俺を含む三人がテーブルの前の椅子に腰を下ろしたとき、既に重苦しい雰囲気が俺達を包んでいることに気付いた。
「で、大事な話って?」
最初の一言をためらっていると、ネルが何も知らないように話しかける。
本当に、何も知らないのだ。
しかし、今から俺が話そうとしていることは、彼女にどのような反応を示させるだろうか。
混乱か、狼狽か、失意か・・・・・・そういったものしか思い浮かばない。
それほどまでに、今から話すことは、ネルにとっても、そして雑音さんにとっても、非常に重大なことなのだ。
平常心でいられる可能性はゼロに近い。
雑音さんは、今から俺が話すことの大体の予測はついているのか、不安げな表情を浮かべている。
いずれ、といっても今日か明日しかないのだが、皆に伝えておかなければならないことは確かだが、出来れば、なるべく口にしたくない、というのが本心だろう。
特に、ネルの前でそんな話を待ち出せば、どのような結果となるか。
様々な要因のせいで、俺は最後まで語りだすことを躊躇している。
だが、言わなければならない。
出来るだけ、噛み砕き、理解しやすく、少しづつ。
「ネル・・・・・・今から話すことは、お前にとっても、そして雑音さんにとっても、とても大事なことなんだ。驚いたりするかも知れないが、どうか最後まで静かに聞いていてほしい。」
それで事の重大さを理解したのか、ネルは黙って頷いた。
「それで、雑音さん。」
雑音さんは、更に不安に襲われているようで、できるだけ話したくない、しかし、この場で話さなければならない、という二つの感情の板ばさみになっているようだ。
「ミクオから、全て聞きました。今からそれをネルに説明しますが、よろしいですね?」
「ああ・・・・・・わたしからじゃ、話しづらいから・・・・・・。」
雑音さんは、覚悟を決めた語調で、そのまま視線を床に逸らした。
「ネル。雑音さんは、明日から少しの間、ピアプロからも、今いる家からも、いなくなることになっている。」
最後までためらっていたが、それは、この話の心臓部であり、この一言がなければ話は続けられない。
ネルが気分を損ねないよう、自分でも表現を考慮したが、やはり、いなくなるという単語は衝撃的だ・・・・・・が。
「やっぱり・・・・・・。」
「え?」
その落ち着いた口調と態度は、俺の想像から大きく逸れた、余りにも意外なものだった。
真っ先に、雑音さんが視線の先を床からネルに変えた。
やっぱり、ということは、どこかでこの話を耳にしている・・・・・・?
一体何所で?どうして?
「知っているのか。」
「あのね・・・・・・実は昨日の夜、突然雑音がいなくなって、それで、一階に下りてみたら、リビングの灯りがついてて、近寄ってみたら、雑音がミクオと話してて、そのまま立ち聞きしてて・・・・・・。」
ネルは俺と視線を合わせようとはせず、顔を背けたまま言った。
「そうか・・・・・・だったら話は早い。」
少しは肩の荷が下りた気分だ。これで続きを問題なく話せる。
「聞いたかも知れんが、雑音さんは、網走博士のところに行くんだ。」
「え、どうして?」
「網走さんは、元々クリプトンのとある研究所で働いていたんだ。だが、数日前に、何者かが研究所に侵入し、網走さんが拉致された・・・・・・。」
それを聞いて、ネルの顔が青ざめる。
否応なしに、事の重大さを思い知ったらしい。
「何所に連れて行かれたかは俺も知らん。ただし、拉致した連中はただの犯罪グループではなく、巨大な一つの組織であること・・・・・・その証拠に、研究所で研究していた重要参考物も盗まれた。」
俺は、ここまで話してよいのだろうかと一瞬思ったが、やはりネルには全てを知ってもらう必要があると考え直した。
「実を言うと、既に軍のほうが動き出している。」
「えっ・・・・・・じゃあ、雑音が行く必要なんか無いじゃん!」
「ネル・・・・・・。」
雑音さんの一言で、ネルが沈黙した。
