お別れの時期がやって来た。
自分の年齢すらも覚えていないが、
周りからは、
おばあさんと呼ばれるようになった。
今まで書いた物語を読み返すが、
あの頃の気持ちが分からなくなっていた。
私は今まで何を成し遂げたのだろう?
多分、何も無い。
名誉も勲章も、財産もない。
残ったものは、
今まで書いた自己満足の言葉と、この体だけ。
このちっぽけな命を悲しむ者はいない。
叱る者も笑う者もいない。
誰かを憎むのも、自分の正しさを振り回すのも、
過去に執着するのも、
理想を追い求めるのも飽きてしまった。
数え切れない程の罪を犯した。
贖罪しようにも、しきれない程に、
愚かな人生だった。
騙し騙されながら、多くのものを失った。
後悔や失敗ばかりしてきた。
馬鹿をやって、恥もかいた。
出来損ないだと馬鹿にされたし、否定もされた。
嫌われ者である事を自覚しながら生きてきた。
裏切りもあった、大切な人も傷つけた。
愛が足りなかった。
誰かの特別な存在になりたかった。
差し伸べられた手を拒んだ。
自分が出来ないことを、
当たり前に出来る周りを見て妬んで、
言い訳ばかりを探す日々。
とにかく、劣等感の塊だった。
自分の弱さを認めず、努力から逃げ、
成長を諦めた。
自分が自分じゃなくなる気がして怖かった。
そう、過去の自分が言っていた。
成功と言える程の立派な偉業を成し遂げたわけでも、誰もが思う当たり前を生きてきた訳でもない。
今まで自分が嫌いだったが、
今になって思えば悪くは無い。
誇れるものは何一つないが、
自分の中でそう思えた。
………………………………………
三〇二号室の毬栗さんが言っていた。
人生とは、料理みたいなもの。
作り上げるまでは一苦労。
なのに、食べるのはあっという間だ。
私もその通りだと思った。
二〇三号室の水谷さんは、面白い人だった。
夢に見た出来事や、誰かから聞いた噂、
不思議な体験をする度、
私にそれを話してくれた。
その中でも特によかったのは、
死ぬ間際に蝶々を見ると、
来世に行けるという話だった。
嘘か本当かは分からないけど、
私は、その言葉を信じてみることにした。
私のいる病室に、担当の医師が入って来た。
容態のチェックを終えると、
直ぐに部屋を出ていった。
相変わらず、隣のベッドは空いていた。
時折、
幼い少女が寂しげな表情で私を見つめていた。
「体調の方は大丈夫ですか?」
ベッドの上で微睡んでいると、
若い看護師が病室に入って来た。
どうやら彼女は、点滴の交換に来たらしい。
看護師が一つ尋ねてきた。
「蝶々は見れましたか?」
私は黙ったまま首を横に振った。
どうやら看護師も、水谷さんから聞いたらしい。
私は、にこやかな表情で、
会えたら報せるとだけ言っておいた。
看護師は用を済ませると、
誰かに呼ばれたらしく、足早に病室を去った。
私はまた一人になった。
見舞いに来る者は一人もいなかった。
私は再び、窓の外を眺めることにした。
結局、この世界はなんなのか、自分は何者なのか、自分が納得出来る答えは得られなかったが、
今更、何を考えようと手遅れだ。
泣きたいが、涙は枯れてしまった。
隣にいるのは、愛する者ではなく、幼い頃の私。
そして、百合の花が添えられた花瓶の縁には、
青く綺麗な蝶々が止まっていた。
静かな空間、木漏れ日を浴びながら、
晴天の空を見上げる。
孤独な女は、自分自身に別れを告げ、
ゆっくりと目を閉じた。
END
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