<<今、太平洋上空に出たよ。ミク、気分はどうだい? 苦しくない?>>
微かな振動が響き渡る中、無線から博貴の声が聞こえ、同時にバイザーの中のモニターに博貴の顔が映し出された。
「大丈夫……良好だ。」
あの基地でスーツを装着した私は、その後すぐにアンドロイド搭載用のステルス輸送機に搭載され、急ぐように空へと打ち上げられた。バイザー内に表示された高度計には、現在は高度三万フィート。もう既に雲よりも高いところまで上昇しているけど、私を載せたこの小さな輸送機は、更に高度を上げていく。
今、外の景色はどうなっているんだろう。でもここからでは外を見ることはできない。バイザーに内蔵されたディスプレイが表示する、高度計や気圧計、温度計から、今の高さを想像することしかできない。それ以外は、真っ暗だ。それに、スーツを装着した体は斜めに寝かされ、カタパルトのステージに固定されている。満足に身動きも取れない。
暗闇も狭いところも、あと潤滑油臭いのも苦手だ……あのエレベーターの時といい、心細くて寒気がする。でも、今は博貴の顔を見ることが出来るだけ、あの時よりはいい。
<<FA-1、現在聞こえるか?>>
物思いにふけっていたその時、ランスの映像と声がバイザーの中に現れた。
「……聞こえる。無線の感度よし」
<<よぉーし。これより、お前には空軍が極秘で行う任務を遂行してもらう。作戦内容から細かい指示まで一切俺が下す。網走博士はメディカルアドバイザーとして作戦に付く。いいな?>>
「ああ。」
<<作戦の内容は、日本防衛空軍が最近試験飛行させていた、試作空中巡航艦「ネブラ」への着艦、及び内部の調査だ。ストラトスフィアに次ぐ巨大な軍用機で、ストラトスフィアの護衛艦として開発されていた、言わば空飛ぶイージス艦だ。これからお前はそこまで向かってもらう>>
「そんなことぐらい、そもそもなんで私に頼むんだ。」
私は思った疑問で率直に返事をした。もちろん、空軍だけでは無理な理由があるからに決まってる。
<<つい十数時間前、ネブラのクルーから一切の通信が途絶え、その後一切の支持に応じなくなった。現在も所属の司令部から応答を求めているが、応答はない。すでにコンタクトを取ろうと地上からは何度も打診し、RF-15戦術偵察機二機が調査に上がった。だか、失敗だったよ>>
「失敗?」
<<撃墜された。太平洋上の五万フィート上空でネブラに接近し、着艦を試みたところ、なんの警告もなく機体の防空システムが作動し、二機ともミサイルファランクスの餌食になった。脱出も失敗。搭乗員四名が犠牲になった>>
犠牲……殺された……やはり私の行く先々ではそんな話ばかりだ。今まで軍と付き合って誰かが死ななかった試しがない。数カ月前のあの時も。軍用アンドロイドになってしまったからには、避けられないことなのはもう解ってる。人命が危険に晒されないためにも、私みたいなアンドロイドから戦場に投入されていく。人命ではない、私という機械が……。
「またそんな話か……システムのエラーや何かの手違いじゃないな。」
そんな嫌な状況について、まだ冷静な判断をする余裕のある自分。もしかしたら彼や博貴が既に感情抑制を行なっているかもしれなし、実は私は、元々こういう性格なのかもしれない。尤も、軍ではもう戦闘員に対する感情抑制は当たり前だから、仮にも戦闘用アンドロイドの私が自分の性格や考えにこだわりを持つなんて、虚しいだけかもしれない。
<<たとえレーダーや火器管制のシステムが狂っても、最後にはIFF(敵味方識別装置)が目標を識別して許可を下し、兵装の安全装置が解除される仕組みだから、そもそも味方を意図的に攻撃なんてのはできん。そしてIFFが故障しているとなれば、エラーを感知して兵装の安全装置が作動し、IFFや火器管制システムの命令を受け付けなくなる。当然、兵装の使用が不可能になる>>
