目の前にある物が判らなかった。聞こえている音が何なのか判らなかった。彼の引き裂く様な悲鳴だけがずっと耳にこびり付いて離れなかった。ただ呆然と座り込んだまま、一体どれだけ時間が経ったのだろう?苦しんでいた彼は、今はベッドの上で眠っていた。月明かりのせいだろうか、ひどく顔色が悪く見えて不安になる。私は彼を10年間も…ずっとずっと苦しめていたの?

「…スズミ…?」
「あ…。」
「あ…俺…。えっと…ごめん、な、怖がらせて…その…びっくりしただろ?」

力無く笑った。その顔を見た瞬間、もう溢れ出した思いは堪え切れなかった。

「ごめんなさい…。」
「え?」
「ごめんなさい…ごめんなさい!許して貰えないの判ってる…!こんなの…
 酷過ぎるって判ってる…!」
「スズミ…?」
「どうして怒らなかったの?!どうして私を責めなかったの?!どうして忘れて
 しまうの判ってて側に居てくれたの?!どうして…どうしてこんな事…!!」

後から後から涙が溢れた。悲しくて、悔しくて、自分が嫌で嫌で仕方無かった。私はずっと優しさに甘え続けて、その笑顔の影にどれだけ傷を負っているかなんて考えもしなかった。

「私なんか放って置けば良かったのに!」

いっそ同じ位痛みを感じてしまえれば良いと思った。なじられても構わないと思った。消えてしまいたかった。

「…無理だよ…。」
「え…?」
「怒ろうとも思った。責めようとも思った。いっそ忘れてしまえれば楽になる
 とも思った。…だけど出来なかった。」
「…どうして…っ!」
「スズミの事が大好きだから…誰も代わりにはなれない…初めて会った時から
 ずっと…俺がスズミじゃないと駄目だっただけ。」

涙でぐしゃぐしゃになった頬に温かい両手が触れた。どうしてこんなにも真っ直ぐに…優しい目で見てくれるの?きっと傷付いて傷付いてボロボロなのに、それでも私を想ってくれてるの?ねぇ…貴方は一体…どんな思いで居たの?

「カナリアは愛する人を忘れる…忘れられるのは確かに悲しいけど…それは
 確かに俺を想ってくれた証だって思ったら…嬉しかった。」
「どうして…?どうしてそんなに優しいの…?傷付けたのに…貴方の事忘れて
 しまったのに!なのにどうして…!」
「それでも俺は…!」

声も、音も消えた中で、視線が交わった。目が放せなくて、放したくなくて、引き寄せられるままキスを受け入れた。

「…俺はスズミを愛してる…。」
「ん…。」
「愛してる。」
「あっ…!だっ…!」
「愛してるよ。」

その瞳に、囁かれた言葉に、私の頭は真っ白になった。私に触れる手も、その唇も、熱を帯びた吐息さえ、覚えていない筈なのに、私は何一つ拒めなかった。…ううん。

「騎士…。」

拒まなかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

BeastSyndrome -53.消える記憶消せない想い-

頭で判っても、心では解らない物があるから

閲覧数:124

投稿日:2010/06/18 01:09:47

文字数:1,150文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました