そして。

　1年後。シンは会社勤めをやめて、作家業に専念することにした。相変わらず締め切りに追われてばかりいるが、書く事だけに集中できる分少しだけ楽になった。固定の読者も増えて、作品の一つが映画化されることも決まり、作家としては順風満帆だった。
　相変わらずカイトやメイコと仲良くしてもらい、遊んでくれる友人知人がいて、でも恋人はいなくて。
　手を伸ばしてもルカがいないことが、やっぱり寂しくて。けれどその寂しさにも慣れてきて。
　そんな頃、ルカの姿を画面の向こう側で、見つけた。アメリカで売れたので日本でもデビューすることになったルカのプロモーション映像だった。
　何も無い真っ白い無機質な空間の中で、ルカは歌を歌っていた。黒いドレスに身を包み薄紅色の髪飾りをつけた姿はまるで人形のように美しく、しかし甘く少しだけかすれた声が、彼女が血の通った存在だと示していた。
　耳に馴染んだその声に、シンは思わず触れようと手を伸ばし、指先に感じた固いディスプレイの存在に我に返った。
　どうやってもルカには手が届かない。胸が痛む。慣れたはずの痛みなのに、やっぱり痛い。
　やっぱりまだ好きなのだ。ルカのことが。
　しばらく触れていなかったピアノに手を伸ばした。時計を見ると深夜と言ってもいい時間。近所から苦情が来てしまうかもな。と思いつつシンは鍵盤の上に指を滑らせた。
　指が硬くなって思うとおりに動かない。ことさらゆっくりと丁寧に、シンは音を紡いでゆく。今、自分が奏でる音は、ルカにはどんな風に聞こえるだろう。そんな事を思いながらシンはピアノを弾いた。
　この曲を弾き終えたとき、あの小さな拍手が聞こえてくることを。光の中でルカが微笑んでいる姿があることを。
　ありえない願いを、シンは願った。