平成最後の夏は茹だるような暑さだった。


すっかり人の出入りが少なくなったかなりあ荘の共有リビングで、扇風機がひたすら首を振る音だけが響く。

ぶーん、ぶーん、ぶーん……。

一般的に扇風機からエアコンへ冷房を切り替える温度の目安は三十度らしい。

かなりいい感じになったかなりあ荘でも、さすがに扇風機だけでは今年の夏は越せないのではないだろうか。

実際、常に日中の温度が三十五度を超えている地域も多い。

去年は比較的涼しかったと個人的に思ってはいるが、いくらなんでも今年は暑すぎやしないだろうか。



年中蚊に刺される体質の私ですら今年は刺されていないくらい、異常に暑い日が続く。

蚊は三十五度以上だと日中の活動を控え、葉っぱの裏に隠れているらしい。

人間は三十五度を越えようが四十度を越えようが、用事がある限り外に出なければならない。

アスファルトから照り返る熱、輝いているぜと主張し続ける日光、むせ返るような湿気。

一言で表すなら──鬼クソ暑い。



「なんだこれ、どうしてこんなことに……」



呟いた声も、夏の熱気に溶け込んでしまうようで。

私はそのまま、緩やかに思考を放棄したのだった…。





「いやいや!! どうしてこんなことに、じゃないでしょーがっ!!!!」

「いやいや、これは事故ですよターンドッグさん」

「こうなることは予想できたでしょ! ? これは百パーセントゆるりーさんの過失ですよ! 」

「それにしても悲しい事故だったなあ」

「遠い目をする前に、さっさと事故処理をしてきなさい!! 」

「はーい」



拝むように手を合わせてから、マイバッグの中からファミリーサイズの袋を豪快に破き、中に残った小袋(×七)をまとめて冷蔵庫に放り込んだ。

何を隠そう、私がウキウキで買ってきたファミリーパックの某パンダのチョコスナックをうっかり冷蔵庫に入れ忘れ、気づいた時には中が阿鼻叫喚──そう、自業自得である。

ここ最近はチョコレートを買った瞬間に食べていたので、「チョコレートは溶ける」という当たり前の現実を忘れていたのだ。



「相当なうっかりさんですね。他に何か買ってませんでした? 」

「何も無いので大丈夫です。某パンダのチョコスナック、ファミリーパックは結構置いているお店が少なくて、それを見つけたら単体で買うことが多いので」

「でも、食べようとしたほかの人が見たら相当驚くと思いますよ。ぱんだがぱんだの形してないですし」

「ぱんだだった何かの集合体ですね。中がガッツリ溶けた状態で固まってるので、食べる時に気をつけないと」

「冷えて固まったら俺も一ついただいていいですか? 」

「ざくざく○んだになりますけど大丈夫ですか?」

「ざくざく○んだ」

「食感的な意味でそうなりません?」

「なりますけども……」



何か言いたげな顔をしていたターンドッグさんだったが、諦めたらしく手提げ鞄からノートパソコンを取り出してテーブルへ置いた。

私も自室から羽のない扇風機を持ってきて即強ボタンを押し、共有リビング用扇風機から離れた場所へ設置。

ついでに雪の吹き出る虫籠を置き、足元だけでも冷たい空気を流す。

そしてそのまま扇風機の前へ座り込む。



平穏が戻った室内に、キーボードを叩く音と扇風機の稼働音だけが響く。

ぶーん。かたかた。ぶーん。かたかた。てとてと。


……てとてと?



