20.秘密のアジト
「いまどこですか?」
「車寄せの先のところです」
と土岐が言うとキャデラックが背後から急停止した。土岐は右ドアに回りこんで助手席に飛び乗った。
「フリーウエイを北へ」
と土岐が口早に叫ぶとキャデラックはもんどり打つようにタイヤを軋ませて急発進した。あたりはようやく夜らしくなってきた。それでもまだヘッドライトをつけなくても走行できた。土岐はサンタアナフリーウエイを北上したことをもう一度告げた。林は猛スピードで追尾を始めた。二三分でイエローキャブの斜め後ろに追いついた。肩に少し後ろ髪がかかるミディアムの髪型で奈津子らしいことを後部座席に確認した。隣にはアジア人、助手席には白人が座っている。
「このタクシー」
と土岐が言うと林はハンドルを握る両手でハンドルを軽く叩いた。「あとの二人はパリと香港から来たみたいですね」
と林が土岐に同意を求めてきた。
 奈津子たち三人を乗せたタクシーは、リバーサイド・フリーウエイを左折した。605号線を越えてからレイクウッドの市街地に南下して行った。ようやく夜の漆黒のとばりが降り始めていた。タクシーはデベロッパーが開発した高級住宅街に入って行った。住宅街のエントランスにロータリーがあった。ロータリーの真ん中は芝生で覆われたマウンドになっていた。タクシーがスピードを落とした。林も接近しすぎないように速度をゆるめた。タクシーは住宅街の奥の比較的大きな平屋建ての家の前で停車した。林の車はその20メートル手前で止まった。五六台の型式の古い大型車が道路の左側に停車していた。歩道からのアプローチが二本の樫の木の間を縫って十メートル程続いていた。奈津子たち三人がタクシーを降りた。顔が半分隠れるようなバタフライの大きな眼鏡をかけた奈津子が門灯の点いている玄関に近づく。待っていたかのように門扉が開いた。家の中にグーフィーのぬいぐるみを着た人が立っていた。助手席にいた白人は銀髪が黒髪になっていた。アジア人は目だし帽をかぶっていた。土岐と林は玄関の斜め前、二十メートル程のところに車を止めて見ていた。白人とアジア人が先に入って行った。奈津子は玄関に出てきた男と何かをやり合っている。胸のバッジを見せている。両者とも大きな身振りで何かを主張している。最後に奈津子が変装用のバタフライの眼鏡をはずした。そこでやり取りは終わり、奈津子は家の中に招じ入れられた。その家の周りには塀も壁もなく、潅木が隣家との境界になっている。玄関を右か左に回ればバックヤードに出られた。そこからリビングがのぞけるような気がした。
「裏庭に回って偵察してきます」
とドアサイドレバーに手をかけた土岐を林が制した。
「まだ空が多少明るい。プライベイトプロパティだから住居不法侵入で銃殺されても文句は言えない。真っ暗になるのを待ちましょう」
 藍色の空が漆黒になる迄土岐は林の身の上話を聞かされた。夜の帳がそろそろと降りてきた。黄昏時が過ぎ、宵闇が訪れつつあった。
「そろそろいいでしょう。何か変な動きがあったら電話しますから」と言う林の忠告を受けて土岐は車を降りた。外気は昼間の暖冬が嘘のようにしんしんと冷えて来ていた。玄関の左側はキッチン、右側は半地下のゲームルームになっている。土岐は白い木造の建物を玄関前から右に回って、芝生を敷き詰めたバックヤードに出た。庭の隅に使い古した芝刈り機が放置してあった。裏庭にはレースのカーテンの隙間からリビングの照明が煌々と漏れていた。土岐は建物の窓の下の影を伝うようにしてリビングの横にたどりついた。そこからカーテンの隙間を通して部屋の中を窺った。正装に近いいでたちで仮面をつけた十数名の男女が手に手にワイングラスを持ち、プロジェクターで映し出されたパワーポイントの画面を見入っていた。画面の内容はよく見えなかった。画面が変わるたびに談笑しているように見えた。窓際の男はフラワーホールに、女は胸のあたりのブローチあたりに、あのメソポタミアのバッジをしているようだった。普通の会員バッジのようで陶器製のようには見えなかった。さらによく見ると金文字ではなく、おでんの串刺しは斜めになっているように見えた。奈津子の姿も見えたが彼女のバッジがどうなっているかは分らなかった。そもそも全員があのバッジをつけているかどうかも確かではなかった。奈津子は額から後頭部迄禿げ上がった男と何かを議論しているようだった。手振り身振りを交えて話している。何を話しているのかは皆目分からなかった。奈津子の阿修羅のような真剣な眼差しは初めてみるものだった。それ以上の収穫はなそうだった。急に空腹を覚えた。土岐はその場を切り上げることにした。キャデラックに戻ると、ウインドウを半開にして林はカーナビでMLBのニュースを見ていた。エンジェルスとドジャーズのオープン戦のデーゲームの結果が放送されていた。土岐が車に乗り込むと、「その家、何番地?」
