第五章 祖国奪回 パート6
天主からの援軍が丁度東門へと駈け出そうとしたとき、その兵らは目の前に現れた赤騎士団の姿に度肝を抜かされる羽目になった。軍を移動させるために目一杯に開かれた城門めがけて、およそ千名の革命軍がまるで一本の槍のように帝国軍を切り裂いていったのである。その様子は執務室で指揮をとっていたシューマッハにもよく見えた。仕組まれた、と気付いた直後に伝令兵が駆けこむ。
「元帥、既に反乱軍が城内に乱入した模様!」
「兵は何をしていた!」
「は、それが……」
伝令兵がいい淀む。眼下を見下ろす。同士討ちが始まっていた。あれは、とシューマッハが尋ねる。
「元、黄の国の兵士らを中心に……」
息を飲む。黄の国が滅亡してもう五年以上が経過している。確かに元黄の国の兵士たちと青の国の兵士たち同士で反りが合っていたとは言い難い。だが、この後に及んで裏切りという形で対立が明確化するとは考えてもいなかった。
「奴らはなぜ裏切った」
シューマッハがうめいた。戦況は既に決しようとしていた。
ウェッジが第二層に踏み込んだのは天主突入から三十分ほどが経過した頃合いだった。地の利を把握しきっているリンとメイコ、そしてルカを中心に要所を抑え、通路を封鎖し増援を防ぎつつ、元黄の国の兵士たちに向かって反旗を促す。兵は順次増え続け、気付けば千五百を越える軍団が天主への突入を開始していた。揮下の兵ら五十名ほどを引き連れ、ウェッジが執務室の扉を蹴破るまでに一時間とかからず、残るはシューマッハの護衛兵十名ばかりとなっていた。
「総督府元帥、シューマッハ殿とお見受けする」
ウェッジが鋭く告げた。銃を構える近衛兵をシューマッハが片手を上げて抑える。
「それで、要望は」
「俺と違い、我が主君は心優しいお方だ」
ふん、と鼻で笑い飛ばし、ウェッジが続ける。
「大人しく戦闘行為を止め、投稿するなら命を奪うような真似はしない」
ふう、とシューマッハが溜息を漏らした。
「好きにするがいい」
こうして、シューマッハは捕らわれの身となったのである。
元帥捕縛。
この報は瞬く間に全軍に伝わった。無論、東門で頑強な抵抗を続けていたハンザの元にも。その直後、ハンザは舌打ちし、手駒と共に戦場を脱出した。東門から乱入を始めていたロックバード率いる革命軍本隊の追撃をかわし、執拗に迫る赤騎士団のアレクとシルバを振り切り、北門から脱出に成功した騎士団はおよそ五百名。
既に精鋭となりつつあったハンザ騎士団は、今後も革命軍と幾度となく刃を交えることになるのである。
ゴールデンシティ奪回。
ロックバード卿にとっては五年ぶりの帰城であり、リンもまた同様であった。
投稿した帝国兵を捕虜として丁重に扱いつつ、リンは一人最上階である第四層へと向かった。かつて自らが居所を定めた場所。全てが始まり、消えて言った場所。
部屋に入る。内装には多少の変化が見えた。記憶にある調度品のいくつかが見当たらない。メイコの反乱時に破損した者か、或いはカイト皇帝の好みに合わなかったのか。それでも、変わらないものがある。
「久しぶり」
リンは一人、部屋の窓からゴールデンシティを見下ろした。かつては何の気なし、ただ退屈を紛らわせるだけに視線を向けていただけの景色。
今は違う。
この街で、どんな人が住んでいるのか、どんな生活をしているのか、どんな夢を持っているのか。
全ては分からずとも、おぼろげながらに浮かび上がる。
大通りを馬車が走っている。街が落ち着いてきたらしい。往来の人の姿が増えだした。遠目でよく見えないけれど、あれは酒樽ではないだろうか。祝勝会ということらしい。革命軍が受け入れられている証拠だった。
ここで、終わりにしてもいいのだけれど。
リンは思う。ここで革命戦争を終わらせ、黄の国として新しい民主主義国家を作り上げる。
そうすれば、私はレンとしての人生を捨てて、ルータオに戻れるのに。軍事は当面はロックバードの力が必要だけれど、将来的にはメイコか、或いは頭角を現しつつあるシルバに一任すればいい。初代の大統領は当然アレクだろう。内政はフレアがいる。その後はグミが、もしくはキヨテル辺りを登用しても面白いかもしれない。何しろ、旧黄の国の領土は完全に切り取ったのだ。兵はまだまだ足りないが、国家の運営を行うに十分以上の領土を持ち得たことになる。
