夢の現実へ ~第8話~
「…………それで、失敗しちゃって怒られちゃいました。色々な講師の方がいらっしゃって、皆さん言うことが違うので、えと、ミ――じゃなくて、私はちょっと戸惑ってしまったせいです。反省、と」
うぅ……なかなか慣れないです…………
ちょっとしたメールでも打つのに十数分を要してしまっていることに、ミクはため息を吐いてしまう。この手のことは慣れだと分かっていても、どこかしら納得ができない。
「えっと、これで送信――っと」
ディスプレイにて猫が手紙を加えて走る映像が流れ、数秒後には送信完了と言う文字が画面に表示される。
数分後、メール受信中と言う表示とともに、バイブレーションに設定している携帯電話がミクの腕の中で震える。
届いたメールは勿論創詩さんから。を開いてみると、そこにはミクへのアドバイスは勿論、身体を気遣った内容、そして励ましの言葉とともに一文『無理はするなよ』と綴られていた。
「創詩さん……」
創詩さんは「がんばれ」とは言わない。いつも最後には「無理をするな」「焦るな」と言ってくれる。それはミクが機械だからじゃない。1人のアーティストとして、人と同じように接してくれるから出ている言葉なのだとミクには1ヵ月間の生活を通して分かっている、だからこそ――
「だからこそ、ミクはがんばれるです」
ミクは短く「はい! 頑張ります」とメールを送り、携帯電話を胸に抱く。そして、「よぉしっ! ふぁいとっです!」と気合を入れて次の講師が来るトレーニングルームへと向う。
「あぁ、君が初音ミクだね? 私はジョリー・ハーグナーだ。よろしく」
「はい! よろしくお願いします!」
今は音域からビブラートに関する練習。練習するパートによってさまざまに変わる講師に最初は戸惑ったけれど、慣れてくればそうでもなくなった。
栗原所長に訊けば、社交性も高めると言う意味も含めての練習らしい。確かにミクは研究除外の人と触れ合う機会がなかったため、これはすごくためになっていると思う。
それに、さまざまな人の“音楽”を聴く事は何よりも良い刺激になった。メールで創詩さんも「環境が良いのだから、色々な音楽を聴いてみるんだ。同じ曲でも、奏者によって雲泥の差になる。その理由を、身体で感じ取るんだ」と言っていたように、ミクは講師の方々全ての“音楽”を聴き続けた。
そして、“音楽”と言うものが万物に共通でありながら、それでいて同一のものはないことをミクは知った。
今日にしてすでに231人目の講師であり、ここでの練習が始まってから、531番目に聞く人の音色だ。ミクはジョリーの曲を聴きながら思う。
今まで色々な音色を聞いた。考えさせられたものもあるし、無機質なものもあった。技術力に圧倒されたのもあったし、センスを感じるものもあった。だけど――
創詩さんの演奏……聴きたいな…………
ミクが生まれて、さまざまな音楽を耳にしてきた中、唯一心震わされた演奏――それが創詩が奏でるピアノだった。
聴き手に融けるように広がる音の世界。感動、と言う言葉を使うならば、ミクは彼の音楽以外にそれは感じ得なかった。
技術もそうだが、ミクは彼が奏でる世界そのものが好きだった。
まだ作られて間もない頃に聴いた創詩の演奏。それがミクの始まりでもあるのだから。
あの時もらった勇気は計り知れない。だからこそ初音ミクは始まったのだ。
……うぅん。いけないっ! これ以上は頼れないんだから!
ミクは思考を止めると、ジョリーの演奏を聴きながら自分なりに歌を乗せていく。演奏によって用意された道を借りて、詩を歌へと昇華させていく。
時間はもう、ない。デビューまでの残り時間を考えれば、正直不安で胸はいっぱいだ。
でも、これ以上創詩に迷惑はかけられない。1ヶ月と言う歳月でもらった技術と勇気を無駄にしないためにも。
メンテナンスはすぐにでも行える環境なのだ。練習漬けという無理もきく。だから、なんとしても成功させるために。
ミクは歌う。つぶされそうな不安を抱えながらも、成功を社と研究所へ導くために。
♪ ♪ ♪
たびたび来るメールにも慣れが見られ、内容を見るたびに安心する自分がいることに、創詩は過去の自分を思い出していた。
過ちを犯してしまったあの時を。
冷静になればなるほど、来栖の指摘、戦略ともに正しいのだと理解できる。だからこそ、激情していたとはいえ、無意識かで抵抗することをやめたのだろうと思う。いや、思いたい。
世間の目と言うのは、往々にして鋭く冷たい。俺がいるせいであれがミクに向うのはなんとしても避けたかった。だからコレでいいのだと思う。
「そうだよな、沙希……」
さて、と俺は携帯をテーブルの上に置くと、新たに任された機器の調節へと入る。予定では3日で最終確認へとことが運べるはずだ。そして期限は1週間。余裕と言うレベルではない分、少しゆっくりめに調整できる。
仕事に没頭し始めれば余計な思考が行われない。これは俺の長所だと思っていたのだが、意外にも考えているのはメールからくる内容によるミクの成長の度合いだったり、レッスンプランのことだったりと、ミクのことばかり考えてしまっていた。
俺は恋を知ったばかりの青少年か、と突っ込みを入れたいところだが、それだけ自分がミクに対して期待をし、そして仕事に誇りを持っていたかがいやでも分かってしまうと言うものだった。
できれば彼女は俺が育てたかった。なんて思ってしまうほどに。
「あーくそっ!」
今日は余計に思考がミクへと向くせいか、どうしても仕事の進みが遅くなる。先程休憩したばかりだというのに……
