていた僕は、自分の間抜けな声によって意識を取り戻した。頬に当たる硬い木の感触。起き抜けの目を刺す強い日差し。瞼を持ち上げれば、机の上に乱雑に置かれた五線譜が目に入る。無意味に動かした指にぶつかったペンが、ころころと転がって床に落ちた。
どうやら、作曲の途中で寝てしまったらしい。変な体勢で寝たおかげで張ってしまった首筋を揉みながら、僕は机から頬を離し、背凭れに体重を預けた。
どこまで書いたっけ?
机上に散らばった五線譜に目を落とす。真ん前にある紙に書かれた終止線を見つけて、僕はようやく思い出した。
そうだった。夜更かしして一曲仕上げたんだっけ。
しょぼしょぼの目を擦り、僕は出来上がったばかりの曲を掻き集める。とんとんと端を揃えて並べ替え、机の引き出しから取り出したクリップで紙束を留めた。
質素極まりない壁掛け時計を確認すると、朝をとっくに通り越して昼に近い時間だ。思い出したように腹が鳴る。曲も出来たことだし、僕は外出することに決めた。
伸びをして立ち上がり、半開きのカーテンを開いて窓を押し開けると、ヴァイオリンの音色が聞こえてきた。見れば、向かいのアパートの窓からシックな色合いの音符がぷかぷかと流れ出てきていた。人の頭ほどもあるそれは、風に乗るシャボン玉のように広がって散っていく。
顔を下に向ければ、ストリートミュージシャンがギターを掻きならし、カラフルでポップな色つきキャンディみたいな音符を垂れ流して歌っていた。
「やってるなぁ」
僕は気分良く呟いた。
ここは音楽のメッカ。ポリヴォラ。音楽がカタチになる街だ。
今日もこの街は音に満ち満ちている。
顔を洗い、服を着替え、水を一杯飲んで、出来上がったばかりの曲と財布を肩掛けバッグに突っ込んで。僕は住み慣れたアパートを後にした。
玄関から一歩外に出れば人の行き交うストリート。人通りに混じって僕は歩き出す。
空きっ腹をさすりつつ、人の流れに合わせて植木の並ぶ歩道を歩いていくと、僕の視界にホットドック屋のフードワゴンが見えた。ラジオからは店主の趣味なのか、落ち着いたクラシックが流れてくる。機械的なグレーの音符は、やっぱりちょっと味気ない。録音した音楽より、生演奏のほうが何倍も味わい深いのだ。
とまあ、それはさておきだ。丁度いいな。腹ごしらえをしていこう。
「おじさん、ホットドッグひとつ」
「毎度!」
景気のいい声を出すおじさんからホットドッグを受け取り、歩きながら頬張る。そうして行く内に目当ての通りに差し掛かったので、あっという間に腹に収めたホットドックの包み紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に入れ、角を折れて目的地を目指した。
街の中心地、ボランダストリート。
だだっ広い道の両脇にはレンガ造りの建物が立ち並び、楽器屋、楽譜屋、ライブスタジオ、劇場、喫茶店エトセトラエトセトラがずらりと軒を連ねる。
いたるところで路上ライブが催され、わいわいがやがやと活気に溢れていた。情熱的な赤色、透き通るようなクリアブルー、高貴さを感じさせる紫紺、陽気さを弾けさせるレモンイエロー、様々な音楽記号がそこかしこに飛び交って、さながらお祭りのようだ。
今でこそ見慣れた光景だが、名の知れた作曲家になることを夢見てこの街を訪れた当時は、現実離れした風景に心奪われたものだった。
それから一年と九ヶ月。未だ持ってヒット曲の一つも飛ばせない身ではあるけれど……。鞄の中に収められた曲は二週間かけて書き上げたもので、それなりに自信がある。今日はこれを楽譜屋に売りに行くところなのだった。
楽譜屋は楽譜を買い取り店先に並べ、アーティストは気に入った楽譜を演奏権ごと買って演奏する。有名アーティストの目に留まれば、一気に名を広めることも夢じゃないのだ。事実、そうやって全国に名を知られた作曲家は少なくない。
そういう意味では、ここポリヴォラはロマンに溢れた街と言えるだろう。
目新しいグループやソロ歌手の路上ライブを通り過ぎざまに見物した僕は、ストリートに何軒かある楽譜屋のうちの一軒へ足を向けた。
所狭しと楽譜が並べられた店内を一直線に横切り、カウンターへ。
「おう、カイトか。久しぶりだな」
顔馴染みの店長が挨拶してくる。この店は無名のアマチュアからプロまで、幅広く楽譜を扱ってくれる店だった。
「久しぶり。早速だけど、一曲仕上げてきたんだ」
鞄から出来立てほやほやの新曲を取り出して店長に手渡す。
「どれどれ」
店長は渡された楽譜をぱらぱらとめくった。本当に読んでいるのかと疑わしくなるくらいのスピードだ。それから一度紙束を整え、今度はじっくりと読み始めた。
「どうかな?」
僕の声に期待が混じるのも仕方ない。あれこれと試行錯誤して仕上げた力作なのだ。
「3500……いや、4000だな」
真剣な表情で楽譜を精査した店主が言う。僕は耳を疑った。
「ちょっと待ってくれよ。いくらなんでもそれはないだろう?」
せめて一万はいくと思っていたのに、半分以下だって? 冗談じゃない。
「4000だ。それ以上は出せん」
食ってかかる僕に頑として言い放つ店主。
俺の鑑定に文句があるってのか、小僧、あぁん? そんな啖呵が聞こえてきそうな迫力に、僕はぐっと言葉に詰まる。しかし、このまま付け値で買われるのは我慢ならなかった。
「……分かったよ。他を当たる」
ふてくされたように言って、僕は分からず屋の店主に背を向けた。
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