ああ、あれは神さまだ。神さまの掲げるカンテラだ
 きっと、あそこに行ったんだね
 産声とこもりうたと、
 おっかさんのおっかさんと

 マリアベルはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、からっ風の吹く公園を眺めていました。野ネズミのように駆け回るチビどもと、狂ったように高いところを飾り立てていくバカどもを見ると、どうしたってイライラしてなりません。錆色のショールをぐるぐる身体に巻くと、噴水の側にカップを並べて、コーヒーを売り始めました。
 こんな気に食わない景色はありません。でも、こんなお誂えのお天気に、熱いコーヒーを売りさばかないのはもっとありえません。
 とても楽しそうな人々の中で、彼女だけがしかめっつらをするものですから、お客さんの中には親しげに声をかけて、チョコレートまでくれる人までおりました。もちろん、それもマリアベルは気に食わないのですが。
 きらきらした世界から目を逸らして、マリアベルは噴水を眺めました。これの側はとても寒い。けれど、ここがいっとう、あつあつのコーヒーにふさわしい。
 噴水ほどこの商売に似つかわしい場所はない。これがマリアベルの持論です。

 さて、三時のころも過ぎ、ほどほどにコーヒーが売れたマリアベルは、少し早い店じまいをすることにしました。今日はいっそう、街の様子が気に食いません。どこもかしこも赤や緑や黄色やら、これでもかと金ピカに飾り立てられて、みんなほんとのバカになってしまったとしか思えなかったからです。
 今日は何の日だったかしら。そう考え始めたときです。噴水のある公園を抜けた先で、子供たちの歌が響きます。高くたかく、歌っています。
 彼らがハッカ緑のローブを着ているのを見て、マリアベルは今日が御国の渡り日であることを知りました。
 この国には年に一度、御国の渡り日とする日があります。その一年の間に身体を離れた魂が、神さまの御許へと旅立つ日なのです。ですから、どの人も大好きだった人やちょっと嫌いな人のために、安全に神さまの下へ行けますように、とお祈りをするのです。
 マリアベルはこの日がとても嫌いでした。だって、大好きな人も嫌いな人も、等しく神さまの御許へ行くなんて、とってもずるく思えるからです。マリアベルの愛しい子も、ずいぶん昔に御国へと旅立ったのですが、きらきらした世界を沢山たくさん見て、聞いて、感じることができたやつらなどと同じところへ行くなんて・・・ずるくって、悔しくって、沢山たくさん泣いてしまいました。あんまり泣いたものですから、マリアベルの顔はしわくちゃになって、もう長いことまっすぐにできなくなってしまいました。

 冷えたポットをバスケットにしまうと、マリアベルは楽団がいる方の反対の通りへ向かって歩き出しました。けれど、いくら進んだって、一向に公園の出口にはつきません。
 早足で進んでも、だんだん駆け足になっても、出口はおろか、気がつけばまた冷たい噴水の前に戻ってきてしまうのです。
 暖かいコーヒーはもうありませんし、いやに冷たい風がマリアベルに吹いてきます。ぶるぶる、ぶるぶる・・・もう手がかじかんで、バスケットが持てません。足の先がかちこちになって、きっとそこらの石につまづいたなら、カップを落としたみたく粉々に砕け散ってしまうでしょう。
 凍えるマリアベルは、少しでも寒さから逃げようと、灰ねずみ色のショールをぎゅっとひっぱりました。
 そのとたん、マリアベルは真っ暗くらの中にありました。
 まるで目玉が見ることを忘れてしまったかのようです。噴水も、騒々しい子供たちも、気に食わない景色のなにもかもがマリアベルの前から消えてしまいました。
 もう寒がっているどころではありません。びっくりしたマリアベルは、どこを向いたらいいかも分からないまま、走り続けました。
 
 走って、はしって・・・ズボン!
 マリアベルはつまずきました。なにか、大きな穴に足をとられたようです。真っ暗のなか、手を動かしてみますが、何も触れるものはありません。がんばって足を持ち上げようとしますが、とても深くはまったのか、まったく抜ける気配がありません。うんせ、よいせ、どっこいしょ。やっとこさ引抜けた、とマリアベルが一息ついたとたん、