「じゃあ、何者かに武装占拠されている?」
<<考えられないことではないが、可能性は低い。侵入するためには着艦する以外に方法はなく、機影が接近すれば確実にレーダーにも映るし、あの高度なら肉眼でも発見される。第一、ネブラに着艦できるのは、アンドロイドと一部の無人機程度だ。ストラトスフィアほど本格的な着艦設備を装備しているわけではない。ネブラを占領できるほどの人員を載せられる航空機は、着艦できん>>
「なるほど……。」
私は冷静な声で相槌を打った。
<<そこで、内部に潜んでいたスパイの可能性が疑われたが、極秘開発の試作機だけに、クルーもすべて選抜された人員で、身元も素性も調べられ、更に厳重なセキュリティをパスした上で搭乗しているはずだ。外部からの侵入者の可能性は極めて低い>>
「となると、中でいったい何が?」
<<それを今からお前一人に調べてもらう。この作戦は空軍司令部もモニターしている。お前がネブラの中で見たものによって、空軍も動きを決めるはずだ。尤も、ネブラは予定された航路を変更なく巡航していて、外見ではなんの異常もない。そして無線に応答せず、かつ接近した友軍機を容赦なく撃墜しているということは、おそらくクルーの間で良からぬことが起こっているかもしれん>>
「なるほど。ところで、そのネブラに私が接近したら、防空システムが作動して、レーダーがロックオンして撃ってくるか?」
<<そりゃそうだ。IFFの話はしたが、実際に友軍機が撃墜されたのは事実。レーダーに捉えられれば遠方からSAMが飛んでくる可能性は大だ。情報によると、ネブラは超強力なレーダーと、数百発の対空迎撃ミサイルとEMP爆雷、加えてファランクス、亜光速レールガン四門を装備し鉄壁の防空網を敷いている>>
「それで、私にその防空網に飛び込めと。そういうことか?」
私が不躾に言うと、ランスは画面の向こうでくっくっくっ、と苦笑した。
<<FA-1、お前が装備している最新のAGFスーツは、開発費を度外視して徹底的に性能を追求した特殊作戦用だ。最新の複合サイクルエンジンとカーボンナノチューブを惜しげもなく使用した改良型ウイングバインダーにより、従来の40%以上の機動力向上を果たしている。特に加速性能は凄まじく二秒足らずで超音速に達する加速性能を備え、パワーウエイトレシオは0.1を切った。もはや最新の短距離空対空ミサイルどころか、AAガンでもお前を落とすことはできん。それと、そのサイズ故のステルス性能があれば、ネブラの強固な防空システムが作動する時間をある程度まで遅くする事ができる>>
そう語るランスの声は、さっきまでの事務的で冷静な声と比べて妙に饒舌だった。どんな凄い技術を使って、いくら言葉を並べて褒めた所で、どうせ殺人と破壊の道具。そんなものを、よくもそんな意気揚々と語ることができるなと、私は疑問に思った。尤も、ランスの話を大体理解できる私もなんだか嫌だ。
私を戦闘用に改造したことに、重い罪の意識を感じていた博貴とは正反対だ。こういう人間なら感情抑制も必要ないだろう。いっその事ランスが出ればいいのに。
「随分と自慢げに話すんだな。ランス……。」
<<当たり前だ! こいつの開発には俺も加わったからな。特にウイングバインダーに関しては、俺が開発の主導を取ったからこそ、劇的な性能向上を果たしたんだ。言わば、俺こそが一番の功労者、というわけだ。お陰で、クリプトンと軍の間を流浪するフリーの技術屋だった俺も、ようやく安定したポストに落ち着くことができたしな>>
オーバーリアクションを混ぜながら、声高に語るランス。兵器を作ることに躊躇しない、死を生産する死神のような科学者……私の頭のなかに、そんな言葉が浮かんだ。
