2、女の子の世界
大杉円香の場合
あたしはいま。イライラしている。
理由は朝の権弘が言った一言だ。
「こいつとカップルとかごめんだよな」
こんなことを言われてなぜかわからないけれど腹が立った。しかもあたしに同意を求めてくるし……。そんなこと言われたってわからないよ。
私は十四年近く権弘と一緒にいるけど。権弘の心がよくわからない。一緒にいるからだといって心の中までわからないのね。
ベッドの上でため息を吐きながら携帯電話をいじる。今年買ってもらったばかりの赤色の携帯電話はこんな時代に珍しいガラケーだけどあたしにはとても新鮮だった。この鮮やかな赤のフォルムがとても気に入った。
適当に携帯電話をいじっていると携帯電話が突然音をたてた。着信音は「super cell」の「銀色飛行船」だ。サビの盛り上がるところがとても好きだ。この音が鳴るときは電話がかかってきたということ。音楽に耳を傾けながら携帯電話の液晶部分に目を向ける。かけてきたのは渚だった。私は応答ボタンを押して携帯電話を耳に当てた。
「もしもし?」
『もしもし? もう大丈夫かな?』
「ん? なにが?」
『なんか円香、学校でイライラしてたから……』
「ああ。あれは権弘に対してよ。あんな無責任なこというからあたしを怒らせるんだから」
今の気持ちをコンパクトに収めて渚に言った。
『ごめんね。あの話切り出したの私だから……』
「ああ。全然いいよ。結局言ったのは権弘だし」
『そっか……ねぇ。円香ってさ……』
「ん?」
渚の言葉が一つ詰まって出た。
『エノヒロ君のこと好きなの?』
詰まって出た言葉がこれだった。なんとも奇想天外な言葉だろうか。でもなんか胸の辺りがモヤモヤする。
「あたしは、あんなやつのこと。好きじゃないわよ」
『は~。そっかぁ』
まだ胸のモヤモヤは取れない。
「ていうか、あいつのこと好きなの渚でしょ?」
「……うん……そうだよ」
渚はそう言うと黙り込んだ。
「もう、架空の人は使わなくていいね」
『うん。カノっていう架空の人はね』
「本物きちゃったもんね」
あたしがこう言うと渚は「ふふっ」と笑った。
もともと、あたしが考案した「カノ作戦」。
渚が「エノヒロ君と仲良くしたいけどどうすればいい?」って言い出したからこの作戦を思いついた。
内容はこうだ。架空の人物「カノ」という人をつくる。そして渚はその人のことを好きという。そうしたら権弘は「おれが手伝ってやろうか?」とか言い出すはずだから、それで当分は仲良くできる。
あたしにしてはよくできた作戦だとおもう。うん。
「おーい、円香。飯だぞ」
下で権弘の声が聞こえる。今日はあたしのお母さんとお父さんが朝まで帰らないから権弘とあたしでご飯を食べることになっている。あたしより権弘の作るご飯のほうがおいしいから作ってもらっている。
「わかった。今行くよ」
権弘に返事をして携帯電話に話しかける。
「ごめんね。権弘が呼んでるからいくね」
『うん。わかった。じゃあね』
あたしは渚の声を聞いて通話を終了した。
「はぁー」
通話が終わった後、なぜかため息が出た。
なんのため息だろう。
胸の辺りがモヤモヤする。
なんでだろう?
権弘の話をしてからだ。
まさか意識しているのかな?
まさか嫉妬しているのかな?
でも、あたしは渚の恋を応援している。
あたしは少しの動揺を隠してリビングに向かう。
リビング内ではキッチンから流れてきた夕飯の匂いが充満していた。
権弘はキッチンで洗い物をしていた。準備がいいことにテーブルの上には夕飯の準備が整っていた。
「今日のご飯はなに?」
「みりゃわかるだろ。お前の好きなオムライス」
「えっ! やったー」
あたしはそう言って椅子に座った。
「今日お前の機嫌が悪かったからな。うまいもん喰ったら機嫌よくなるかなーって思ってよ」
権弘……。そこまで考えてくれてたんだね。
「あんたの料理がいつもうまいわけじゃないよ」あたしはどうしてか権弘に対して口下手で。こんな言葉しか出てこない。
「うるせーよ」
権弘は口元に笑みを浮かべた。
「お前も下手だよな」
洗い物を終えた権弘はタオルで手を拭いて言った。
「なにが?」
「おれをほめることが」
権弘はそう言って洗濯機にタオルを入れに行った。
「下手じゃないよ」
「いいや。お前は口下手だな」
廊下のほうから権弘の声が聴こえた。うん。あたしは口下手だよ。
「てか、洗濯機回していいの?」
「いいけど。先に食べようよ。おいしい権弘のご飯が冷めちゃうよ」
「たまにはいいこと言うじゃないか。そうだな。先に食べよう」
あたしたちは手を合わせてオムライスに手をつけた。
加治屋渚の場合
ここはどこ?
夢の中かな?