 ズゴン!!
 太鼓が割れるような音を立てて、底が抜けました。マリアベルは、まっさかさまに落ちてゆきます。
 落ちる、落ちる、おちる・・・やっぱり落ちる!
 まるで、地下へと落ちる少女のよう。不思議の物語よろしく、マリアベルはいつまでも落ちていきました。最初はあわてて泡を吹いていたマリアベルでしたが、次第に慌てるのにも飽きて、唾を吐いたり、コーヒー・ポットにの残りに口をつけたり、落ちるに任せた風を口いっぱいに受けて顔のしわを伸ばしたり・・・思いつくまま、落下で遊びました。
 けれどそれにも飽きて、いったいいつまでこのふざけた夢が続くのかしら、となんだか腹が立ってきたときです。
 ぶぅわあん
 ぼよん

 パリン


 それはまるでやわらかいガラスのような、固いシャボン玉のような・・・マリアベルが真っ暗の底を突き破ると、そこは星の海でした。
 またたく灯火がいくつもいくつも、あたり一面を照らしています。時折、闇の中で響くように光の波紋を作っては、強く、弱く、ちいさく、光を放ちます。これほど美しい光景を、マリアベルは知りません。半身は水に浸かっていますが、何も触れていないかのようで、まるで渡り鳥の羽毛の中にあるように、あたたかく感じます。お祭りのロウソクよりにぎやかな光は、ぐるりとショールを取り囲むと、たわむれるように、マリアベルに触れてはどこかへと流れていきます。
 なんだがとても、泣きたくなったときです。
「じゃまだ、ばぁさん!」
 ばこんっ、大きな音がしたかと思えば、マリアベルはあまりの痛みにうずくまりました。大きなおおきなたんこぶに、ショールが引っかかっています。
 振り返ると、星の海を漕いで、小舟が彼方へと向かっているところでした。
「なにするんだい!!」
 マリアベルの抗議の声にも知らんぷり。まるで聞こえていませんと、大きな独り言で海を漕ぎ続けます。
「まったくこの忙しいこと! だから渡り日なんて嫌いなんだ・・・
 トロくさいばぁさんにじゃまされたあげく、今夜はいつになく魂の多いこと!」
 いったいこの仕事は終わるのかしら、とごちている漕ぎ手に、いきおいよくばあさんがつっ込みました。みごとな跳び蹴りです。
 百点満点の蹴りに、頭から舟底へぶっとんだ漕ぎ手は、抗議の声を上げるべくマリアベルをにらみつけました。
「くそばばぁ!」
「こっちのセリフだよくそがき!!!」
 うみへびより迫力のあるマリアベルの一睨みに、漕ぎ手はぐぅ、と鳴いて黙りました。
「お前の目玉はカビ臭いチーズかい! 意味のない穴なんてごみくずでも詰めちまいな!ひとにたんこぶこさえておいて、詫びる頭もないのかい!!」
「悪かったよ、俺がわるかった!」
 漕ぎ手は身を乗り出すと、マリアベルを小舟の上に招きました。
「ここはね、魂の通り道なんだ」

 世界中の魂がここへはみな流れ込んでくる。流れた魂は生きている間にこびりついた汚れを洗い流して、まっさらな形で神さまの御元へ渡る。だからどんな魂も等しく渡れるんだ。
 漕ぎ手は星の海をかき混ぜるように櫂(かい)を動かしながら、小舟を進めました。時折マリアベルを恨めしそうに見ますが、その眼は海の果てを見つめて、凪いだ海に煌めく陽のように、やさしくきらきらと瞬いています。
けれどもマリアベルの心は激しく波打ちました。洗い流すだって? 冗談じゃない! 何が等しくだ、まっさらだ! そんなの空っぽのガラス玉と変わらないじゃないか!!

