【応援歌】三月の風【小説化】
「僕達はいいんだ!赤ちゃんとお母さんを助けて!」
……あれから15年たった今、キミの声だけが、今も耳に残っている。
「三月の風」
あの日、波濤がボクらの町を襲った。
ボクは、つい三日前に、出産を終えたばかりだった。
小さなこどもを生んだボクに、医師は告げた。
「三日以内に名前をつけてあげてくださいね」
通常は、二週間以内に決めることになっている。
極端に短い期間をつげられたこと。その意味することは、明白だった。
……ボクの腕の中で、牛乳パックよりも軽い赤ん坊が壊れ物のように泣いていた。
涙が、止まらなかった。
三日目のこの日、ボクは定時に赤ん坊を抱きにきた。その時、まるで自分が揺れているように、世界が揺れた。いつ終わるともしれず、パニックになりかけたところで、激しい声と音が耳を打った。
何を言われたかわからないまま、ボクは人にながされるように病院の屋上へと走った。
地面が揺れているのか、自分の人生がゆれているのか、解らない。
ただ、屋上に這い上がったとき、自分の居る場所が『島』になってしまったということに気がついた。
見慣れた地面の上を、黒い水が走る。足もとが震えるようにゆれている。僕達は、たよりない薄いコンクリートの上に、取り残されている。
ぐったりとした赤ん坊をボクはふところに抱きしめた。冷たい風が、滝のように体にたたきつけた。はらはらと、雨が降ってきた。
「寒い……寒い、寒い、寒い」
出産で疲れた体が熱く震え、激しく外気を拒絶する。でも、徐々に体は冷え切っていく。
誰かが声をかけてくれた。湿った毛布がボクの体にかぶせられた。
……礼も言えずに、ボクはちいさなこどもを抱いてうずくまっていた。
突然、空気が上から震えた。
首を強引に上に振り向けると、轟音が雨をかき消す勢いで降ってきた。
雨だけではない。病院の屋根の脇を流れる波濤さえかき消す勢いで、曇天から音が降ってくる。
「助けがきたぞ!」
「助かった!」
喜ぶ声が聞こえた。ボクは、もう、寒さで動けなかった。心の中だけで、よかった、とつぶやいた。
人々が、轟音の元へと走る。そして、全員がこちらを指差した。
「赤ちゃんと、お母さんを助けて!」
……どうして!
震えた唇と、凍った喉で声にはならなかったが、人々はかまわず私に駆け寄ってくる。
「歩けるか?もう立てないか! いい!抱いていくぞ!」
せーの、とある男性が私を抱え上げた。辛い病気を抱えた、独特のにおいがした。
暗く灰色の天の中心から蜘蛛の糸が垂れている。その蜘蛛の糸には人がついており、私の体を受け取り、抱き取った。
「まって!」
やっと、声が出た。
「あの子のほうが、子供だわ!」
ボクの視線の先に、水色のガウンの少年が居た。
「あの子を、先に乗せてあげて!」
……『三日』
ボクの頭の中で、医師の声が響いていた。胸のこどもは、ぐったりとふるえている。
少年がボクのほうへと駆け寄ってきた。ボクはうなずき、蜘蛛の糸を離れようと体をよじった。
「だめだ」
少年の手が、ボクの赤ん坊をボクごと救助隊員に押し付けた。
「赤ちゃんには、お母さんが必要だ」
そんな。キミのほうが、若くて。ボクはきっとキミの倍以上生きていて。
……でも、なにも、言うことはできなかった。
涙が溢れてくる。
本当は。
ボクは、生きたい。
生き残りたい。
この子と、生き残りたい……!
