「……、」
そこには一人の女がいた。
腰まで伸びた長い銀の髪をリボンで結わえて垂らした、二十代半ばくらいの女性。
化粧はせず、良く言えばさっぱり、悪く言えば女らしさの欠けた……それでいて端整な顔立ち。
女性はスタイルも良かった。
出るところは出て締まるところは締められた、完璧なモデル体型。
あともうすこしお洒落に気を遣っていれば、世界中の男が魅了されるだろう。
だが、彼女に声をかける男などいなかった。
客引きですらも、彼女のことを避けるようにして離れていく。
なぜ?
答えは一つ。
彼女は病んでいた。
「……つまらない」
彼女の名前は『弱音ハク』。本名ではない。いわば芸能活動をする上での芸名だ。
それですら、彼女が自分の意思で望んで付けた名前ではない。
『弱音を吐く』という文章に直結する卑屈な名前。
低迷する彼女の活躍具合を誰かがあざ笑って勝手に付けたあだ名だ。
もちろん最初は反発していたが、そう呼ばれ続けるにつれて慣れ――いや、諦めてしまったのだ。
自分はそんな名前で呼ばれるのが相応しい人間なんだ、と。
「……はぁ」
重い重い溜め息をつくハク。
そんな彼女は、今繁華街の表通りを歩いていた。
見渡せば、学校から帰る学生達や、仕事終わりに同僚を誘って飲み屋に行こうかというサラリーマン達の賑やかな姿。
その中、彼女だけが暗く沈んだ――灰色の空間を作り出していた。
がやがやという雑踏から逃れるように、灰色の空間を増殖させていくハク。
「鬱陶しい音……」
ハクは呟く。血のような赤い瞳。空ろなその瞳は、ビルの壁面に設置された巨大モニターを捉えていた。
そこに映るのは、一人の少女。スピーカーから流れるのは、歌声。
『初音ミク』。
十七歳にして世界の誰もが認めるスーパースターに君臨した、紛れも無いトップアイドル。
今や『初音ミク』の事を知らないものはいないし、歌を聴かないものもいない。
ミクの声。
ミクの姿。
ミクの仕草。
誰もがミク、ミク、ミク。
聴く歌聴く歌、全てミク。
「……ぐっ、」
楽しそうな歌が耳に入るたび、ハクはだんだん気分が悪くなっていくのを感じた。
彼女には「歌」に対して異常なまでのコンプレックスがある。
無理も無い。
彼女も、モニターの中で踊る少女と同じ舞台に立っていたはずの、アイドルの一人なのだから。
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