音をした方を見ると、テーブルの上で走り回るちびゆかりんの姿が。



「ゆるりーさん、今俺のノートパソコンのキーボードの上を全力疾走していった小さい子が、書きかけの文章を一行削って謎の文字列を刻んでいったんですが」

「ゆかりん!?人の作業の邪魔しちゃダメでしょ!!ワッツ!!ゆかりん!!待って!!」

「ウッソだろおいちびゆかりんがこの一瞬でソファの下に瞬間移動したぞ」

「ゆかりん!?!? そこ多分埃多いと思うから入っちゃダメだって遅かった〜!案の定咳き込んでる〜!ホラ危ないから早く戻っておいで、ね?」

「意地でも進もうとしてますね、何かあるんでしょうか」

「もう私が覗く〜!ゆかりん何があるのかなイッター!!足つったー!!もう嫌じゃこんな足の筋肉。週一でつってるわこれ、マジ運動不足マジヤバ軟弱筋肉」

「近年稀に見る圧倒的な足の裏の筋肉ディスりが始まった……」



足の裏がつってその場で屍になる私、消えた文章を打ち直すターンドッグさん、そして最早どこに行ったのかわからないゆかりん。地獄絵図である。

この状態の共有リビングに入ってくる人がいたら、きっと状況を理解するのは難しいだろう。……いや、現時点で私は状況を理解できる程冷静じゃない。とにかく足が痛い。



「ターンドッグさん」

「はい」

「今どんな状況ですか」

「俺は小説書いてて、ゆかりんが相変わらず一瞬で姿を消してるだけの普通の日常ですかね」

「週一で足をつるのは日常に入りますか」

「それはヤバいのでこまめに水分をとるか適度な運動してください」



適度な運動ね。

学生じゃなくなると本気で運動する機会がないので、運動不足がいよいよ笑えないレベルまで来ている。




「こんにちはー、誰かいますか……って倒れてる!?熱中症ですか!?」



突然共有リビングのドアが開いて、入ってきたすぅさんの驚く声が聞こえる。



「大丈夫だよすぅさん、ゆるりーさんが足つっただけだから」

「いや大事件じゃないですか!? 」

「事件は冷蔵庫の中で起きてるんですよすぅさん。あと治りつつあるのでご心配なく」

「冷蔵庫?えっ、冷蔵庫ってここ(共有リビング)の冷蔵庫で合ってます……よね?えっ?事件?」

「あー、すぅさん、冷蔵庫の中見てごらん。多分言いたいこと伝わると思いますよ」



痛みが九割程引いたので起き上がると、頭の上に「?」をいっぱい浮かべたすぅさんがキッチンの方へ歩いていくのが見える。

そして「事件!!!!」という声が聞こえた。



「えっ何これ溶けたチョコが袋から透けて見える」

「これがざくざく○んだ事件ですよ」

「ざくざく○んだ事件!? なにそれ聞いたことないんですけど」

「過去の類似事件に、たけのこ一体化事件がありますよ」

「結構やらかしてますねゆるりーさん……」

「見た目の衝撃度は今回のお菓子がダントツなので、自己ベスト更新ですね」

「いやポジティブに言うことじゃないでしょうよ……」



すぅさんがキッチンから戻ってきて、白いソファに座る。

そのまま筆記用具を鞄から取り出し、テーブルの上にノートを広げる。

作業に静かに戻っていくふたりに反して、今やっと起き上がったばかりの私。

はて。何か忘れているような。

作業か?……元々何もしていなかった気がする。

足がつって。それでしばらく動けなくて。

あれ、そもそもなんで足がつったんだっけ?

確か、ソファの下を覗こうとして、その勢いで……。



上半身をもう一度倒して、床でゴロ寝する体勢でソファの下に目をやる。



「アワアアアアアア!?!?!?!?」

「待ってゆるりーさん! 悲鳴のチョイス! 」

「事件が!!!事件が!!!」

「頼むから日本語で喋って⁉︎ 」



私が指差すソファの下、不思議そうに目を合わせたすぅさんとターンドッグさんがゆっくり体勢を落として恐る恐る覗き込む。

そこには、髪留めと某パンダのチョコスナックの小袋と、倒れているゆかりんがいた。

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【かなりあ荘】おかしな騒動

お久しぶりです。

作中の某パンダのチョコスナック溶けすぎ事件は私が最近本当にやらかしました。
せっかくなのでかなりあ荘と絡めてみましたが、けっこう話が広がったなと驚いています。

長すぎたので前のバージョンで後編です。

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投稿日:2018/07/29 11:36:07

文字数:3,129文字

カテゴリ:小説

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