「いつもどおりに戻ったなんて、本当最初の1日ぐらいなもんだな」
本来ならもっとも精神に来る日が一番普段どおりだったのが笑えるところだ。まったく、どうにかしているようだ。
再びリビングへと戻ってテレビでも見ようとすると、ドアフォンがタイミングを見計らったかのように鳴り響く。思えば最近は、良くも悪くもよく呼び鈴に呼び出されるものだ。
「はい、どちら様でしょうか?」
「私だ、創詩」
響く声に思わず眉がよるのがわかるが、俺は「今開ける」と告げて来栖をリビングへと通した。
「コーヒー飲むか?」
「すぐに済む」
「そうか」と俺も形式めいた迎えをやめ、来栖の対面へと座る。
「で、玄関でも済ませられないような用事ってなんだ?」
「なに、率直なことだよ」
来栖は言って懐から一通の封筒を取り出し、
「これは、研究室からお前宛てに贈られるはずだった書類だ。中身はおおよそ、見当がついているのだろう?」
あぁ。おそらく――いや、ほぼ間違いなく近日開かれるコンクールへの招待状だろう。それも、ミクを間近で見守れる、最前列。
「それをわざわざ俺の前に持ってきてどうしようってんだ?」
「簡単なことだよ」と、来栖は告げて封筒をこちらへと差し出し、
「コンクールへは、来ないでもらおうか。創詩」
「……言ってることとやってることが噛み合ってねぇぞ来栖」
「言っただろう? 簡単なことだと。私は社に不利益を出したくないだけだ」
…………なるほど。チケットは破棄できても、届いてないことが分かればケイなんかは来栖を警戒して手渡しで来るだろう。それを拘束してコンクールまで働けない状態にするのは、会社に悪影響を残す。だから、チケットが渡ることを良しとし、俺に釘を刺しにきたのか。俺が行かなければ、すべてうまくいったあげくに、俺に避難の目が向けられるだけなのだから。
こいつのことだ。他の可能性もすべて潰してきているに違いない。
「ミクの成功と、社の成功のためだ。受け取れ、創詩」
受け取ると言うことは、コンクールが終わるまで、ケイなどの思いを裏切り続けると言うことだ。だが――これが正しいんだ。
「それでいい。邪魔したな創詩」
来栖の背を見送ると、俺は現在の仕事へと意識を向けた。予定よりも早く終わらせるために。
♪ ♪ ♪
「ありがとうございましたっ!」
全ての訓練を終えた。やることはやった。後は本番である明日にすべてを賭けるだけ。
ミクは身体に異常がないかの最終チェックをするために栗原所長のところに顔を出す。
「お疲れミク」
「お疲れ様です」
「さ、椅子に座って楽にしなさい。後は私がやっとくから」
「はい。お願いします」
笑顔で迎えてはくれたものの、眼の下にあるクマなどをみれば、ここのところ徹夜だと言うのがわかってしまう。それもミクが成功するために頑張っているのだということも。
それは栗原所長だけではない。ヤマ八という会社に属するもの全てが頑張ってくれているのだ。ミクが成功するために。
失敗はできない。でも、いや、だからこそミクは自分自身が機械でよかったと思った。なぜなら、機械ならプレッシャーなどに関係なく、最大限の力を出せるはずだから。
だから大丈夫だとミク自身に言い聞かせる。ミクは機械なんだから、大丈夫だと。
♪ ♪ ♪
「所長」
ミクの身体チェックを行っていると、背後から声がかかる。それも固く、鋭い声が。
「なんだい? ケイ」
「わかってるくせに、訊くなんてあんたらしくないな」
忌々しげにつぶやくケイに、栗原はキーボードを叩く指を休めずに続きを告げる。
「ミクの――歌のことだね」
「あぁ」と頷くケイに、栗原は「確かに」と続けていく。
「あれはミク本来の歌じゃあないね。技術力は相当数の勢いで上がったけど、あたしらが求めたものとはかけ離れている」
「そうだ。このままではミク本来の歌が死んでいく。それはあの子の生みの親として、黙っているわけにはいかないっ!」
「だが、これは社の決定だ。それに、ミクの歌を構成する大切なパーツがないだろう? それにあれは現状、使い物にならない。こと公の場となればなおさらね」
「………………っ」
「いまさら、だよ」と、呟く栗原はキーボードを叩く指を止めると、ポケットから取り出したタバコに火をつけて一服。
「ふぅ……なんにしろ、まがいなりにも成功が必要な時期だ。ケイ。さぁ、最終調整だよ」
「ちっ…………わかったよ。所長」
ケイの表情が苦虫を噛み潰したように歪む。だが、やることをやるのが仕事だ。ケイは栗原から離れ、調整室に座るミクへと向う。その表情は、仕事の顔。ミクを安心させるための笑顔。
「よっ。ミクちゃん、調子はどうだい?」
「はい。快調です」
「そうかそうか。後は明日全力を出すだけだな」
「はい!」
にっこりと笑うミクに、ケイも同様に笑う。
「でも、あの……創詩さんは来て頂けるでしょうか?」
不安そうに眉尻を下げるミクに、ケイは笑顔を崩すことなく「当たり前だろ」とミクの頭を撫でる。
「もう招待状は渡してあるんだ。後は、ミクがあいつに成長した姿を見せてやればいいんだよ」
「……はい!」
「えへへ、驚いてくださいますかね?」と微笑むミク。だからこそわかってしまう。ミクの心が、プレッシャーに圧しつぶされそうになっていることを。それは所長とて一緒なのだ。
それでも研究員である以上、親心など殺して調整するしかない。
それも、明日で終わる。そして良い未来へと向かうはずなんだ。そう信じるしか、ケイにはできないのだ。
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