22.
 その先輩は、現役高校生にしてアイドルの頂点に君臨している。
 画面の向こうにいる姿はあまりにも華々しく、手の届かない遠くにいる人だということを私たちは否応なく実感させられてしまう。
 そして彼女は、我が巡音学園が誇る現役女子高生アイドルである以上に、間違いなく一流のアーティストだった。
 一年半前に出たデビューシングルは残念ながらそこまで成功を収めたものではなかったが、彼女の驚異的な歌唱力は聴衆をたやすく虜にした。新曲を発表するたびに凄まじい勢いでファンを増やし、半年前に出たファーストアルバムは、未だにランキングの上位をキープしている。
 彼女の衣装の色でもある鮮やかな赤は、彼女のトレードマークとなっている。
 アイドルということを考慮すると、色はともかくややシンプルで、控えめとさえいえるデザインその衣装は、しかし、激しいダンスを繰り広げる彼女にはそれ以上に似合う衣装など無いだろうという確信を抱かせる。
 鮮やかな赤のノースリーブのジャケットは、丈が短くお腹をむき出しにしている露出度の高いものだ。激しいダンスのためか、きっちりと閉じたそのジャケットの内側には、私よりも大きいと噂される巨乳が隠れている。いや、存在感ありまくりで全然隠れていないのだけれど。下にはいているのは同色のぴったりした超ミニスカートである。少し大きめの黒のベルトをしている他は、フリルだとかいった装飾品とも言えるものは一切ない。ダンスをする手前、やはりカメラ小僧が怖いのか、黒のスパッツもはいているが。彼女の衣装は余計な飾りが無いぶん、彼女の肌の大部分が露出していてスタイルのよさが際立つ。だが、そこはやはり年齢のおかげかセクシーさよりもボーイッシュだとか快活さだとかいった印象の方が強い。ステージ上では、どれだけ動いても息が切れずに歌声も高いクオリティでキープしているのだから、脱帽としか言いようがない。その高いポテンシャルのせいで、何度口パクだと疑われてしまったことか。
 彼女のぱっちりとした両眼は、黒というよりはダークブラウンといったほうが正しいだろう。小さな鼻梁に細いあご、見るからに柔らかそうな桜色の唇など、びっくりするくらい、こちらが萎縮してしまうほどに可愛らしい顔をしているのだが、その顔だちのせいか、あまり声量があるようには見えない。正直、どこからあれほどしっかりした声が出ているのかと思うほどである。やや暗めの栗色の髪の毛は――彼女の瞳より、ほんの少し明るいくらいの色だ――シャギーを入れたショートボブで、ダンスに合わせて激しく乱れる髪の毛はこんなにも女らしさを感じるにもかかわらず、どことなくかわいい、よりも格好いい、という言葉が浮かんでくる。
 それにしても、テレビ画面に映るには場違いなほどの素直そうな、柔らかな笑みを絶やさない元気な姿と、この椿寮にいるときとのギャップは一体なんなのだろうか。
 その姿ですら限られた人しか知らないのだが、いやしかしそれにしてもあれは……。
 ……まぁそれはいい。かの女帝は私の先輩なのだし、私が口出しするべきことでも心配すべきことでもない。
 そんな彼女、表も裏も含めて巡音学園の頂点に君臨する(この場合は、学園長である私のおばあさまは除くが)女帝、咲音メイコその人が、変態と変態が激闘を繰り広げる階段の上、二階から現れたのである。
「あ、メイコせんぱーい!」
 現状の深刻な状況を欠片も理解していないお気楽な調子で、初音さんが階上の咲音先輩へと声をかける。無論、着替えなどしているはずのない彼女は下着姿のままだ。
「あらー。ミクちゃん、そんな格好であたしを誘惑したいの?」
「え? あ、メイコ先輩、あの、これは、そうじゃなくて、えと――」
 どことなく妖艶な表情の咲音先輩――すでに、かわいさとかボーイッシュさとかはどこかにいってしまっている――に、さすがの初音さんもうろたえる。
 咲音先輩は、寮内なのでもちろんいつもの衣装など着ていない。制服も着替えて私と同じようなジャージ姿だった。とはいえ、トレードマークの赤はやはり自分の好きな色なのだろう。学校指定の薄ピンクのジャージではなく――私がいま着ているのも違うが、この学校指定のジャージは女子にはともかく、男子には凄まじいまでに不評である。カイトさんが生徒会で議題としてあげたほどだ。変更にかかる費用が問題となり、議題は通らなかったが――ビビッドな赤のジャージだ。私と違って短パンのせいか、普段はやはり行動派の雰囲気がある。……今は違うということだけは強調しておく。
「ミクちゃんは肌が綺麗よねぇ。すべすべしてて気持ちよさそうだわぁ」
