小説版 コンビニ パート3
それから一週間ほど、俺はほとんど自宅に籠りっぱなしだった。もちろん講義にはきちんと出席しているし、バイトにも行っている。ただ、作曲に集中したかったからサークルはしばらく休むことにしたのだ。そして今日は幸いにも講義も、バイトもない。一日集中できる一週間で唯一の日だったから、俺は朝から作曲に取り掛かっていた。先日ミクの一言で曲の構想は思い浮かんだのに、全体の歌詞がどうにも纏まらず、朝から唸っているのである。
「ミク、もう一度歌ってみて。」
俺はパソコンに歌詞を打ち込むと、今日だけでおそらく十数回は繰り返したセリフをもう一度ミクに告げた。
「はい、分かりました!」
久しぶりに俺が作曲に集中していて嬉しいのか、ミクは元気よくそう言うと今出来上がったばかりの歌詞を歌い始めた。まだ伴奏は付けてない。アカペラで歌うミクの歌声を聞きながら、俺はもう一度唸った。どうにも、気に入らない。
「う~ん、駄目だ・・。」
思わずそう呟く。
「そうですか?私はいいと思いますけど。」
歌い終わったミクがそう言った。
「ありがとう。でも、気に入らない。」
そう言って頭をかきむしり始めた俺に向かって、ミクが心配するようにこう言った。
「少し休憩されますか?」
「休憩?」
「はい。人間は時々休まないと駄目だと聞きました。」
「そうだな・・。」
ミクの言葉に反応するように、俺はそう答えた。考えてみれば朝から何も食べてない。時刻を見ると既に十三時を回っていた。今日はつまむ程度に自宅に残っていたチョコレートを食べただけだったな。そう考えると、途端に腹が減って来た。どこかに食べに行くか、と考えてから俺はパソコンに手をかけた。
「ご飯食べてくる。少し待っていて。」
「はい、分かりました、マスター。」
ミクのその返答を待ってから俺はミクのプログラムを閉じ、パソコンの電源を切る。それから立ちあがり、適当な服に着替えようとして、やめた。逆にそれなりに小奇麗な服をクローゼットから取り出すと身を付けてから玄関を出る。出る前に寝ぐせを直しておくことも忘れない。たかが昼飯を食べに行くだけで?何を言っている、決まっているだろ。
藍原さんのコンビニに行くからに決まっているじゃないか。
俺はそう考えながら自宅のマンションの一階にある駐輪場へと向かうことにした。量販店で買った格安の自転車に跨り、ペダルをこぎ出す。立英大学には都心の大学というせいか駐輪場という設備がないので普段の通学で使うことはないが、今日みたいなちょっとした外出には自転車が丁度いい。
今日もいい天気だな。
俺はそう思いながら、一つ深呼吸をした。ずっと部屋にいたせいか、都心の空気でもなぜか心地よく感じてしまう。それに、これから藍原さんに会いに行くわけだし。そう考えて、多少表情がにやけたことを自覚している内に目的のコンビニの前に到着した。道の脇に迷惑にならないように自転車を止めてからコンビニに入店し、早速レジカウンターを眺めると、藍原さんはいつもと同じようにいらっしゃいませ、と俺に向かって告げた。
もういい加減、顔を覚えてくれたよな?何せ毎日通っているわけだし。
俺はそう思いながら、とりあえず弁当を一つ掴むと、他に何を買おう、と考えた。どうせこれからも自宅に籠るのだし、多少多めに食糧と水を確保しておいた方がいいか、と考えて俺は一リットルのペットボトルと、スナック菓子を手にしてレジカウンターへと向かった。もちろん、藍原さんのレジだ。
「お弁当、温めていきますか?」
弁当のバーコードを読み取った藍原さんは笑顔でそう言った。その声で心が温かくなる気分を味わいながら、俺はこう答えた。
「お願いします。」
「分かりました。」
藍原さんはそう言うと弁当を持って、レジの後ろに用意されているレンジにお弁当を入れると、レンジのスタートボタンを押した。それからレジカウンターに戻り、俺に向かってこう告げる。
「合計千四十一円になります。」
「はい。」
俺はそう言って財布を見る。おお、丁度ぴったりの金額があった。
「丁度ですね。ありがとうございます。」
そう言って藍原さんは俺にペットボトルとスナック菓子の入った袋を手渡した。
「ありがとう。」
俺は袋を掴むと揚々とレジカウンターを離れ、コンビニから外に出る。自転車の籠にビニール袋を入れてからサドルを跨ぎ、早く作曲を再開しようと思ってペダルをこぎ出した。そのまま走り続けて、信号を渡った時、俺はようやく気が付いた。
お弁当、忘れてきた!
