サッポロドームの周囲は、文字通り人の壁が出来上がっていた。耳にしたイヤホンから流れるストリーミングテレビの、彼女に熱狂するアナウンサーの声なんか聞こえやしない。誰しもが熱に浮かされたように、初音ミクの名を呼び続ける。
最寄りのモノレールの駅を降りて、人の壁をひたすらにかき分ける。様々な言語で書かれた「チケットを売ってくれ」という看板を横目に歩いていく。
「聞きましたか? 今日のライブでは、サプライズの発表があるそうですぞ」
「気になる気になる。なんだろうね、サプライズって。誰も知らないんでしょ? こういうのって、普通どっかからか流出しちゃうもんだと思うんだけど」
「それは危機管理が緩いだけでござる」
その通りだ。よくわからんジャパニーズニンジャみたいな喋り方をする奴の横を通りながら空を見上げると、ドームの頭上に彼女のバストアップが見える。
空間投影型ディスプレイが、彼女の映像を流していた。HATSUNE MIKU History。うわ、アレマジで百年前の映像じゃないか? 透過スクリーンで、あたかもステージの上を走り回っているかのような錯覚を抱かせる、3Dモデルの歌姫。今となっては荒いポリゴンに変な質感の映像だが、当時にしてみれば最新だし、斬新だったのだろう。
「あ、アレ、百年前のミクの日感謝祭じゃない?」
「ホントだ」
そういって指差した隣の女の子二人組は、揃って緑のツインテールだった。その髪の毛は、最新の染毛技術を使っているからか、ウィッグの不自然さはない。片方は白いブラウスと黒いスカート、それに黒いニーソックスと、初音ミクの伝説的な楽曲、ワールド・イズ・マインのPVでの初音ミクの格好をしている。それじゃもう片方は、と見れば、これもまた初音ミクの格好で、今度は初音ミクのゲーム(PSPとかいう最初期携帯ハードで作られたものだ) のナチュラルモジュールだったと思う。カジュアルっぽい黒いキャミソールに、白いパーカー。下は赤とチェックのスカートと、同じ柄のボーダーのニーソックス。更に顔に乗った、赤いフレームの眼鏡。多くの人々に今も人気な、メガネミクの始祖的な存在だとかなんとか。
「あの頃がすっごく羨ましいよ」
ワールド・イズ・マインの格好の女の子がため息をついた。眼鏡の少女は、それに答えるように首を傾げる。
「そうかな? 私は今も好きだけど」
「ミクが生まれたばかりの時にいたかった。あの一体感は、きっと今じゃあんまり味わえないんじゃないかなぁ」
しきりに残念がる彼女の感傷は、きっと、誰もが思うものなのだろう。ここまで広まってしまい、もはや知らない人もいないと言われるほどに有名なアーティスト。生まれたときから共にあったのなら、彼女が初めてこの世界に生まれ出でたときの衝撃は、恐らく想像も出来ないのだろう。それは、俺も同じだ。
「でも、今のミクのおかげで今が私があるから、私は今のミクが好きかなぁ」
「それを言っちゃオシマイでしょ。あたしだって今の好きだし」
だよね、と笑いあう二人の声はそれほど大きくなく、ともすれば雑踏に消えてしまいそうだけど。それでも、確かに響いている。
微笑ましく思いながら歩を進める俺の身体が、誰かにぶつかる。すいません、と詫びた俺に、ぶつかった主は詫びを返す代わりに
「あんた、何してんの? もう開場してるんだけど」
なんて、割と容赦のない一言を寄越してきた。
「なんだ、おまえか」
「なんだ、とは失礼じゃない? あんたがいつまで経っても来ないから、こうして迎えに来てあげたんでしょ」
顔を上げた彼女は、さも当然であるかのように俺を睨む。柔和な顔つきの割に性格が厳しいのは、あいつのキャラクターに影響を及ぼしてそうだな、と頭を過ぎった。
「何考えてる?」
「何も」
うそつけ。彼女は悪戯っぽく笑う。さっきの女の子たちの影響か、ワールド・イズ・マインの歌姫の姿が脳裏をちらついた。
「スタッフ入口はあっち。ほら、急ぐよ」
楽しげな彼女は、俺の手を引いてぐいぐいと人の波をかき分けていく。左右には、めいめいにお祭りの開幕を待つ人々の姿。ミクや、あるいはこの百年で数多生まれたボーカロイドに扮する人。似合ってないが、女装もいた。本人が楽しければいいのかもな、とか思う。自分の身体を使って表現を行う人もいれば、ギターを背負う人もいる。さすがにドラムはいなかったが、キーボードは垣間見える。そこここで出来ている人だかりは、小型の投影端末を使っての即席ライブステージだろうか。
「みんな、楽しそうだね」
いつの間にか引かれていた手は離され、彼女は俺の隣に立ち、沸き立つ人々を共に眺めていた。その顔に浮かんでいるのは、まるで悪だくみをする子供のようだ。
「これから、この人たちどうなると思う?」
「さぁ」
「興奮しすぎて死んじゃうんじゃない?」
「……さぁ」
それは、実際のところ、俺も同じだ。
周囲の熱にあてられて、ではないが、周囲が盛り上がりまくっているおかげで、かろうじて叫びだすのを堪えられている。
