ようやくファミレスへと到着した。時刻は一時半を少し過ぎている。普通の待ち合わせであれば褒められるぐらいの到着時間だ。しかし今回は数日連絡が取れなかった友人から、何やら相談があるから来て欲しいというちょっと重たい待ち合わせなのだ。
貴志子は駐車場に視線を向けた。友人である緑亜紀の黄色い軽自動車を見つけて、待ち合わせの場所がここであったことを確認する。店内に入り周りを見渡すとすぐに亜紀の姿が目に入った。奥のほうの禁煙席に座っている。
「亜紀―――」
貴志子は遅れてゴメンと言おうとしたのだが、亜紀の声がそれを遮った。
「貴志ちゃん!」
亜紀は貴志子の姿を確認するやいなや席から立ち上がり、貴志子のそばまで走ってきた。そして貴志子にすがりつくと目から大粒の涙をこぼした。
「私、私……」
「ゴメンね。すぐに気付いてあげられなくて、親友失格かな。でも挽回するチャンスくらいはあるよね」
貴志子は亜紀をなだめながら、亜紀の座っていた席へと移動した。その際、ウェイトレスにアイスコーヒーを注文する。余計な手間は極力省きたかった。
亜紀を窓側に座わらせ、貴志子は店内側の席に向かい合って座った。
しばらくしてウェイトレスが水とおしぼり、注文したアイスコーヒーを運んできた。亜紀は先にホットコーヒーを飲んでいたようだ。貴志子は喉が渇いていたが、水にもアイスコーヒーにも手をつけず話を始めた。
「何があったの? 話してくれるよね」
「うん……」
亜紀は見た目の通りのお嬢様で、裕福な家庭で育った子だ。それゆえまだまだ世間知らずなところがある。大げさに泣いていたけれど、どうせ大した問題ではないだろう。貴志子はそう高をくくっていた。
「私、私ね」
「うんうん」
貴志子は亜紀が話しやすいように相槌を打つ。
「人を……」
亜紀はそこで一旦言葉を区切った。言い辛そうにしているのがわかる。貴志子は先を促した。
「人を?」
亜紀は息を吸い込むとぼそりと呟いた。
「こ、殺してしまったの」
亜紀の言葉に貴志子は動揺を隠せなかった。それでも動揺してばかりはいられない。ここで自分がしっかりしなくてはいけなかった。
「詳しく教えてちょうだい」
「う、うん。一週間前のことなんだけど、車で人を轢いてしまったの」
車で人を轢いたと聞いて、にわかに話が現実味を帯びてきた。貴志子は慎重に言葉を選んだ。
「警察には行ったのかしら?」
「い、行ってない……」
「ちょっと、それって」
「さ、最後まで聞いて欲しいの」
「ご、ごめん」
貴志子は自分が相当焦っているのだと感じた。親友が轢き逃げしたなんて信じたくない。まずは最後まで話しを聞いたほうが良さそうだった。
「家に帰る途中だったんだけど、その日はちょっと夜遅くなって」
亜紀の家は高級住宅街の一角だ。人通りは少ない。そんなところで轢き逃げなんてあるのだろうか。
「もうすぐ家に着くってところで急に人が飛び出してきたの。ブレーキを踏んだんだけど間に合わなかった。ドンってぶつかる音がしたもの」
亜紀の告白に貴志子は耳を傾ける。言葉が無かった。
「私、怖くてしばらく動けなかった。でも自分のやったことはわかってる。警察に連絡しようとして外に出たんだけど……」
亜紀は言葉を詰まらせた。
「どうしたの?」
「何もなかったの」
「えっ!」
「外に出たんだけど何も無かったの。私、幻だったのかなって思ってた。でも翌日にこんなメールが届いたの」
亜紀は携帯を操作し一つの画像を見せた。
貴志子は携帯を受け取り画像に見入った。黄色い軽自動車が人をはねた瞬間の画像だ。ナンバーから亜紀の車だと一目で分かる。
「次の画像も見て」
貴志子が次の画像に切り替えると、今度は死体の写真が出てきた。服装などから先程はねた人物だと思われた。
「なによこれ、ありえない」
「この画像を送ってきた人からのメールも見て」
貴志子は半ば予想しながら携帯を操作した。メールには予想通りのことが書かれていた。
『お嬢さん、夜道には気をつけなよ。だが運が良い。100万用意しな。そしたら俺が何事もなかったことにしてやる』
「こいつ!」
明らかな恐喝だ。こんな写真偶然で撮れるわけが無い。亜紀は嵌められたのだ。さらに送られてきたメールを見ていくと、100万円を振り込む口座などの情報が載っていた。振り込み指定日は今日だ。さらにご丁寧にも警察に行けばどうなるかなどと言った脅し文句も散々に混ぜてある。
「貴志ちゃん、私どうしたらいいのかな」
「絶対にお金は払っちゃダメよ。一度払ったら最後、ずっと奴らの言いなりよ」
「で、でも。どうすれば」
「ちょっと待って考えてみる」
貴志子はここでようやくアイスコーヒーに口をつけた。
亜紀の話を聞く限り、亜紀の車に人がぶつかったのは間違いなさそうだ。警察が車と死体を調べれば間違いなく合致する。このままにしておけば間違いなく亜紀が犯人にされてしまうだろう。でもそれは間違っている。亜紀は絶対に嵌められたのだ。しかし、どうすれば無実を証明できるのか。
ブルル―――
貴志子の手の中で、亜紀の携帯が震えた。
「メール来たみたいだよ」
貴志子は亜紀に携帯を返そうとして凍りついた。メールの送信者が亜紀を嵌めた犯人だったからだ。