「め、メイコ先輩ったら、やだ、そんなに褒められると恥ずかしいですよぅ……」
「いいじゃない本当のことなんだから。指もほっそりしてて羨ましいわねぇ。あ、そうだ。ねぇミクちゃん、その綺麗な指であたしの全身をくまなくなで回してくれないかしらぁ」
 なにやら怪しげな笑みを浮かべて、咲音先輩は両手をいやらしく動かす。……その時、気づいてはいけないものに気がついてしまった。先輩の左手にはかなり大きめのビンが握られていたのだ。それはいわゆる、一升瓶というやつだ。なにやら妙に達筆な雰囲気の漢字が記されたラベルがはってあるが、知りたくなかったのでちゃんと見なかった。いやいやいや、咲音先輩はまがりもなにも巡音学園の三年である。つまるところ彼女が何才なのかという点については、回答を断固拒否する。彼女はどこからか手に入れたあのビンにミネラルウォーターを入れて飲んでいるだけである。ただそれだけのことだ。きっとそうだ。そうに違いない。それのいったいどこに問題らしきものがあるというのだろうか。いや、なにも問題はない。ないったらないのだ。
「な、なで回すって……」
「心配なんてしなくて大丈夫よ。ただのマッサージだってばぁ。あたしの胸とかお尻とかよーく揉んでほしいのよぉ」
「え! あ、あたしがメイコ先輩のむ、むむむむむねを……」
「もちろんタダでとは言わないわぁ。ミクちゃんもちゃーんと気持ちよくしたげる。快楽の虜にさせてあげるわぁ」
 ……ここには変態しかいないのだろうか。
 こんな台詞、絶対に先輩に向かって言うことなどできないけれども。
 初音さんを危ない地平線へと連れ去ろうとしている咲音先輩は、顔がどこか不自然に赤いような気もする。初音さんだって咲音先輩に負けず劣らず顔が赤いが、こっちは原因がはっきりしているので別にどうでもいい。が、咲音先輩は問題である。なんと言っても、原因があの左手の一升瓶以外に見当たらないからだ。いやそんなことはない。そんなはずはない。だってあの一升瓶の中身はミネラルウォーターだもの。そう、単なる水でしかないのだから、それを飲んだところでなにも起きるはずがないのよ。当たり前じゃない。
 書き手は……我らがマスターは未成年の飲酒に反対しています!
 別にそんなことをしている人なんて絶対に、どう考えてもいないので、まったく関係ない文章だけれど、未成年の飲酒に反対しています! 大事なことなので二回言いました!
 ……だからお願いします。どうかピアプロから削除しないでください。
 ――などと私が必死の懇願をしている間に、女帝は誘惑を続けていた。
「ほぉらミクちゃん、早くあたしの部屋でいいことしましょおよぉ」
「……咲音先輩。お願いですから、初音さんをからかわないで下さい。彼女は荒唐無稽なことでもすぐ丸め込まれてしまうのですから。今だってこんなに顔を赤くして……」
 思わず話に割り込む。が、かの女帝に私がかなうはずもなかった。
「なぁによルカちゃん、失礼しちゃうわね。からかってなんかないわよ。あたし本気だもの」
 平然と告げる女帝に、私は思わずつぶやいてしまう。
「より悪いですよ……」
「ん? なぁにか言ったかしら?」
 女帝の瞳がキラリと鋭い光を放った、気がした。
「あ、いえ、なんでもありませんごめんなさいどうか許して下さい命だけは助けてください」
 私の全面降伏に、女帝は満足そうにうなずく。
「わかればよろしい」
「……」
 私はいろいろと諦めて、隣に立つ下着少女を見やる。と、当の下着少女はうつむいてなにやらぶつぶつとつぶやいていた。
「はわわ……。あたし、あたしがメイコ先輩の身体を自由に触れるの……? いやいや、で、でも待って。待つのよ初音ミク。あたしは決めたはずよ。あたしには心に決めたひとがいるのよ。そのひとがいるのにメイコ先輩とイチャイチャするなんて……」
 しばらく葛藤してから、なにかを覚悟したように初音さんは咲音先輩を見上げた。が、どこか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
 私の嫌な予感って、残念なことにだいたい当たっちゃうのよね……。
「……メイコ先輩、ごめんなさい」
「……!」
「……!」
 私からすると常識的な返答だったのだが、私以外の二人が――断られるとは思ってもいなかった咲音先輩と、おおむねエロ至上主義と言って間違いのないグミだ。……私たちに完全に忘れられている裸マフラーと忍者はどうやら激闘を再開したようだった――驚愕に顔をゆがめていた。
「えぇ! ミクちゃんてばぁなんでよぉ。このあたしといいことしたくないのぉ?」