「そんなことか……それはともかく、向こうでトラブルが起こっているとしたら、私を中に入れてはくれないんじゃないか。」
<<こちらからお前のスーツのコンピューターを介して空母の離着艦管制プログラムにハッキングを試みる。が、他分検知されてロックされるだろう。その時は両肩の二連装レールガンでハッチを破壊し、内部に侵入しろ。そいつも最新型で、最新の電磁波装甲も簡単にブチ抜ける>>
「強引だな。」
<<強引でいい。ネブラは日本防衛空軍が極秘裏に開発を進めていた新造艦だ。こいつに何かあれば、国内でも、国際的にも極めて深刻な問題になり得る。それに、詳しく話すことはできないが、最近になって、日本防衛軍に関わっているある事件と関係している可能性もある。とにかく、この任務は秘密裏に、迅速に終えることが重要だ。設備も人員も最小限に留めなければならん。だからこそ、空軍の中で過去最高の戦力とされているお前が必要とされたのだ>>
「ある事件? やっぱり、昨日の水面市の停電と関係があるのか。」
<<お察しの通りだが、これ以上は話さん。知ったら知ったで、お前も網走博士も元の生活に戻れなくなるぞ。今度は、死ぬまでな>>
「……それは嫌だな。早く終わらせて博貴と家に帰りたい。」
<<現在の高度は四万五千フィート。六万フィートに達したら、お前の切り離しシークエンスが開始される。まずお前を載せたステージが輸送機上部まで移動、その後、ハッチが開放され、準備が整い次第、アームの拘束が解かれる。飛行を開始したら、航法システムに表示されたウェイポイント通りに飛行しろ>>
「了解……。」
一体、どんな空なんだろう。不思議と胸が高まる。これから目の前に現れる光景に期待して全身がぞわぞわする。この気持は感情抑制されていない、私の特別な思いなのだろうか。
<<ミク、聞こえるかい>>
「博貴? あ、ああ……。」
不意に、モニターの表示はランスから博貴に切り替わっていた。相変わらず、博貴の顔にはいつもの元気さが戻っていない。
<<心拍がやや高いようだよ。……いや、無理もないか……ミク、気持ちは分かるけど、これも仕方ないことなんだ……>>
「いや、博貴……私は別に今、そこまで悪い気分じゃないんだ。いや、確かにさっきまで、あんまりいい気分じゃなかったけども……。」
<<どうかしたの?>>
「私は……軍や戦闘は嫌いだけど、空は好きなんだ、だから、翼を得て空に戻れたことが私は今、嬉しいんだ……。」
今、微かに私の胸が昂ぶっているのを感じる。二度と戻りたくなかった軍に使われて、こんな状況なのに。それは、また自由の翼を持って、大空に舞い上がれる期待からかも知れない。どんな世界が待ち受けているだろうと、想像するだけで、余計気持ちが焦る。でも、それじゃまるで、こんな軍の任務を楽しんでいるようなものだ。
「……そうかい。ミク。」
「博貴……こんなふうに喜んでいる私をどう思う? ……結局は兵器なのかな……。」
私は声を濁らせながら博貴に言ったが、その時の博貴の顔は、とても穏やかに微笑んでいた。
<<いいや、ミクらしい。そう思うよ。ミクは昔から、空が大好きだったじゃないか。それは、いいことだと思うな>>
「本当……?」
<<ああ、そうやって何かに悩んだり、何かを愛することこそ、君が兵器ではない証拠だ。素晴らしいことだよ。何かを愛する事ができる君を生み出せたことを、僕は誇りに思ってる。だから、君は兵器だなんて自分を卑下しなくていい。君が思いさえすれば、君はいつでも、君のままだ>>
博貴の言葉に私の胸の僅かな曇りも、心なしか晴れていった気がした。そうだ、博貴からもらったこの豊かな心は、操作されたものじゃない私自身の心。素晴らしい宝物。決して虚しくなんかないんだ。
「……ありがとう……博貴。」