「行ってください!」
少年が叫んだその瞬間、ボクは救助の綱に絡め取られ、天へと引き上げられた。
はらはらと流れる涙が引きちぎられ、雨と一緒に落ちていく。急速に世界が遠くなる。見上げる人々の顔が雨としぶきと何かでかすむ。
「待って……」
遠ざかる速度が緩まることはなかった。
「待って! じゃあせめて、あなたの、名前を……!」
少年の口が開いた。
必死でボクは眼を凝らし耳を澄ます。
彼が叫んだ言葉は、波濤と天の轟音にかき消されて、ボクに届くことは無かった。
最後に笑ったらしい表情だけが、かすんでゆれて記憶に残った。
* *
あれから、十五年たった。
桜の花が散る川べりを、ボクはひとりで歩いていた。
うららかな昼下がりだ。
あの日、町を襲った波濤の爪あとは、もうどこにもない。
川べりも、菜の花と桜が咲き揺れ、田植え前の田から零れ落ちてきた蓮華の花が、湿った道脇に咲いている。
ただ、橋のたもとの電信柱は、白い帯を締めている。
あの位置まで、水が来た。
町はうららかで、人々の暮らしは穏やかで、その日が本当にあったことを示すものは、いまやそれだけしか見えない。
風が吹いている。
「道端に咲いた蓮華の花が、キミの横顔に似ているようで……」
ボクは口ずさみながら、川沿いの高くなった土手を歩く。
桜並木が頭の上で揺れている。
結局、ボクを助けたあの人たちがどうなったのか、ボクは知らない。
ボクを救助隊員に押し付けた恩人の少年の名前は、結局聞こえなかった。彼の顔も、他の人の顔も、あの日、雨と風の中でパニックになっていたボクは、よく覚えていなかった。町で出会っても、きっと気づくことは出来ないだろう。
……ボクは、ただひとつ記憶に残る彼の口の形を追いかけて、自分の子供に名前をつけた。
生かされた命を、胸を張って生きることができるように。
小さくても、今は弱くても、どんな雨と風にも負けないように。
感傷に胸を押されて、その名をそっとつぶやいたその時、背後に風を感じた。
思わず首をすくめた瞬間、とんでもない重量を持った物体が頭の5センチ上空を後ろから前へと掠めていった。追って首筋に感じた風圧に思わず冷や汗が流れる。
頭上を掠めた鈍器。それは紺色のスクールバッグだった。
「ちょっとあんた!危ない!」
5キロ級のそれがかすめたあとを、菜の花のような明るい人影がボクを追い抜いて振り向いた。
紺色の短いスカートが、花びらのように翻った。
「だって!こんなに桜も咲いているのに、お母さんが不景気な顔して歩いているんだもの!気合をいれてあげようと思って!」
「あんたのその鞄、当たったら死ぬわ! かえって魂が飛ぶからやめて!」
あははは、と笑う少女は、ボクの娘だ。
あの鞄の中には、最近大人に目覚めたのか、100均で買った化粧道具でいっぱいだ。それが彼女の「大人」としての精一杯の背伸びなのだ。痛いほどむずがゆい青春を元気に邁進中だ。
まったく、そんな青臭い鞄の中身に張り倒されたら、死んでも死に切れない。
「ね、すっごいね!桜!」
そんなこちらの気持ちも露知らず、娘はボクを見て笑う。
どこまでも続いていくかのように見える桜道の上流に、ボクたちの家がある。
「ね、おかあさん。何か心配事があるの?」
スクールバッグをくるくると振り回して娘が尋ねる。
「ううん。……今は、何も心配していないよ」
ボクはそう答えた。
娘がそうかとうなずいて、例のスクールバッグを振り回しながら一直線に駆けていく。
その後ろ姿を、桜の花びらが追いかけるように舞っていた。
そのとき、耳元に風が強く吹き込まれた。
轟っ、と音がうなった。
「あ」
……この時期になると、必ず、ボクたちを助けてくれた彼の姿を思い出す。それでも、だんだんと遠ざかるその姿が、まるで自分が薄情者のように思えて嫌だった。
でも、今、気づいた。娘が、5キロのスクールバッグを振り回して笑う。その笑顔が、あの時の、彼の笑顔に重なった。
だから、大丈夫。
強い子になるよう、彼の口を追って名前をつけた。その娘が居る限り、ボクも、大丈夫。
「ボクの名前も、親が考えてくれたんだよね」
その名の通り、ボクは、本当に、恵まれた。
「待って!……キミはもう!」
娘がはしゃいで笑う。
ボクは笑った。笑って見せた。
ボクも思い切り地面を蹴った。久々に耳元で風がうなる。花の景色が後ろへ流れていく。
はらはらと散る桜の中で、だんだんとキミの姿が消えていく。
明るい実体が、はしゃぎ声をあげながらボクの前をかけていく。
これでいい。これでいい。
桜の花の先を見上げると、綺麗な青空があった。
「あの時のキミは、どこかで元気にしていますか」
……十五年たった今、ボクたちは元気にやっています。
……いつか再び出会うことがあったら、話は、また、その時に。
次に桜並木を通るときには、紙を一枚持ってこようとボクは思った。
手紙を、紙飛行機にしようと思った。
文字は心の中で綴り、真っ白な紙を、川に向って飛ばそうと思った。
終わり
【応援歌】三月の風【小説化】
おかあさんはグミでボクっ娘!!
どうしようかと迷ったけれども、私の中ではこの物語を思いついたとき、心の支えが出来た気がしたので、応援歌として上げることにしました。
かなしい話は心に寄り添い、楽しい話は行く道を照らすことを、信じて。
ちなみに、お母さんの一人称「ボク」は、彼女の心の中だけです。娘には言いません。
……けっこう、いるんじゃないかな。心の中で、『ボク』な人。
ニュースや歌や、身近な人や自分の経験、いろんなところから、発想を頂きました。
カクテル式二次創作です。
歌詞引用 RUHIA様「三月の風」
http://piapro.jp/t/QjM-
普通の恋の歌なのに、曲解してしまいました。
桜の風吹くおだやかな未来が早く訪れますように。
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