 ものすごく不満そうな咲音先輩は、断られたのがよほど悔しいのか、手すりに噛みつくようにしてっていうか本当にかじりついていた。ガシガシという音さえ、階下にいる私たちのところまで聞こえくる。
 メイコ先輩、さすがにそれはやめたほうがいいと思いますよ。全国に何百万人といるであろうメイコファンが見たら、そのほとんどが幻滅してファンをやめかねないみっともなさですから。
 ……指摘すると怖いので言わないけれども。
「め、メイコ先輩に誘われるのはとっても光栄ですし、できるならあたしも……その、あの、してみたいって思います」
 すでに赤くなっていた顔をさらに赤くして、初音さんはそう言う。そんなに恥ずかしいなら、言わなければいいのに……。
「だったら――」
「ででで、でもあたしは決めてしまったんです。あ、あたしは巡音先輩一筋で生きていくんだって……!」
「……え」
 嫌な予感が的中した。そうだった。確かにこの前初音さんはそんなことを言っていたような気はする。いや、するけれど……。
 初音さん、なんで貴女はこんなタイミングでそんなことを言うの……。ほらほらほら、咲音先輩がものすっっっごく怖い目でこっちを睨んできてるじゃないの!
「ルカちゃん。そうなの?」
「え……、あ、あの。う、そ……それは――」
 咲音先輩のあまりにも恐ろしい視線に、私の身体はあっさりということを聞かなくなった。泣くことすらできない恐怖って、こういう気分なのね……。生きた心地がしないわ。寿命がものすごい勢いで減っていってるのが体感できる気がする。
 怖い。怖すぎる。
 あの視線に比べれば、私の絶対零度の視線なんてぬるま湯に等しいと思う。冷たいどころか若干あたたかいくらいだ。
 もはや蛇ににらまれたカエルどころではない。屠殺目前の鶏といった感じだ。
 これはまずい。
 咲音先輩はかなり怒っている。自分が狙っていた子がすでに後輩に奪われていたのだから(実際にはそうではないのだが、咲音先輩がそう考えてしまっているだけで、罪状としては十分だった。私がいくら主張しても、女帝は納得してはくれないだろう)怒って当然といえば当然かもしれない。……納得はいかないけれど。
 ともかく、私はここでの対処を誤ってしまえば今後の人生が破滅しかねない。発言の一つ一つに細心の注意を払っていかなければ――。
「咲音様、お待ちください!」
 私が恐怖に硬直している間に、グミが決死の形相で声を張り上げる。
「咲音様、巡音ルカは初音嬢をたぶらかし、思うがままにしようと忠誠を誓わせたのではありません。初音嬢のごくごく個人的な意志のもとに、巡音ルカ個人の気持ちを確認する前に決めたことであり、そこに巡音ルカ自身の意思は一切介在しておりません」
 咲音先輩は、どこか面白そうにグミの話を聞いたあと、獲物でも見つけたように舌なめずりした。
「ふぅん。グミちゃん、それで?」
「は……。それで、と申しますと……?」
「グミちゃん、貴女が言いたいのは、ミクちゃんがルカちゃん一筋なのはルカちゃん本人のせいじゃないってことでしょ?」
「そ……そうでございます。ですから――」
 咲音先輩は唇のはしをつりあげ、恐ろしい笑みを浮かべてグミの言葉をさえぎった。
「でも、ルカちゃんがなにもしてなくてもミクちゃんがルカちゃんに奪われたことには変わりないのよぉ。本人が意識しているとかいないとかじゃなくて、それがすべてなのよねぇ」
「それ、は……。ですが、わたくしは――」
 なにかを言いかけて、ためらうようにいったん口をつぐむ。
「わたくしは……」
「なにかしら、グミちゃん?」
 咲音先輩に催促されてからも数分ほど悩み、ようやくグミは覚悟を決めて口を開いた。
「わたくしは、初音嬢に巡音ルカを盗られたくないのです……!」
「……!」
「……!」
「……あらぁ」
 ……そこじゃない。それ、咲音先輩となんの関係ないじゃないの……。
 まさかの、だがある意味予想がついたと言えなくもない台詞に、ただ事態がさらに混迷をきわめることになったことだけは、たしかに理解できた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

Japanese Ninja No.1 第22話 ※2次創作

第二十二話

女帝参上の巻。
あいかわらずキャラクター描写が長くてごめんなさい。
そして変態ばかりでごめんなさい。

閲覧数:63

投稿日:2013/04/29 14:44:49

文字数:5,520文字

カテゴリ:小説

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