「亜紀。ちょっと待って! 奴からよ」
二人とも息を呑んだ。
「開くわね」
貴志子は亜紀が頷くのを確認してからメールを開いた。
『綺麗なお友達じゃないか。ぜひご紹介して欲しいもんだ。ところでコーヒーは美味しいかい?』
貴志子はハッと立ち上がった。周囲を見渡す。時間はランチタイムの終わり頃、お昼休憩のサラリーマンの姿は無く人はまばらだ。それでもざっと数えただけで20人以上の人がファミレスの中にいた。
「亜紀。奴に見られてる」
貴志子は座りなおすとそっと囁いた。
えっ!と叫びそうになった亜紀の口を貴志子が塞ぐ。
「静かに。悟られないように周囲を観察するのよ。私が相手を揺さぶってみるから」
貴志子は『自分のやっていることが分かってるの! 卑怯者!』と返信した。
「亜紀、周囲で携帯をいじっている奴を探して」
貴志子は自分が店内の様子を探ると不審がられるだろうと亜紀に様子を探るよう頼んだ。亜紀ならば振り返らずとも店内の様子をそれとなく探ることが出来る。
「うん。わかった」
亜紀は貴志子を盾にしてチラチラと周囲に視線を彷徨わせた。
「どう?」
「……ダメみたい。遠いし、手元でピコピコやられたら確かめようがないかも」
「うーん」
貴志子は唸った。いきなり正体が分かるとは思っていなかったが、こうなってくると非常に困る。名探偵なら僅かな情報から犯人の位置を特定するのだろうが、貴志子にはそのようなスキルは備わっていなかった。
メールが返って来た。奴からだ。
『お前らこそ自分の置かれてる立場が分かってるのか? 100万払えないなら、身体で払ってくれてもいいんだぜ。ヒヒヒ』
いよいよもって下劣な欲望を剥き出しにしてきた。貴志子は怒りから携帯を握り締めた。こんな卑劣な犯人のいいようにされてたまるかという思いが湧き上がって来る。
キッと携帯の画面を睨みつけた瞬間、いきなり画面が切り替わった。
「あは~ん。そんなに握り締めて、熱烈ね」
「きゃあ!」
貴志子は携帯を落としそうになった。あの妙なウイルスがいきなり亜紀の携帯に出現し、気持ちの悪いことを喋ったからだ。貴志子の携帯から亜紀の携帯に感染したと考えるのが妥当なのだろうが、それにしても妙だ。始めてパソコンで感染を確認してからこれまで、このウイルスは貴志子にまるで喋りかけているかの如き振る舞いをしてくるのだ。
貴志子は恐る恐る自分の携帯を開いた。そこには見慣れた待ち受け画面が映っていた。あれだけうるさかったウイルスの姿が無い。貴志子は脳内で仮説を立てた。このウイルスはパソコン、自分の携帯電話、亜紀の携帯電話と移動してきたのではないかと。
「なに神妙な顔つきになってるのよ」
「なるほど……」
妙なウイルスが亜紀の携帯から自分の携帯に戻ってきた。亜紀の携帯にはもうウイルスの姿が無い。どういうことか理解不能であったが、こいつはネット上を自由に行き来できる単一の存在であると貴志子は仮定した。
「ね、ねぇ、貴志ちゃん。さっきから何やってるの?」
「私も頭痛くなってきそうだから説明は省かせて。お願い」
亜紀の目には貴志子が携帯の画面を見ながら一人でブツブツ言っていると映っているのだろう。
貴志子は亜紀の目を気にしながらも、ウイルスに向かって話しかけた。藁にもすがる思いというのだろうか。頭では馬鹿げていると思いながらも、もしかしたらという秘かな期待感があった。
「ねぇ。今どこからメールが送られてきたか分かる?」
「フフ、当たり前でしょ」
なぜか会話が成立する。そしてウイルスはどこから送られてきたのか分かると答えた。貴志子は考えた。犯人はこのファミレス内部にいる。問題はどうやって追い詰めればいいのかだ。
「事情は察してるわ。あなたが私に協力してくれるなら、私がこの問題を解決してあげてもいいわよ」
「わかったわ。約束する」
貴志子は安易に考えていた。そもそも本当に問題が解決するのか半信半疑であった。
「その言葉を忘れないように。じゃあ、ちょっと準備するから待ってなさい」
そう言うとウイルスは携帯から姿を消した。携帯には、いつもの待ち受け画面が映っているだけだ。
「ねえ、どうしよう。貴志ちゃん」
亜紀は半泣き状態だ。貴志子にも何がどうなるのかまだ分からない。それでも貴志子は亜紀に安心させる言葉をかけた。
「もう大丈夫よ。今、手をうったから」
「本当! さすが貴志ちゃんだよ」
亜紀はパッと表情を変えた。信頼している貴志子の言葉に安心したようだった。それを見て貴志子は不安になった。あの変なウイルスを信用して良いものかどうか。解決しなかったら、きっと亜紀は私を軽蔑する。軽薄な人物だと思うだろう。それが怖かった。
ウイルスが画面から消えて何分経っただろうか。数分しか経ってないのに、重大なことを待っている身としてはその数分が長く感じられた。貴志子がやはりあんなもの信用するんじゃないかったと思い始めたとき携帯の画面が切り替わった。
「お待たせ。準備完了よ」
奇妙なコンピューターウイルスは未だ姿形がはっきりしない。それでも貴志子にはウイルスがニヤリと笑ったのだと感じられた。
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