その時、周囲が急激に明るくなった。輸送機内の照明が点灯し、私を搭載したステージが鈍く唸るような機械音を上げ始め、そして再びモニターにランスが現れた。
<<レクリエーションはそこまでだ。FA-1、予定の高度と進路に到達した。これより切り離しシークエンスを始める。まずスーツのメインシステムを起動、発進に備えろ>>
「了解。」
冷淡なランスの声に、私は応答し、スーツの各部チェックを始めた。目の前に次々と多彩な情報が現れては消えていき、私はそれを0.1秒にも満たない速さで確認し、読み上げていく。
「レーダー、センサー、アクチュエーター、ディスプレイ、FCS、GPS、カウンターメジャー、コミューターシステム、各エンジン、フューエルコントロール、全て異常なし。動作良好。現在作戦行動に支障なし。」
<<了解、シークエンス開始。エレベーター上昇、上部ハッチ開放>>
同時にエレベーターも起動し、私を輸送機の上部へと持ち上げ始める。
ゆっくりと上を見上げる。見上げた先には光が漏れている。もうすぐだ……。
そして私を載せたエレベーターが最上部に達した次の瞬間、暗闇を突き破る光と、沈黙を吹き飛ばす強風が私を包み込んだ。その一瞬の眩しさに、私は思わず顔をしかめた。
そしてその過ぎ去った時、私の視線の先に、その雄大な世界は姿を表した。何もない、誰もいない、ただ青々としたコバルトブルーとまばゆい陽光が織りなす光の世界が、遥か彼方の宇宙まで広がっている。その下では純白の雲の海が、太陽の日差しを受けてキラキラと輝き、まるでシルクの絨毯のよう。ちっぽけな存在である私を、空は美しい光景で出迎えてくれた。
これだ。これが私の愛した世界。一寸の淀みもない、なんて清純で美しい世界! ああ、今すぐこの背中にあるこの翼で思いっきり舞い上がりたい!
「こちらFA-1。エレベーター上昇完了。これより発進する!」
私はまた、元気よく威勢のよい声を無線に放った。同時に私は、黒い翼を思いっきり羽ばたかせ、エンジンを起動、点火させた。スーツ越しに伝わるその熱気と駆動音が、なぜだが妙に心地よい。失われたものを取り戻せたかのようだ。そうだ。私には元々、背中に翼があったに違いない。
<<了解。FA-1雑音ミク。ロックアーム解除。幸運を祈る>>
ランスの言葉が終わると同時に、スーツを固定していたロックアームが私を開放し、高度六万フィートの天空に、私という存在は今、自由となった。
輸送機から体が解き放たれた次の瞬間、私は翼を背後に後退させるように折り畳むと、エンジンの出力をフルスロットルまで叩き込んだ。そして空の彼方へ向い、私の体は音の壁を突き破った。
そして私は再び、この世界の住民となった。ただいま。と、私は胸の中で呟いた。
THE END OF FATALITY第四話「再飛翔」
トランス系の曲名は航空機の名前にしたくなります
【日本防衛空軍】
日本を防衛する軍隊の一つ。略称は空軍。かつては航空自衛隊も呼ばれていた。その名の通り多種多様な航空機を保有して日本の国土を防衛する軍隊。
最近の大きな動向として、戦闘用アンドロイドが旧来の戦闘機の役割を担う用になり保有数において戦闘機を圧倒し始めていることが挙げられる。
航空戦闘用のアンドロイドは、人間よりやや大型なサイズで主力戦闘機と同等以上の戦闘能力を有しているが、以前は航続距離や兵器搭載能力の関係で、その運用は局地的かつ短時間に限られていた。しかし、性能の進化や、アンドロイド用の空中空母の開発によりそれらの欠点は補われ、性能だけでなく、コストや整備性においても戦闘機より優位であるアンドロイドが、今空軍において航空戦力の主力となりつつあっている。
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