と林がディスプレイから目を離さずに言った。
「どこに書いてあるんですか?」
「郵便受けか、玄関のドアの上か、玄関ポーチの柱の上に」
と言われて、土岐は引き返して玄関の扉の上を見たが書いてない。郵便受けに真鍮の数字が埋め込まれていたが暗くてよく見えない。見えるところ迄近づいて見ると3411になっていた。再びキャデラックに戻って林に番号を告げると、林が言う。
「変でしょ」
「何が?」
「両隣は704と706ですよ。だからそこは705のはずです」
「どういう意味ですか?」
「たぶん、その住居表示は偽造じゃないですかね」
 そう言われて土岐はもう一度郵便受けの番号を確認した。真鍮の数字が埋め込まれているプレートをよく見ると、郵便受け本体から取り外せるようになっていた。土岐はキャデラックに戻った。
「なんで、偽造なんかしているんですかね?」
「今夜はこれで切り上げて明日ロス市警に頼んで住民の情報を聞くことにしましょう。ステーキハウスに行きますか」
と林がエンジンを掛けた。土岐の頭の中を衝撃が走った。住居番号が奈津子のスカイラインと長田のBMWのナンバーと同じだった。
「車のナンバープレートをライトアップしてもらえますか」
と林にお願いするとヘッドライトの明かりの中に最後尾の型式の古いドッジのナンバーが浮かび上がった。同じ番号だった。
「その前の車のナンバーもお願いします」
と土岐が言うと林は車をゆっくりと前進させた。その前の車のナンバーも州は異なるが同じ3411だった。中には前後にアルファベットを含むものもあった。車の型式はいずれもかなり古かった。車が五六台、固まって駐車している光景はそこでホームパーティでも開かれていれば何の変哲もない光景だった。しかし駐車している車の登録ナンバーが全て同一で、かなりのオールドカーあることに気付けば突如異様な光景に変わる。
「もういいですか?ナンバープレートが、どうかしたのですか?」
「みんな、おんなじ番号なんです。3411」
「空いていれば自分の好きな番号を選べます。割増し料金を取られはしますけれど。家族や恋人同士で誕生日とかラッキーナンバーとかで同じ番号にすることはよくあることです」
「3411って、なんの番号ですか?」
「覚えやすいように、住所と同じにしたのではないですか?」
「皆、他の州のどこかの町の同じ番地に住んでるということで?」
「そこ迄は知らないけれど。気になるのならメモをとっておいたらどうですか?ロス市警に所有者がどんな人物か聞いてみますよ」
「それに、あそこの車、ずいぶん古いものばかりですよね」
「この車だって、同じくらいの年式ですよ。二十年前や三十年前の車は全く珍しくない。日本と違って、この国では車は乗りつぶすというのが一般的で、エンジンが動く限り、故障しない限り乗り続けるという文化です。この国では車は動けばいいので、床の抜けた車や助手席のドアが開かない車だって平気で走っていますよ」
と林は興味なさそうに会話を打ち切った。土岐はとりあえず、駐車している車のナンバープレートの州と番号をメモした。脳裏に4桁の数字、3411がこびりついた。それから夜の住宅街の帳の中をどこをどう走ったのか土岐には皆目見当が付かなかった。林は住宅街のこんもりとした潅木の中にある小さなタウンハウスの前で車を止めた。店の看板もなく、普通の民家のように見えたが、数台の大型ファミリーカーが駐車していた。
「予約を取ったのですよ。二人分だけテーブルがあいていました」
とうれしそうに先に車を降りた林の後に土岐はついていった。

ライセンス

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土岐明調査報告書「Nの復讐」20.秘密のアジト

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投稿日:2022/04/03 05:12:46

文字数:3,530文字

カテゴリ:小説

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