ぽかぽか陽気の日曜日。
以前の仕事から数えれば、もう1ヶ月は夜の仕事がないでしょうか。
ついつい転寝してしまうほど、平和です。
#5 時計の音色
相変わらず、店主の探し人は見つかりません。
手がかりすらまだ1つも掴めていないのですから、それで見つかるわけもないのですが。
探し人が見つからないというのに焦ることすら忘れたように本を読んでいる店主。
ようやく3ページほど進んだでしょうか。
読むのが遅すぎて呆れてしまいそうです。
店主が本をぱたりと閉じたのを見て、私は思わず視線を逸らしました。
文句を言われたらたまりません。
しかしながら、店主は何を言うでもなく、ただロッキングチェアを揺らすだけです。
基本的に来客がなければ話題があるわけでもないので、会話がないのもいつものこと。
沈黙の空間も退屈なことが多いのですが。
代わり映えのない日常に欠伸を1つ。
朝から自分のした行動を1つずつ数えてみても、両手の指の数だけで足りるというものです。
以前、店内を退屈でうろちょろしていると「鬱陶しい、光合成でもしていろ」と言われたので、こういう時はのんびりしているに限るのですが……やはり退屈なものは退屈です。
絵画のように窓の外に見える夜の空は、雲に隠れることなく、星が輝いています。
こんな日は散歩日和だと思いますが、外へ出たいとは思えません。
どうしようかと考えながらため息をつくと、ちょうど店主が立ち上がりました。
――カタン。
小さな音が聞こえて思わずびくっと肩を震わせたのは、もしかすると文句ばかりの私を叱るために店主が何かを手に取ったのかと思ったからです。
しかし、それは店主が立てた音ではありませんでした。
店主はといえば、音がした方向へゆっくりと歩を進めていきます。
彼が歩み寄る方向へと視線を向けると、飛び込んでくるのはたくさんの品物でした。
ただそれだけで、特に変わったところは……。
不意に、私が見ていた場所をその体で隠し、店主はそれを手にしました。
剣のレプリカです。
どうやら、地震が起こったわけでもないのに、落ちてきたようです。
店主はそのレプリカを眺めながら、ゆっくりと元の位置へ立てかけました。
それを置けばすぐに指定席となっているロッキングチェアへ戻るのだろうと思って顔を背けましたが、一向に彼は戻ってきません。
疑問に思ってまたゆっくり視線をレプリカの方へ向け……私は思わずぞっとすることになりました。
店主がこっちを向いて小さく笑っていたのです。
何が起こるのかわかりませんが、ぞわぞわと悪寒が走りました。
「久々に来客がありそうだな」
嬉々とした店主の声は、底冷えするような響きを持っていました。
けれど、今回はどうやら私の出番はなさそうです。
以前の少女のように迎えが必要なわけではないような気がします。
今度はどんなお客様でしょう。
そんなことを考えながら、目を閉じます。
聞いたところで店主が答えることはないでしょうから、お客様が来るまで眠るのが一番なのです。
それから半時間ほど経った頃でした。
扉が開く音に次いで、足音が聞こえてきたのは。
心なしかざらついた匂いがするのは何かしら、と面を上げると、そこには黒いローブを纏った背の高い人がいました。
しかし、その黒は元々の服の色ではないようです。
酷く錆び付いた匂いをさせて、ぎこちない動きで彼は進んできました。
金属音を立てながら歩くたびに店の床に落ちるのは……固まった泥でしょうか。
「――探しているものがある」
それはとてもそっけない言葉でした。
ローブで隠れて口元しか見えないその人の感情は、上手く読み取れません。
揺れる髪も見えている肌も酷く汚れていて、何だかとてもみすぼらしい格好であることだけはわかりますが。
自分の出番はなさそうだと頭を下げながら、立ち上がった店主に視線を移します。
「お話を伺いましょう」
そう言って店主は椅子を用意しましたが、その人――声からして男性でしょう――は立ったまま続けます。
「共に旅をしていた。俺の相棒は女で、彼女の相棒は男……俺と彼女がそうであるように、相棒たちもまた恋仲だったが……相棒たちは戦争で死んだ」
言っていること自体は悲しいことであるにも関わらず、男性の声は無神経なほどに無感情でした。
何だか奇妙な気分になりながら、私は黙って聞き耳を立てます。
「俺が探しているのは、彼女だ――彼女があの約束を覚えていれば、俺を探しているはずだ」
「『あの約束』というのは?」
黙って聞いていた店主が、顎に手をやりながらようやく尋ねました。