だけれども、まだ終わらせる訳にはいかなかった。少なくとも、援軍として派遣されているだろう帝国軍の本隊を迎え撃たなければならない。皇帝も黙ってはいないだろう。それに、リンツで帝国軍とただ一人で退治するガクポの支援も行わなければならない。なにより、民主主義の理念をこのミルドガルド全域に伝えていかなければならない。
まだ、道半ば。
リンは思った。
もし、再びこの景色を眺める時が来るのならば……
それは、全ての戦が終わった時なのだろう、と。
「ここで一息をつきたいところなのですが」
ロックバードが口を開いた。総督府陥落から、まだ三時間と経過していない。捕虜の対応や戦後処理に大わらわで、執務室に集合できたのは彼の他にリン、メイコ、アレク、ルカの五名だけである。
「間髪いれず、ザルツブルグへと進軍したいと思います」
「軍の皆には苦労をかけるわね」
リンが肩を竦める。それでもです、とロックバードが微笑んだ。
「ミルドガルド山脈の中央にあるザルツブルグはまさに天嶮。ここを抑えられるか抑えられないかが、今後の革命戦争を大きく左右いたしますので」
「そうね。私は訪れたことがないけれど、攻めるに難く守りに易い街だと聞いたわ」
「はい。五年前の黄青戦争では先手を打たれ、領内の侵入を許しましたが、今回はその手を取らせません」
「ですので、私とアレクが先発致します」
言葉を続けたのはメイコである。
「騎士団のみの編成で明日の早朝発ち、三日以内にザルツブルグを陥落させます」
「気をつけてね。守備兵は少ないとは聞いているけれど」
「私もすぐに後詰を行いますので、ご安心を」
ロックバードの言葉に頷く。
「ところで、私も一つ指揮したい作戦があるのだけれど」
リンが悪戯っぽく笑った。
またロックバードのお小言が始まっちゃうかな、と何かを楽しむように感じながら。
リンの予想通り紛糾した軍議をどうにか終結させた頃合いで執務室を訪れた者がいた。
料理長のジョンである。黄の国時代から仕えている古参であった。
「リン女王陛下、この度は本当に……」
そこで言葉が詰まる。小さく、嗚咽が聞こえてきた。
他にも、ちらほらと見覚えのある顔が見える。誰も彼も、この五年間苦汁を舐め続けていた者たちであった。
「今のボクはレンだよ」
彼らを労いながら、リンは立ち上がった。いいえ、とジョンが首を振る。
「我らは今もなおリン女王陛下への忠義を忘れたことはありません。それに、レンのことも」
「……うん」
「さあ、女王陛下、玉座にお座りになり、なんなりとご命令ください。我らはその時が来るのを、ずっと心待ちにしていたのです」
「でも、ボクはもう」
「いいではないですか」
ロックバードだった。
「我らはこのミルドガルドに民主主義を持ち込むべく結成された革命軍ではありますが、同時にリン様の再来を抱く同志でもあります。形式だけでも構いません、リン様として彼らに訓示を頂戴できればこれ以上の喜びはありません」
そっか、とリンは思った。
形は随分と変わってしまったけれど、ロックバードはまだ心のどこかで黄の国の復興を望んでいるのだろう、と。
「なら、形だけで。元黄の国の人間だけを集めて、あたしから言葉を伝えるわ」
ジョンが平伏した。すぐに準備が始まる。あれから五年。多少は背も伸び、かつて身に着けていたドレスはもう身体に合わないだろうと思っていたのに、衣装を担当していた女官たちが一つのドレスを差し出した。
今のリンの体型に合わせたようなドレスであった。
「これは?」
「レン様が身代わりとなられたことはすでに耳にしておりましたので、いつか戻られた時に、と」
女官が答える。ありがとう、とリンは答えて、目頭が熱くなったことを自覚した。
こんなあたしでも、まだあたしを信じていてくれる人がこんなにもたくさん。
それが、どうしようもなく嬉しかったのである。
残念なことに、一夜限りの王政復古はどの記録にも残されてはいない。
陛下は訓示ののち、我がブリオッシュを至極ご堪能頂いた。
料理長ジョンの日記に、ただそれだけが記録されるばかりである。
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