11.自殺は偶然か
水戸街道と言問通りの五差路の交差点の交番前で南條は立ち止まり、黒い携帯電話を取り出した。交番にいる若い巡査が顔見知りらしく無言で軽く会釈した。南條は安物の腕時計を見た。
「そこのおまわり、机にしがみついているだろう。昇任試験の準備をしてる。いまの警察は試験ばっかだ。試験に合格しない限り、昇任できない。一般企業のように年功序列で昇進していかないんだ。逆に、年功がなくっても、試験に合格しさえすれば、どんどん昇任する。現場でろくに働きもせず、ペーパーテストの点数のいい奴が、警部になり警視になってゆく。ノンキャリの出世の道が開けたことはいいことだが交通違反の反則切符も切れねえような奴が警視様でそっくりかえっている。外勤は試験準備ができないから不利だ。その不利を補おうとすれば警察活動がおろそかになる。現場の理解も浅くなる。最近の警察の問題はそんなところにある」
と南條は交番の机に座り資料を読みふけっている巡査を一瞥した。
「自宅にいるとは思うが突然訪ねてもあれだから電話を入れる」
と傍らに佇む土岐と亜衣子に断った。携帯で登録番号を呼び出した。耳に当ててから数秒で出た。南條は当たり障りのない挨拶をして、
「申し訳ありませんがお嬢さんのご位牌を拝ませてもらえますか」
といい終えて携帯電話を切った。南條は言問橋西詰の交差点を右に折れ言問通りを浅草方面に歩き始めた。後ろから土岐が声を掛けた。
「僕も一緒に行っていいんですか?不祝儀袋を持っていませんが」
「好きにしていいよ」
と言われて亜衣子が一歩前に出た。土岐も従う。三人は馬道通りを越えてひさご通りの向かいの千束通りを右折し二本目の小さな路地を更に右折した。南條が立ち止まったのは角から五軒目の仕舞屋風の木造二階建ての家だった。入口に、
〈水野〉
という手書きの木の表札が釘で打ちつけてあった。南條は格子の引戸を開けて声を掛けた。
「こんばんは。南條です」
暫く間があって、女性の抑揚のない落ち着いた声が聞こえてきた。その声を追いかけるように中年の痩せ細った女が照明のない暗い玄関に亡霊のように登場した。
「おあがり下さい」
と洗い髪の女は立ったまま南條を招じ入れた。南條は、
「友を連れてきました。よろしいですか?」
と儀礼的に言う。女は路地に佇んでいた土岐と亜衣子に屈託なく声を掛けた。三人とも三和土にあがり靴を脱ぐと玄関右奥の8畳の客間に通された。床の間の右手に小さな仏壇があり、香でいぶされた位牌の間にそれらしい少女のセーラー服写真があった。仏壇の奥の正面には描かれた阿弥陀如来像があった。かなり古そうで金泥が殆どはげ落ちていた。その両脇に数本の位牌があり、一本だけ真新しいものがあった。手前の茶湯器、香炉、燭台、花立仏器、供物台も古色蒼然としていて、線香の煙がこびり付いているようだった。仏壇の前に一枚だけ敷かれた座布団に座り、最初に南條が備え付けのマッチでろうそくに火をつけた。パラフィンの燃焼する臭いが鼻についた。線香を一本取り出し焼香し、線香の火を手で消し、香炉に立て仏壇に香典袋を置いた。線香の香りが部屋に漂い始めた。南條はリン棒でリンを鳴らすと早口で般若心経を暗誦した。暗誦し終えると後ろで正座していた中年の女に向き直り、自らの正座を崩した。
「その後お嬢さんについて何か分かったことありますか?」
という南條の問いに中年女は目を伏せてかぶりをふり、
「いえ何も。でもその節は大変お世話になりました」
と能面のような蒼白の表情で単調に答えた。亜衣子が切り出した。
「私、南條刑事と同じ組織で働いてる能美亜衣子と申します。お嬢さんの事案を調査してます。つかぬことをお伺いしますがお嬢さんは千葉ドリムランドへ行かれたことがありましたか?」
中年女は亜衣子の背後の襖に目線を移て、少し記憶の糸をたどるような素振りを示した。
「行ったことはないと思います」
「お嬢さんのお友達を紹介してもらえませんか?」
「友達がいたのかどうか。友達ができないって嘆いていたくらいで」
「自殺の動機の一つとしてあげられていた」
と南條がつぶやいた。
「小中の友達は?」
と亜衣子が質問の穂を穏やかな口調でつないだ。
「娘は高校二年のときにこちらに引っ越してきたもんで」
「えっ。それじゃそれ迄はどちらに?」
と南條が割って入ってきた。
「主人の転勤の関係で関西の方に。この家は私の実家なんです」
「大阪で?」
と礼拝を終えた土岐は自己紹介もせず質問した。
「いいえ。兵庫の明石です。本社は愛知なんですが、三州瓦の工場が明石にあったもので。結婚以来ずっとそこにいたんですが主人も定年近くなったので、体力が要らない管理職的な職場をということで、東京支社に転勤してきたんです。いま営業課長をやっています」と抑揚のないしゃべり方だ。関西訛りが全く混ざっていない。