私としては男性の態度の方が気になるのですが、私がどうこう言える立場ではないのでここは我慢するしかないのでしょう。
無愛想同士どこかしら通じ合うところがあるのかもしれませんし。
そんな失礼なことを冷静に考えながら、再び2人の会話に耳を傾けます。
「『俺たちが死んだ時は、この木の下に2人眠ろう』と、戦場で相棒たちが約束した時、俺たちも約束をした」
彼の言う『相棒たち』は、戦場でのそんな約束など、叶うとは思っていなかったでしょう。
戦場に出ているということは、死に場所を決めることすら叶わないのですから。
それでも、誰もがすがりつきたくなるような願いを胸に抱いているのです。
絶望しかないところに希望を見出そうとするのが人というもの……それはきっと、いつの頃も同じ。
男性は顔色一つ変えずにこう付け加えました。
「『2人と共に、俺たちも同じ場所で眠ろう』」
その一言を残し、男性は黙り込みます。
ほんの数秒の間が、妙に重苦しく感じられました。
それをものともしていないのは、さすがとでも言いましょうか。
しばらくすると、店主は全てを理解したように頷きました。
「では、手を」
何の抵抗もなく男性が手を差し出すと、店主はその手に触れて目を閉じます。
見るからに怪しい、顔すらろくに見えないこの男性から、一体何が読み取れるのでしょうか。
少しばかり興味がありますが、聞いたところで店主が答えてくれるはずもありません。
大人しくしているに限るのです。
店主は男性の手を離し、微笑んで言いました。
「大体のことはわかりましたので引き受けますが……あなたはどうされますか?」
男性は店主のその言葉を聞いて踵を返すと、「彼女を探す」と返答をよこして店を出て行きました。
あんなに無愛想な人を久しぶりに見ました。
店主以来です。
「何が俺以来だ」
あら、聞こえていたんですか、地獄耳ですね。
私の目の前までやってきた店主は、そう悪びれもなく言った私の額を指で弾きました。
結構な痛みが額に走ります。
本当のことなのですから、怒ることもないでしょうに。
ロッキングチェアの近くに置いていた本を手にし、店の奥へ入っていくその姿は、いつもよりもどこか寂しげでした。
少しでも元気付けようと軽口を叩いたのも無駄だったようです。
何にせよ私には関係のないことですが。
けれど、ため息は止められませんでした。
何だかんだ言いながら、この店にいる限り私の視界にはこの店主が必ずと言っていいほどいるのです。
落ち込まれるだけで、こちらも気が滅入るというもの。
もう一度ため息をつこうかと思った時、店主が奥から出てきました。
「今回はお前の出番はないだろうが……赤を基調とした服を着た女性がきたら教えてくれればいい」
……。
本当に噛み付いてやろうかしら。
少しでも心配した私が馬鹿だったわ、とそっぽ向きながら小さく息をついてみます。
店の奥からは小さな物音。
おそらく客寄せのために煙管の準備でもしているのでしょう。
そんな音を聞きながら、今回の男性は店主が探している人の手がかりをちゃんと持っているかどうかを考えてみます。
戦場を駆け抜けてきたようですから……残念ながら今回もハズレでしょう。
考えるのをやめ、くあ、と欠伸をした時、音楽が鳴り響きました。
それは何だか不思議な音色です。
どこか狂気的で物悲しくて、壊れそうなほど綺麗な。
その音を響かせているものを探すこともせず、ただ耳を傾けていると、いつの間にか店主が奥から出てきていました。
心なしか、その目は驚きに満ちているように見えます。
「――何年ぶりの来客だろうな」
はい?
思わずそう聞き返していました。
お客様なら、つい先ほどきたばかりですし、店内には誰もいません。
訝しげに見つめる私に、店主は視線も向けないまま言いました。
「また品物が増える」
どこか楽しげな様子の店主は、時計を見つめています。
視線を向けてみると、動いていないはずの時計から不思議な音が鳴り響いていました。
意味のわからない言葉を吐き出したまま時計を見つめている店主に、私は言うべき言葉を見失っていました。
さっぱり何を言いたいのかわかりません。
店主も説明する気はないようですし、聞くだけ無駄でしょう。
鳴り止んだ時計に再度目を向けると、相変わらず飽きもせず同じ時間だけをさしています。
動力もないのに音が鳴るなんてあり得るのでしょうか。
何だか嫌な予感がして、私は身を震わせました。
……何もなければいいのですが。
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