ポラロイドから出てきた彼女の撮った数多くの写真を油絵のキャンバスに切り取って貼って、それを度々オフホワイトの色で繰り返し塗り潰していく。

そんな彼女の日課にボクは庭で鳴く蝉の声に耳を澄ませては、中絶の悲しみをひた隠しに出来ないでいた。

「今日のあった素敵な事も、またこうやって真っ白になるんだ」

思い出がいつも真っ白になって消えていくように、記憶はただその輪郭だけを残して。

身体が弱かったからか、このような顛末にしかならなかった事を堪えきれず、今も尚彼女は精神を痛めたまま療養の日々を送っていた。

ボクなんかがこうして彼女の家に転がり込んでも、彼女の傷は癒えるどころか悪化させてしまうばかりに、彼女の部屋にあるキャンバスには切り取られた二人の思い出写真の輪郭だけがはっきりと残った状態で、全てが真っ白になって何処か悲しそうだった。

「…ナオト、今日は何処に連れていってくれるの?」

彼女のいつものその切り出しに、ボクは車の鍵を握りしめて玄関のノブを手にかけた。

「…今日もさ、近くの海辺に行こうか」

「うん、いいよ!」

瀬戸の海に近い彼女の家から車で少し行った所にある、二人が初めて出会ったという思い出の海岸。

そこに向かう二人は、今日でもう何ヶ月が経つのだろう。彼女が当時の記憶を取り戻せるように、ボクは永遠のそばにあるその景色を見るために、時間が繰り返し過ぎるその現実に目を背けてから、彼女の手をそっと握った。

「このカメラ、凄いんだよ?こうやって撮ったらさ、ほらすぐに写真が出てくるの。ナオトったら、私が映してるんだからちゃんと笑ってくれなきゃダメじゃん」

「ゴメンな、次はちゃんと笑うからさ」

そういう二人のやり取りも毎日の日課であり、ポラロイドの替えも尽きないように毎日欠かさず補充するボクの日課もまた、永遠のようだった。

「着いたよ、メイ」

「うん、ありがと!」

彼女は少し駆け足で海岸の向かうまで走るその姿を、ボクは目に焼きつけるようにその光景を見守っていた。

揺れる貝殻のネックレスやメロンソーダのペットボトルがエメラルド色で鮮やかに美しいその光景もまた、繰り返し造られていくボクの思い出にプラスして装飾されていった。

「冷たいよ、ほら。ナオトもさ、突っ立ってないで海に浸かってみなよ」

「…メイは、子供みたいだな」

「そんなのいいからさ。ほら、こっちに来てみなって」

彼女の淡いワンピースがびしょ濡れになるまで、海辺に戯れる二人は夕方になっても笑い声は絶えずこだましていた。

「…なあ、メイ。あのさ、明日なんだけど」

「明日?」

ボクは重い空気を漂わすかのように、真剣な目をして言った。

「…結婚、しよう」

ボクの唐突の言葉に、彼女は少し照れてポラロイドを手に取った。

「…それって、プロポーズってやつですか?」

彼女がそう言ってボクの呆然とした表情をカメラに収めると、またニコって笑った。

「私、こんな身体だよ?子供も産めない馬鹿な身体なのに、それでもナオトは私の事を好きでいてくれるの?」

ボクもつられて、少し笑ってしまった。

「単にメイの身体ばっかりが好きって訳じゃないからな。身体なんて誰だっていつかは衰えていくんだ。そんなものより、心をずっと好きでい続ける方が何よりだろ?」

「…じゃあ、私の心が好きって事?」

外身よりも中身って最近の世間様もよく言う決まり文句だけど、中身が全てだとボクは本気で思っていた。

「…じゃあナオトは、私の事を何処まで知ってるの?全てを知った上で本当に心から好きだっていうのなら、私は心からナオトの事を信じるよ?」

ボクが知らないメイの諸事なんて、きっとたくさんあるはず。

「ううん、ゴメン。全てを知れだなんて私の方がどうかしてるよね…。ナオトからのせっかくのプロポーズを、本当は私嬉しかったんだ」

結婚という立ち位置は決して恋の終着駅なんかじゃない。むしろ恋愛という意味では、二人の恋愛関係は終わるどころか何も始まってさえいないのだから。

「結婚を期にさ、これからもっと二人を知れたらいいよね?」

「…そう言ってもらえると嬉しいよ」

そうして、二人はその海辺を後にした。

「じゃあ、また明日ね」

「うん、ありがとう」

ボクはそう言うと、じゃあねって意味を込めて車のヘッドライトを二度点滅させた。

次の日、ボクはいつものように彼女の家の玄関のノブに手にかけると、すぐに鍵を開けに来てくれるはずのやり取りがなかったのを不思議に思った。

「あれ、メイ?…メイ!」

単に彼女が気付かずに眠っているだけだろうと瞬時に思ったが、玄関すぐ横にある小窓から覗いたその先にいつもの彼女の姿はなく、いつもの日課がいつもではなくなっていた。

ボクは玄関側の新聞受けに合鍵が入っているのを思い出すと、それをすぐに取り出し玄関を開けて中に入っていった。

「メイ?」

しかしそこに彼女の姿はなく、片付けられていない布団がただそこに敷かれているだけだった。

「メイ、メイ!」

家中捜しても、いない彼女の姿。

ボクは携帯を手に取ろうとすると、布団横に置かれてある彼女の携帯に気付いたので、すぐにそれをポケットにしまった。

「!」

家を立ち去ろうと振り返ると、隣の部屋のキャンバスに驚愕してしまった。

「…メイ」

そのキャンバスに貼られた数多くの写真はいつものように切り取られていたにも関わらず、真っ白に塗り潰される事なく昨日の二人が過ごした思い出がそのままカラフルなまでに、そのキャンバスの中に仲良くはしゃいでいたようにも思えた。

そのカラフルな写真たちを装飾するように、赤ペンでなぞられたハートやラブという言葉が彩られている事に、ボクは不意にも少し涙ぐんでしまったのだった。

-プロポーズするナオト、恥ずかし!(≧∇≦)-

そんな彼女からのメッセージもまた愛らしくて、涙が止まらなかった。

ボクはそのまま彼女の家を出ると、彼女の行方を知っていたかのように市役所に行き、婚姻届を手にとって記入した。

そしていつもの海辺に向かうと、テトラポットにしゃがんでいる彼女を見つけた。

「あ、ナオト。どうしたの?」

「…いや、ちょっとな」

メイがずっと海の向こうを眺めている横で、ボクは少し笑ってこう続けた。

「今日のキャンバス、良かったよ。今日はあれでいいんじゃない?」

「あ、真っ白にするの忘れてた。てか、ナオトさ、私の部屋に勝手に入ってみたらダメじゃん!」

同棲してる事実まで、彼女はもしかしたら忘れてしまったのかもしれない。

「ゴメンゴメン。いつもの時間にメイがいなかったらさ、心配して家の中に入ったら偶然キャンバスがあったから、つい」

「つい、じゃないよ。もー」

こうして。

今日もまた、永遠の時間が繰り返し流れていくんだ。

「…なあ、メイ。あのさ、明日なんだけど」

「明日?」

とまあ、こんな感じでね。

「じゃあ、また明日ね」

「うん、また明日」

ボクは数えきれないくらい、メイに渡せる婚姻届を持ってるけれど。

メイがそれを覚えてくれている、その日まで。

メイの日課もまた。

ボクの日課でも、あるからね。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

メイのエメラルド

閲覧数:31

投稿日:2016/05/26 22:39:02

文字数:2,998文字

カテゴリ:小説

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