国分寺の小さな作業部屋で、今日も古いコードと向き合っている。
レガシーシステムの改修を依頼され、10年以上前に書かれたソースコードを読んでいた時のこと。
ふと、こんなコメントを見つけた。
// 2014/03/15 深夜2時 もう限界...でもこれで動くはず
// 未来の誰か、ごめん。もっときれいに書きたかった
画面越しに、誰かの疲れた息遣いが聞こえた気がした。
きっとこの人も、納期に追われていたんだろう。完璧なコードを書きたかったのに、時間が足りなかった。
それでも、このシステムを動かさなければならなかった。
僕はその「未来の誰か」になった。
10年という時間を超えて、名前も顔も知らない誰かの想いを受け取った。
不思議なことに、腹は立たなかった。むしろ、この人の必死さが、痛いほど分かった。
コードには、書いた人の感情が宿る。
焦り、迷い、諦め、そして希望。一行一行に、その時の状況が刻み込まれている。
エラーハンドリングの丁寧さには責任感が、変数名の曖昧さには時間のなさが現れる。
僕も今、誰かの「未来」のためにコードを書いている。
いつか誰かがこのコードを開いた時、「ああ、この人も頑張ってたんだな」と思ってくれるだろうか。
少しでも読みやすく、少しでも保守しやすく。そんな願いを込めて、今日もキーボードを叩く。
システムは古びても、そこに残された想いは色褪せない。
コードは、時を超えた対話なのかもしれない。見えない誰かとの、静かな会話。僕はそれを、今日も続けている。
〈桜井隆二〉【国分寺市】古びたシステムの記憶:誰かが残したコメントに、時を超えた声を聞く
コードには、書いた人の感情が宿る。
コードにまつわる話を想像して書いてみました。
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