「WSJにお嬢さんは行ったことがあるんじゃないですか」
「WSJって?」
と中年女はアルファベットを頼りなげに発音した。
「ワールド・スタジオ・ジャパンです」
「聞いたことはありますが」
と中年女は土岐に縋るような目で言う。
「アメリカの映画会社が造ったテーマパークです」
「ああ、それなら行ったことがあるかも知れないですね」
そこで、土岐が合いの手をいれた。
「やっぱり」
「なにがやっぱり、なんですか?」
と中年女は目尻を少し引き上げ狐目で詰問するような口調になった。
亜衣子が質問した。
「高校一の時にWSJに行ったんじゃ?」
「娘はあまり友達を作らない性格で、小学校と中学校と他の友達が皆行っても高校に入る迄は一度も行ったことがなかったんです」
それを聞いて亜衣子は我が意を得たりとばかりに、土岐の顔を見てウインクした。土岐は正座していた足がそろそろ限界に近づいてきた。いったん立ち上がるような素振りをして足を崩した。
「どうも夜分ありがとうございました」
と言う亜衣子の横で土岐は、
「自己紹介が遅れましたが、土岐明といいます。それではこれで」
と勝手にいとまごいをした。
「わざわざありがとうございました」
とやせぎすの中年女は感謝を単調に述べた。表情が乏しいので感謝しているようには見えない。
その家の外に出ると南條がいきなり土岐の二の腕をつかんだ。
「WSJの件を吐いてもらうぞ」
と言いながら数軒となりの居酒屋に土岐を押し込んだ。入口の藍染ののれんが異様に長い。赤いちょうちんも一メートルばかりあった。亜衣子は入るのをためらった。
「おいしそうな、お店だよ。あったかいよ」
土岐が暖簾の間から首だけ出してすがるように亜衣子を誘った。
「事情聴取に素直に応じれば南條さんがおごってくれるって」
という土岐の追加説明で、亜衣子もしぶしぶのれんを潜った。店内にはカウンターに四五席、四人掛けのテーブル席が二つ、奥の座敷に四人用の卓袱台のようなテーブルが三つあった。手書きの予約カードが二箇所に置かれていた。南條はダスターコートをさっさと畳んで、一番奥の座敷に陣取っていた。土岐と亜衣子が、ものめずらしそうに店内をきょろきょろ見回しながら席に着くと、
「どんどん注文して」
と南條は店の主人の手書きのメニューを二人に見せた。二つ折りにした半紙に筆書きされたどのメニューも五百円以下だった。お通しは海鮮サラダの和風ドレッシング和え。大皿に山盛りになっていた。
注文をとりに来たのは足元のおぼつかない老婆だった。
「最初は生ビール、料理の注文はそのあと。とりあえず大なま三つ」と南條が言うと、程なく生ビールが三杯運ばれてきた。
「WSJがどうしたって?全部吐け」
と南條が野球帽をかぶったまま両肘をテーブルにつき怒気のこもったしゃがれ声で凄んだ。亜衣子がダウンコートを脱ぎながら目配せをしてきた。土岐が説明した。
「未成年の事故死の統計を見てたらCDLやWSJが開園してから古くは大阪万国博覧会の翌年もその周辺の都府県で原因不明の女子の自殺や事故死が増えてることが分かったんです。今夜の話でタイムラグが1年位であることが実証されたんです」
「するってえと、CDLやWSJに遊びに行った未成年の女の子が1年たつと事故死したり、原因不明の自殺をするというのか?」
「遊びに行った未成年の女子の全てが自殺するというのではなくて、未成年千人あたりの比率として周辺の都府県の大きさがそれ以外の道県よりも高いということなんです」
と土岐は弁解するように言う。
「何で?」
と聞きながら南條は煙草にジッポライターで火をつけた。
「それがわからないんです」
といい終えたところで亜衣子は自分のお通しのサラダを食べ終えていた。土岐は自分の分を亜衣子に差し出して話を続けた。
「自殺率がCDLとWSJが開園した翌年から少し高くなっているんですが、確かにそういう女の子が二人もいたと」
「水野さんの女の子は東京に来て自殺したがお母さんの実家が北海道であれば北海道で自殺したということか?」
と南條は土岐に聞く。
「確率的にそうだということで」
南條の煙草に煙そうな顔をしていた亜衣子がついに口を開いた。「ということはそういう事案を探せばいいということじゃなくって。東京や千葉近辺や大阪近辺から転校してきて自殺した少女を探して、自殺の原因が不明であれば仮説は実証されたことになるんじゃ」
「待て」
と南條が灰皿にピースの灰を落としながら口を挟んだ。