 マリアベルのあの子は、大人になれないうちに渡ってしまいました。とても気立てのいい子で、とても美しい子供でした。人のことを気にかけてばかりいて、終いにはろくなわがままを言う間もなく行ってしまいました。

 子供にもなれなかったあの子を、マリアベルはずっと覚えています。

 忘れることのできないマリアベルは、漕ぎ手の言う魂のあり方が許せません。のんびりとかき回す漕ぎ手から櫂を奪うと、星々を混ぜっかえし始めました。
「なんてことを! そんなに乱暴にしたら、魂が壊れちまう!!」
 めちゃくちゃにかき混ぜるしわくちゃな手を止めようとしますが、よぼよぼの体にいったいどんな力があるのか。漕ぎ手はぼちゃん、と瞬く海へ落ちて、そのまま流れて行ってしまいました。
 砕けて、壊れて。魂の破片はより光を放ちながら、流れ星のように静かに消えては底に沈みます。櫂を水面に叩き付けては、へたくそなシチューのように星の海をかき混ぜ続けました。
 やがて星の海はまったく静かになりました。粉々に砕けた光は暗闇に流れ込み、すっかり姿が見えません。流れるばかりの海を見て、マリアベルは泣きます。
 爆発したお腹のなかみは、魂だけでなく、マリアベル自身も傷つけました。だって、どうすればよかったというのでしょう。マリアベルのあの子も、隣で死んでいたネズミも、にくいあの悪魔も、等しく神の御元へ行けるなら、いったい生まれる意味なんてあったのでしょうか。
 あふれた涙が小舟に溜まります。それがふちを越え、海に流れ込みます。それに身を任せようと、マリアベルが体を乗り出すと、ずっと底の方でまだ何かが瞬いていました。
 ざぶん、と沈むマリアベルが手を伸ばすと、それは引かれるように手のひらに収まりました。土色の指を温めるように瞬いて、マリアベルを慰めます。
 あぶくが上る、昇る、のぼる・・・マリアベルは、初めてあの子を抱いたときと同じだと思いました。始めの、はじめ。マリアベルのあの子の最初。あったかいコーヒーをカップに注いだときのように、マリアベルを満たしたように。
 甘いコーヒーの匂いのする魂は、最後に強く大きく光ると、パリン、と硬い音を立てって消えてしまいました。
 水底は、永遠に真っ暗になりました。
 
 常闇の海を流れて、ながれて。マリアベルは神さまの足元へたどり着きました。けれども砕けた魂は光ることはできません。どこにも行けない魂ばかりが吹き溜まりのように、降り積もっています。
 それは、とても寂しい光景でした。瞬きのない常闇は、からっ風の中の公園より寒かったのです。
 ふと、マリアベルは自分の銀のポットを思い出しました。ふたを開けると、そこにはまだ少しだけ、コーヒーが残っていたようです。真っ暗よりも暖かい黒が、ふんわり、香りました。
 そこに、降り積もった魂をひとすくい注いでみますと、ポットの中はまた熱いコーヒーで満たされました。銀のポットは、コーヒー色の灯りでいっぱいになったのです。
 注がれた魂が、再び光を持ちますと、ポットの口から一筋の川ができました。その先はどこまでも続き、道となりました。

 マリアベルは、常闇の先を行くように、歩くことにしました。マリアベルに神さまのいるところは分かりません。小舟に乗った船頭ももういません。海の上に続く暖かい道が絶えないよう、銀のポットに魂を注ぎながら、瞬きの道を歩き続けるのです。
 いつか、マリアベルのあの子が間違いなくまっさらな魂となれるように。
 
 この国には御国の渡り日というものがあります。その日の一番さいしょの朝、ひときわ強く風が吹いたなら、それは魂が長い旅に出たあかしです。
 もしからっ風がひときわ寒く身に染みたなら、熱いコーヒーをお飲みなさい。きっと、懐かしい匂いが、あなたを温めますから。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

星のカンテラ

閲覧数:224

投稿日:2021/08/20 03:22:42

文字数:4,787文字

カテゴリ:小説

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