……俺は一体、何をしようとしたんだろう。スーパーまで歩きながら、俺はそんなことを考えていた。
赤くなったリンが可愛かったから、ついその色づいた頬に触ってみたくなって、触ってみたらキスしたくなって、で、キスしたら……止まらなくなった。
その時のことを思い返して、俺は愕然となった。抱きしめたリンの身体はすごく柔らかくて触り心地が良くて……もっと触ってみたいって思った。頬や髪だけじゃなくて、もっと色々なところに。
あのまま椅子から落ちなければ、俺は多分、リンの服のボタンを外そうとしていたんじゃないか?
そんなことになっていたら、リンはどうしていたんだろう? 悲鳴をあげる? いや、悲鳴をあげてくれるんならまだいい。悲鳴を聞けば、おそらく姉貴が飛んでくる。でも、嫌われるのが嫌だとか、あるいは怖くてすくんで動けなかったりしたら……。
リンにあんなことをするつもりなんて、俺には全く無かったんだ。今日家に呼んだのも、俺の部屋に入れたのも、本当にただ単に、戯曲の修正を手伝ってもらうだけのつもりで。だから姉貴にもちゃんと「リンを家に呼ぶから」とは話をしておいた。
なのに、どうしてこんなことになったんだ?
スーパーで言われたとおり、卵と牛乳を買う。切らしたというのは、俺を家から出すための口実だろうが、一応買っておく。そのまま帰ってもいいんだが、適当に売り場をぶらついて時間を潰す。そうしてから帰宅すると、リンと姉貴は昼飯の用意をしていた。あ、そんな時間なのか。
昼を食べ終わった後、俺たちはもう一度戯曲に修正をかける作業に戻った。とはいえ、また妙な気分になったら困るので、部屋のドアは開けっ放しにしておく。
まあそんなわけで、午後はずっと作業をやっていた。ちょっとぎくしゃくしたのは、仕方がない。
そうこうするうちに、リンは帰らないといけない時間になってしまった。荷物をまとめているリンを眺めていると、淋しい気分になってくる。
リンは鞄の中身を確認すると、なにやら考え込んでいた。やがて、意を決したように顔をあげる。
「……レン君、あの」
「うん?」
「わたしね……その、嫌じゃなかったから」
それだけ言うと、リンは真っ赤になった。俺は唖然として、リンを眺めた。……今、なんて言った?
「リン、それって……」
「あ、あの……だから、嫌じゃなかったの。でも、わたしたち、まだ高校生だし……やっぱり……ちょっと怖いの」
俺が買い物に行ってる間、姉貴と話をしたな。……それはいい。
「……あ、うん、わかってる。さっきのは、俺が先走りすぎた。リンを怖がらせたいとは、思ってなかったんだ。ただなんていうか、気がついたらああなっていたというか……」
リンの手が、俺の手を取った。少し恥ずかしそうに微笑んで、こっちを見ている。
「駅まで送っていってくれる?」
「当たり前だろ」
俺は上着を肩に引っ掛けると、リンと手を繋いだまま、部屋の外に出る。ドアを閉めた音に気がついたのか、姉貴が廊下に出てきた。
「……姉貴、俺、リンを駅まで送って行くから」
「わたし、今日はこれで失礼します。色々とありがとうございました」
リンが丁寧に姉貴に頭を下げている。
「そんなにかしこまらなくていいわよ。それじゃあね」
駅までリンを送ると、俺は家に帰った。……一応、姉貴に帰ったって言わないとな。姉貴の部屋のドアを叩く。
「姉貴、リンを送ってきたよ」
「入んなさい」
声がきつい。……こりゃ、説教だな。覚悟しつつ、姉貴の部屋に入る。姉貴はベッドの上で、雑誌を読んでいた。顔をあげて、雑誌を脇に置く。
「レン、言っておきたいことがあるんだけど」
「あ、うん」
俺は、机の前の椅子に座った。姉貴は、厳しい表情をしている。
「私の言ったこと、憶えてるわよね?」
「つきあう時は節度を守れ……だろ?」
「憶えているんなら、どうしてあんなことに?」
う……やっぱそうきたか。想像はついていたが……。
「……俺にもよくわからない。なんか気がついたら、ああなってた」
姉貴は深いため息をつくと、真顔でじーっと俺を見た。……怖い。
もし、場所が椅子じゃなくてベッドの上とかで、俺がリンを押し倒しているところを見つけようものなら、包丁を持ち出して俺のことを追い掛け回すんじゃないだろうか。
「わかっているだろうけど」
「女の子の方が、リスクが大きいし失うものも多い。責任を背負い込める自信がないのなら、先には進むな。一度やったら取り返しのつかないことになる可能性だってある」
姉貴に言われるより先に言う。姉貴が、やれやれと言いたげな表情になる。
「……わかってるじゃないの」
「だから、あんなことするつもりはなかったんだよ。気がついたら、リン抱きしめてキスしてたの!」
我ながらもうちょっとましな言い回しはないんだろうか。けど、リンの首筋を噛んだなんで言いたくない。
「今度のことで、理性がどれだけ危ういものかはわかった?」
「……ああ」
姉貴はもう一度ため息をつくと、立ち上がって壁にかけてあったバッグを手に取った。それを開けて、中から何かを取り出し、俺に投げて寄越す。反射的に受け止めた俺は、それを見て唖然となった。
「姉貴……これ……」
「念の為に持っておきなさい。あ、財布に入れるんじゃないわよ。財布に入れると傷むから。専用のケースがあるから、それに仕舞っておきなさい」
「なんでこんなもの持ってんだよっ!」
俺は、思わず叫んでしまった。……これは女が持ち歩くものじゃないと思う。
「……大人の女のたしなみって奴?」
首を傾げてそういう姉貴。俺は、頭が痛くなってきた。どこに、こんなもの弟に渡す姉がいるんだ。
「それと、使い方練習しときなさいよ。なんでもぶっつけ本番だと失敗する確率高くなるし。今のご時世、ネットで検索すれば一発で出るから。備えあれば憂いなしって、昔から言うでしょ?」
……頭が更に痛くなってきた。なんでこんなこと、よりにもよって姉貴からレクチャーされなくちゃならないんだろう。
「姉貴には恥じらいってものがないわけ?」
遠慮のない言葉に、さすがに俺はそう言った。姉貴がむっとした表情になる。
「あのね、私にとっては自分の恥ずかしさなんて感情より、あんたやリンちゃんが人生潰さないことの方が大事なの」
その言葉に、俺は何も言えなくなってしまった。
「言っとくけど、推奨するわけじゃないから。やっぱり高校を卒業するまでは待って欲しいし。でも、どうしようもなくなったら、それ使いなさい」
「……ありがと」
一応礼は言ったが、俺は複雑な気分だった。つくづくうちの姉貴は、普通じゃないと思う。
けど……姉貴の言っていること、正論なんだよな。それは俺にもわかっている。
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