「わたしは、ネルのことも大好きだ・・・・・・だけど、博貴も、同じくらいに。だから、連れて行かれたのに、放っておくことなんか、出来ないんだ・・・・・・。」
それは雑音さんがネルに最も言いづらい本音であっただろう。
雑音さんは、自分の愛する人が連れ去られたことが、我慢できないのだ。
「ごめん・・・・・・ネル・・・・・・わたし、どうしても行きたいんだ。博貴を、助けに・・・・・・。」
雑音さんは頭を垂れたまま、囁くように言った。
「雑音・・・・・・。」
そのとき、ネルの手の平が、雑音さんの頭に、優しく触れた。
「行ってきなよ。」
その言葉は、俺が思いもよらなかった言葉だ。
俺の目の前にいるネルは、混乱でも狼狽でも失意でもない感情を持っている。
その顔は、微かに笑み、その言葉は、柔らかく撫でるように優しく。
ネルが全てを理解し、全てを受け止めた何よりの証拠であった。
「ネル・・・・・・!」
雑音さんはネルを抱き寄せ・・・・・・。
「ありがとう・・・・・・!」
「いいよ。あたしも結構ワガママだったから。そのかわり・・・・・・必ず、帰ってきて。雑音は強いから、大丈夫だよね。」
「ああ・・・・・・。」
どうやら心配など不要だったようだ。
俺は、二人の絆の強さを目の当たりにしている。
その光景は映画の一場面のように感動的である。
窓から差し込む陽光が二人を照らし出し、俺に儚いイメージすら持たせた。
俺がここにいても、二人だけの空間に居合わせていてもいいのだろうか。
だが、まだ話は終わっていないので、俺は咳払いをすると、彼女達を二人だかけの空間から呼び戻した。少々悪い気もするが。
「雑音さんは、明日の夜、ミクオが迎えに来ることになってくる。元空軍所属だけあって、軍の支援もあるそうだ。恐らく、数週間で帰ってくるはずだ。ところで、雑音さんが居ない間は、まぁ、事件に大きく関わっているミクオも同じことだが、メンテナンスで活動休止ということにしておく。で、ネル。雑音さんが居ない間、お前は家で一人になってしまう。そこで、提案だが、俺達の家に帰ってきてくれないか?」
俺にとっては、これが最も重要なことかも知れない。
ネルが俺達の家から出て半年以上経つが、俺はまだネルを呼び戻すことを諦めてはいない。
ネルに帰ってきてほしい。ただその一心だ。
「どうだ?」
ネルは俺から視線を外そうとせず、真顔で真っ直ぐと見据えていた。
その瞳の奥には、彼女の強かで堅い精神が息づいているように見える。
「いいよ。」
その一言に、俺の気分は有頂天に達した。
了解を得られた・・・・・・!
ネルが帰ってくる・・・・・・!
「ありがとう。ネル。皆に伝えておくよ!・・・・・・じゃあ、これで全てまとまったな。そうだ忘れていた、特別に、明日だけ二人に休暇を用意していおいた。ゆっくりするといい。」
「うん・・・・・・。」
伝えるべきことは全て伝え終わった。
俺達は同時に椅子から立ち上がった。
「ねぇ、敏弘・・・・・・。」
「ん。」
ネルが、俺の目の前まで、詰め寄った。
何が出てくるのかと思った、その一瞬、頬にネルの唇が触れた。
「今まで心配かけて、ごめん・・・・・・。」
ネルは瞳を潤わせて、俺を見上げていた。
そのネルが余りにも愛しく思えた俺は、無意識の内に、ネルの体を両手で包み込んでいた。
か細く、華奢で、強く抱きしめれば壊れてしまいそうな・・・・・・。
その胸の奥には、強い心があり、確かな温もりがある。
俺はその全てが愛しく、ネルを開放しようとはしない。
ネルも何の抵抗もせず、気がつけば、俺の背中に彼女の腕が周っていた。
今まで、俺はネルに何もしてやれなかった・・・・・・。
だから、これからはネルのことも精一杯愛すると、たった今、誓った。
ふと視線が雑音さんを見つけると、優しく微笑んだその頬には、一筋の滴が通った後が見られた。
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