「早く行きましょ。調整は大体済んでるけど、そろそろライブが始まるし、それに」
「それに?」
彼女は俺の手を引いて歩き出しながら、悪戯っぽく笑う。
「早く、会いたいでしょう?」
会いたい、という言葉が、妙にくすぐったい。
「……ああ」
力いっぱい頷いた俺の表情は、はたしてどんなものだったのか。彼女はくすくすと楽しげに笑って、先ほどよりも大きな歩幅で突き進む。
スタッフ入口はもうすぐだ。
高鳴る鼓動は、どうやっても抑えられない。今は、それが手をつなぐ彼女に知られなければいいな、と思う。
ドームの中に入ると、外の喧騒はいきなり遠のいた。それでも興奮の波は確実にここへも伝わってきていて、忙しなく右へ左へと駆けまわるスタッフは何かに急かされてでもいるかのようだ。
彼らとすれ違いながら、二人で並んで歩く。二人が並んで、さらにスタッフが走っても余裕があるほど広い廊下は、もともと札幌を拠点とする野球チームのために作られたから、だろうか。
「……あんたは、そうだったよね」
ドームに入る前からの沈黙を破り、彼女が口を開いた。
「何が?」
「チャットでも、あんまりしゃべるタイプじゃなかったでしょ。でも、誰よりも先に進もうとしてた」
傍らの彼女は、よくわからない目線で俺を見上げている。それになんて答えたものか、曖昧に肩をすくめて、先に進む。
「ね、なんで?」
「何が?」
「ほんと、そればっか」
馬鹿にしたわけではない、小気味の良い笑いだった。むぅ、と頭に手をやる。彼女は、何を訊こうとしていたんだろう。
「なんで、あんたはそんなにも前に進もうとしたの? 言っちゃえば、これって趣味みたいなもんじゃない? 百年の間、数多くの人々が趣味にしてきたもので、私たちが頑張ったとして、それが何かになるって訳じゃないでしょ」
「まぁそうだろうなぁ」
自分でも、あんまりメリットがないことはわかっている。その時間を別のことに、例えば仕事に費やせば、それだけいい暮らしが出来るだろうことは、想像に難くない。
でも、見てしまったから。
打算もなく、ただ純粋に。その光景を、見たいと願ったから。
「そういうお前は?」
「私? 私はほら、あれだよ、おじいちゃんの影響」
「お祖父さんの?」
うん、と頷いた彼女は、ちょっと照れくさそうに笑った。
「おじいちゃんは、そりゃもうすごくボーカロイドが好きでね。色々なものを創ったりしてたんだけど、どうしても出来なかったことがあって。当時の技術力じゃ、まぁ無理だったんだろうけど。そういう心残りを聞かされて、私は大きくなったのよ」
なるほどな。浮かんだ笑みは、そんな彼女の様子が、普段のそれとは違って、初々しかったからだろうか。
「何笑ってんのよ」
「別に」
きぃ、と振り上げられた拳から逃げる。俺も彼女も、どこか浮足立っているようだ。まぁ、それは否定しない。それだけ今日が特別で――ある意味では、一つの終着だから。
廊下の突き当りにあったエレベータに乗りこむ。地下へと降りていく小さな箱。
会話なく壁に寄り掛かった俺は、ふと、先ほどの問いに答えていないことを思い出す。
「――夢、だったんだ」
「え?」
怪訝な顔は一瞬。彼女は、持ち前の回転の速さで、すぐにそれが先ほどの会話を指していることに気が付いたようだった。
「残念だけど、俺は音楽の才能がなかった。……ああいや、才能の有無の話がしたいんじゃないんだ」
ありふれていたボーカロイドに、何かを歌わせてみよう。それは多分、今なら誰しもが一度は考えて、興味本位でやってみることだと思う。
今まで数々の人々が数々の名曲と呼ばれるものを生み出してきた。自分もそうありたいという欲求は、当然出てくることだ。
でも、俺には出来ないとすぐに悟った。
諦めが早過ぎる、と言われればそうかもしれない。だけど、一度無理だと思ったことをいつまでも続けられるほど、俺は忍耐があるわけじゃなかった。
これは、きっと俺じゃない誰かがやってくれると。そう思ったら、何か別のことがしたかった。
「もっと歌が聴きたかった。彼女がここにいるんだと、声高に言ってやりたかった」
百年だって、二百年だって。彼女は、その歌声は不滅なのだと。いつまでだって受け継がれていくんだってことを、証明したかった。
「それが、夢なんだ」
「ふぅん」
何の気なさそうに、彼女は言う。減速するエレベータが、目的の場所への到達を知らせる。
「君の夢は、叶うよ」
開いたドアを潜りながら、彼女は言って――
小説化 Tell your world 02
Everyone,creator!
ただでさえ天使のミクさんがGoogleとコラボしたlivetuneさんのTell your world.のノベライズです
3までありますのでどうぞよろしくほしみ
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kurogaki
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