最近になって急に気づいたことがある。それは朝の空気が、時々まるで聞いたことのない音を運んでくるということだった。朝の音といえば鳥の声や遠くの車の走る音くらいだと思っていたのに、なぜだか知らない旋律のようなものが耳の奥に残る日がある。音源は見当たらないのに、風がそっと運んでくるような気配だけが鮮明で、私はその理由を探してみたくなった。もしかしたら幻聴なのではと一瞬思ったが、よくよく耳を澄ませると、それは音というより空気の揺れだった。耳が拾っているのではなく、肌が震えを感じているような感覚に近い。そんな曖昧な揺れが旋律めいたまとまりになって聞こえるのだから、不思議以外の言葉が見つからない。
私はその揺れをもう少し確かめたくて、いつもより少し早く起きて家の周りを歩き始めた。街自体はまだ眠っているのに、空だけはすでに準備万端といった明るさを帯びていて、その境界に立つと妙に感覚が研ぎ澄まされる。そこでまた、あの聞き覚えのない揺れがした。方向を探るように静かに目を閉じると、揺れは一定のリズムを持って移動していることに気づいた。まるで道の端から端へ流れていくようで、私はそれを追うようにゆっくり歩いた。すると揺れは私の速度に合わせるかのように強くなったり弱くなったりする。誰かが演奏しているわけでもなく、どこかの建物から歌が流れているわけでもない。それなのに、確かにそこには流れのようなものがある。
その揺れは、街がまだ完全に動き出す前のほんの短い時間にだけ生まれているようだった。太陽が地面の温度を変え始める瞬間、風が一度だけ向きを変える瞬間、人がまだ完全には動き始めていない世界で、空気の粒が小さく震える。その震えがまとまると、旋律のように感じるのかもしれない。そう考えると、あの音の起源が少しだけわかった気がした。人の活動が増えると揺れは消えてしまう。だからあの短い時間を逃すと二度と聞こえない。
私はその揺れを音として楽しむために、最近は歩く速度を変えてみたり、立ち止まってみたりしている。すると揺れの形が微妙に変わって、まるで自分が参加している演奏のように感じる瞬間がある。自然と身体が軽くなるような不思議な感覚で、この時間が一日の始まりになると、気持ちの切り替えが驚くほどスムーズになる。ただの空気の揺れだと言われればそれまでだが、私にとっては短い朝の儀式のようなものになってしまった。
今日もあの揺れを味わえるだろうかと思いながら玄関の戸を開ける。耳よりも先に肌が探し始める。あの小さな震えを見つけられた日は、もうその時点で幸運だと感じる。理由のわからない現象ほど、創作を刺激するものはない。その曖昧さが、今日の私の感覚をまた少しだけ研いでくれる。
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