レンジで温めていたままだった!
大慌てで自転車を旋回させると、俺は今来た道を猛烈な勢いで戻りだした。ようやくコンビニの近くまで戻って来た時、俺は藍原さんの姿に気が付いた。おそらく俺の弁当が入っているのだろう袋を片手に、コンビニの入り口の前で困惑した様子で周囲を見渡している。その瞬間、何故だか俺は物陰に隠れた。
どうしよう。凄く探されている。
そう思いながら、俺は覗き見するように藍原さんの姿を見た。平安の貴族は垣間見と言って気になる女性の顔を覗きに行ったらしいのだが・・少なくとも俺の今の行為はその様な高尚な行動ではない。ただ、恥ずかしいから隠れているだけだ。
どうする、俺?
戻るか戻らないかを考えて、俺はしばらく呆然と藍原さんの姿を眺めていた。やがて藍原さんも諦めたのか、コンビニの中に戻って行ってしまう。
話すチャンスだったんじゃ・・。
そう思って後悔したが、今から戻るのは恥ずかしすぎる。
結局、昼はまた牛丼で済ませることにした。
「ご飯、終わりました?」
牛丼を食べ終わり、少し意気消沈しながら自宅に戻った俺に向かって、ミクはそう言ってきた。
「終わったよ。」
「じゃあ作曲の続きですね!」
「そうだな。」
なんとなく気乗りしないままに俺はそう答えた。さっきの弁当の一件でテンションが下がってしまったらしい。
「どうしたんですか。元気がありませんよ。お昼ご飯が不味かったんですか?」
「不味かったわけじゃないけど。」
「じゃあどうしたんですか。」
膨れるようにミクはそう言った。今日はどうもつっかかってくるな、と思いながら、俺はさっきの出来事を話すことにした。別に他意はない。とりあえず、誰かに話したい気分だったのだ。その点、ミクなら安心だ。別の誰かに俺の恥ずかしい話を吹聴すると言うことをしないからだ。
「どうしてお弁当を取りに行かなかったのですか?」
俺が一通りの話を終えると、ミクがそう言った。
「恥ずかしかったから。」
「良く分からないですけど、ただの店員ですよね?知り合いとかなら恥ずかしいかもしれないですけど。」
「ただの店員じゃないからなあ。」
思わず、俺はそう言った。
「知り合いなのですか?」
「いや、知り合いじゃない。」
「?」
意味が分からない、という様子でミクは俺を見つめた。
「その・・うん、なんでもない。」
そのコンビニの店員に一目惚れした、なんてことは流石に言えない。だが。
「何か隠していません?」
「別に・・。」
「素直に言った方が楽になりますよ。かつ丼でも食べますか?」
「さっき牛丼を食べたよ。」
何故かつ丼なのだろう、と思いながら、俺はミクに向かってそう言った。
「かつ丼じゃないと駄目です。尋問する時はかつ丼だと聞きました。」
どうやらどこかの動画サイトで刑事ドラマでも見てきたらしい。俺はそう思いながら、こう答えた。
「お腹は一杯だからいらない。」
「じゃあ教えてください。」
ミクはどうやら俺が何かを隠していると断定しているらしい。仕方なく、俺はこう言うことにした。
「その店員には格好いいところ見せたいんだよ。」
「どうしてですか?」
「その・・うん。」
なんだか恥ずかしい。
「はっきり言って下さい。」
ミクは身を乗り出すようにそう言った。液晶画面から飛び出してくるんじゃないか、と思うくらいに接近してきたミクに向かって、俺は諦めてこう言った。
「・・・好きなんだよ。」
「好き?」
その単語を聞いた時、ミクは驚いたように目を見開いた。
「どうした?」
「好きという感情を持つと、格好良くなりたくなるのですか?」
「まあ・・そうだな。」
「じぁあ、それを歌にしてください!そうしたら、私にも好きという感情が分かるかも知れません!」
「格好いい、か・・。」
服も小奇麗なものにして、髪型も整えて、できるだけ強がって。
格好良くなりたいのは君の為だから。
ふと思いついた言葉を一つにまとめてゆく。頭に流れる音楽に、その言葉を載せてゆく。
曲が、出来る。
「ミク、曲が書けるぞ!」
俺は我を忘れてそう叫ぶと、パソコンに展開した楽譜に大急ぎで音符を書き連ねていった。忘れる前に、全部書く。
それから数時間後、ようやく一曲目が完成した。あと、三曲作らなきゃ。
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