「CDLにしてもWSJにしても大勢の小中高生が全国から修学旅行やなんだらでやってきているはずだ。そういう連中も次の年に事故死したり原因不明の自殺をとげるってことか?そうであればそういう事案は全国に展開しているはずだ。それに何で女の子だけ?」
と言われて土岐は目線をテーブルの灰皿の上に落とした。CDLやWSJの近辺とそれ以外の土地の相違が何かを必死に考えていた。亜衣子も同様だった。先に口を開いたのは亜衣子だった。
「リピーターよ。パスポートを持っているのは近場の小中高生以外に考えられない。大勢の修学旅行生が全国からやってくるけど彼らはリピーターにはなれない。絶対的な人数は近場の小中高生の方が圧倒的に多いはずよ。だって近くの小学生なんか先生が手を抜いて総合学習で毎年のようにテーマパークに行くんじゃない。それに近場の子供達が無料で招待されることもあるでしょ」
「だから統計学的に確率的に有意な仮説だと言っている」
「でも、なぜだ。単なる偶然じゃねえのか?」
と南條は繰り返した。煙草の脂でくすんだ天井の一点に視線を固定させて、ピースの紫煙をくゆらせながらじっと思案している。老婆が来る迄料理を注文することをすっかり忘れていた。
「お前らよ、管内でそういう事案を過去にさかのぼって調査してやっから、そっちでも何か分かったことがあればメールで教えてくれ」
と生ビールを飲み干した。
「でも、あの女子高生の両親は花火大会の夜、娘が夜中に抜け出したことをなんで気付かなかったのかしら?」
と亜衣子が先刻からわだかまっていた疑問をぽつりと言った。
「両親はその夜、吾妻橋から出ている水上バスの発着所から屋形船に乗って隅田川から花火大会を満喫した。父親は関東が初めてで隅田川の花火大会も初めてで花火大会自体は関西にもあるから屋形船で天婦羅を食べながら花火を見たかった。娘は風邪気味だったので一人、自宅に置いてきたとか言っていた。クルージングが終わってから駒形橋でどじょう鍋を食べて帰宅したのは十二時近くだった。娘の部屋を覗くともぬけの殻なので多分病気が良くなって花火を見に外出し、こちらに来てできた友人と楽しんでいるのだろうと、あまり気にしなかったと言っていた。確かに、浅草に来た早々、深夜のカラオケ店で友人と補導されてるし、あまり素行は良くなかった」
と言う南條の話を聞いても亜衣子は腑に落ちない感じだった。
「両親が外出して、娘が一人。なんか、とってもよく似ている」
その晩は結局それ以上話は進展しなかった。その店を出て南條と別れた土岐と亜衣子は都バスで言問通りを上野公園方面に向かった。
「谷中に叔母が住んでるの。近く迄来たからちょっと寄ってみる」
と亜衣子がまばらな時刻表を見ながら言う。1時間に1本か2本しかないバスを二十分程待って乗り込んだバスの中で亜衣子が、
「二人のお母さんに似ている点があるの気付いた?」
と話しかけてきた。座席が狭いせいで、二人掛けの椅子に腰と太腿を密着させていた。乗客は十数人程だったが、寒かったので同じ席に座ることになった。
「気付いたって何に?」
「何かあの二人似てる」
と言いながら、亜衣子は土岐に密着している下半身に間隙を作ろうともぞもぞしている。
「似てるったて、あかの他人でしょ?」
「顔じゃなくって気質が。お茶も出なかったし。ホスピタリティが全然感じられなかった。突然伺ったんだから、歓待されることは期待してないけどお線香をあげに行ったのに、その気持ちを受け取る、という心のもてなしがなかったわ。素っ気ないというか、何というか、人の心が少しも感じられない。不幸な死に方をした娘の話をしているのにしんみりとしたところも全くなかったし」
「二人目のお母さんの場合、娘がなくなって半年以上もたっている」
「半年しかよ。あなたは男だから分からないかも知れないけど女にとって命は全てなの。身内の命だけじゃなくって、全ての人の命、ペットの命だってかけがえがないもの」
と亜衣子が湿っぽく言う。
「そりゃそうだろうけど」
「分かってない。交通事故で死者が出たというニュースで泣ける?」「身内なら泣けるだろうけど」
「そんなこと当たり前じゃない。あかの他人のよ。ねえ、泣ける?」
「そんな、ニュースを見て、いちいち泣いてらんないよ」
「私も一々は泣かないけど我慢してるのよ。だって死んだ人にはお父さんもいるだろうしお母さんもいるだろうし兄弟だっているかも知れない。死んでしまったらその人たちはもう二度と会えないのよ」と言いながら亜衣子は少し涙ぐんだ。
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