私の目の前は真っ白だ。
真っ白の長方形の箱に入れてあるような感覚だ。
そこであることを思い出した。
一ヶ月前
エノヒロ君と手を繋いだ。
温かかった。
優しかった。
手袋越しでよく判らなかったけど。
たぶんものすごく緊張していたと思う。
心音伝わってなかったかな?
大丈夫だったかな?
こう悩むとキリがない。女の子は色々大変だ。
好きな人のことで一喜一憂とかして。
嫉妬して。
男の子はそんなことないと思う。
大変なのは女の子だけかな?
こんなに苦しい気持ちになるのは私だけかな?
エノヒロ君はあの時、緊張していたのかな?
そんなことを思うと、私の足元に黒い渦ができた。そして黒い渦は私の足を引き込んでいく。
気持ち悪いとか思われなかったのかな。
私は少し、人間不信だ。
よく人を信じることができない。
すぐ疑ってしまう。
疑って疑って疑って。真実に辿り着いたらほっとする。
そのうち、どんな人でも疑ってしまう癖がついた。
こんな自分が嫌だ。嫌だ。
そう思ったらもう私の体は全て渦に飲まれていた。
*
「どうしたの?」
誰かの声で起こされる。目を開けると鹿野君が私の顔を覗いていた。そうだ。ここは学校だった。
「体調悪いの?」
「ううん。ちょっと寝てただけ」
「すごくうなされてたよ。大丈夫?」
「大丈夫だよ」
そういえば今は昼休みだった。円香と中庭でご飯食べてから眠くなったから教室で寝ていたのだっけ?
「ここで寝たら風邪引くよ。寝るなら図書室とかで寝なきゃ」
「うん。そうだね」
私はそう言って立ち上がる。すると背中には男子の紺色ブレザーがかかっていた。ふと鹿野君を見ると鹿野君はブレザーを着ていなかった。
「これ、鹿野君の?」
「うーん。まぁ僕のだよ」
鹿野君は自分の椅子に座った。私のためにかけてくれたのかな?
「あ、ありがとう」
「迷惑だったかな」
鹿野君は優しい笑みを浮かべて言った。
「ううん。全然。逆にうれしいよ」
「そっか。じゃあもっと寝ててもよかったのに」
そう言って鹿野君はまた笑った。
「鹿野君ってさ」
「ん?」
鹿野君がそう言うと私はブレザーを返した。
「よく笑うよね」
「うん。笑うよ」
そう言うとまた笑った。
「ほら、また笑った」
「なんか笑わないとやっていけなくてね。ほら、ストレス解消ってあるでしょ? 僕はそれを笑うことでしてるんだよ。たまにつらくなるけど、なんとか笑ってるんだよ」
「なんか、意味深だね」
「そう? 単純なことだと思うんだけどな」
鹿野君はそう言って一つ息を吐き出した。
「今日は寒いね」
「うん。寒い。鹿野君学校慣れた? もう一週間経つけど……」
「そっか。もう一週間か。じゃあもう二月だね」
「うん。二月だよ。だから寒いんだよ」
鹿野君と一緒に授業をやってみると、案外活発な人で文武両道の人だ。性格も明るくマイペース。いつも笑って過ごしている人という印象が強い。
突然。鹿野君の手が私の手を掴んだ。
「え、なに?」
私はいきなりのことで鹿野君の手を振り払ってしまう。
「いや、おれのメアドだよ。携帯電話持ってるってエノヒロが言ってたから……。いらない?」
「違うよ。いきなり手を握られたからびっくりしただけ。アドレスくれるかな?」
私は右手を差し出した。すると鹿野君はそこに優しくアドレスを書いた紙を置いた。
「できれば、エノヒロにも渡してもらいたいな」
「うん。わかった」
「そうしたら喋る口実もできるでしょ?」
鹿野君はそう言って笑った。
「え、もう知ってるの?」
「なにを?」
鹿野君は首を傾げる。
「わ……私がエノヒロ君のことを好きだってこと」
「あ、その事なら知ってるよ。だから口実ができてよかったね」
鹿野君はそう言って右手の人差し指で口を押さえた。
「でも、おれの前であんまりその話しないでね」
「え、どうして?」
「うーん……」
鹿野君はしばらく考えて口を開く。
「理由はあるけど言わないことにしておくよ」
「えー。なにそれ。気になるじゃん」
「僕はじらすのが好きだよ」
鹿野君はそう言って椅子から立ち上がり窓際に移動する。そして窓を指差した。窓の向こうには空からちらほらと白い物が落ちてくる。久しぶりにみた。
「雪だ!」「雪だ!」
私の声と鹿野君の声がかぶる。
「雪なんか久しぶりだよ」
「なんか加治屋さん。子供っぽいね」
「雪を見るとみんな子供みたいに喜ぶよ」
私はそう言って外の雪景色に見入っていた。
「ねぇ。加治屋さん」
「ん?」
鹿野君は窓際の椅子に座って肩を落とした。
「急だけどさ……。おれの悩み聴いてくれるかな?」
鹿野君はまた笑った。でもその表情に浮かべられた笑みは、どこか悲しそうで。なにかを押しつぶしているような顔だった。
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