「メイコは行ったようですね」

背後からひっそりと掛けられた声に、彼は静かに応えを返した。

「終わったか?」
「ええ。・・・少し歩きませんか」

音もなく横に並んだ影に、黙って頷く。
一斉に、歓声の聞こえたほうを目指そうと流れる人々の間を抜け、さりげなく人気のない方へと足を進め、彼らが向かった先は閉ざされた空中庭園だった。

元々が人の目を避けるかのような奥まった造りのためだろうか、ここだけは王宮の騒ぎの中でも、未だひっそりとした静寂を保っている。
咲き誇る色とりどりの薔薇の群れは、枯れることなど知らぬかのように、薄闇の中に気高い芳香と完璧な美しさを湛え、品良く客人たちを出迎えた。

他に誰も居ないそこで、やっと二人は足を止め、向かい合った。

「王女は、玉座の間にただ独りでいるところを捕らえられました。家臣だった者たちも多く捕まっていますが、最後まで彼女に従うものは誰もいなかったようです」

先に口を開いたのは、青年を誘った影だった。
下女の扮装は既に解いて、白銀の髪を下ろし、司祭のそれに似た白い服を身に纏っている。
その姿は、捕らえた王女を前に、赤い鎧の少女と並べば見事な対比を生み出すだろう。
意図を持って選ばれたに違いない演出の、その効果を青年は思う。

「・・・わかった。革命軍の勝利宣言と王女の処刑を待って、戦争の終結を公表する」

感慨を見せるでもなく答えた時には、彼は身元を明かさぬ革命軍の一員ではなく、既に一国の君主の顔だった。
己にとっては馴染んだその気配に、ハクは目を細めた。

「これで無益な戦も終わります。やっと肩の荷がひとつ下りましたよ」

かつて仕えていた時そのままの丁重さと親しみを篭めた口調で語り掛ける。
革命軍の内にあっては一定の距離を保ってきた青年の表情にも、同様の気安さが浮かんだ。

「せっかく戦争が終わっても、彼女は舞台に戻るつもりはないようだ。惜しいことだが。お前はどうだ」
「戦争が終わっただけでは、革命は終わりません。ここから新たな国を作り上げていくことが、本当の始まりです。私はこの国の行く末に生涯を捧げると決めました」
「それもまた惜しいことだな」
「そう仰って頂けるのは光栄ですが」

肩を竦める青年に、ハクはその頬にちらりと笑みを覗かせた。

「・・・去る者の背中を惜しむよりも、あなたには気にすべきものがあるのではないですか」

蒼い瞳が動き、かつての腹心をその視界に捉えた。
無言の内の促しに、確信を持ってハクは切り込んだ。

「ご存命で、いらっしゃるのでしょう?」

誰を、とは言わずとも通じる。
彼は既にハクの問いたいことを理解しているに違いなかった。
答えが返るか否かは、問い掛ける者の力量次第だ。

「そうでなければ、シンセシスの末路はもっと悲惨なものになっていたはずですから」

ハクの指摘に、果たして青年の唇の片端に、あるかなきかの微かな笑みが浮いた。

「・・・ご無事で、とは訊かない辺りが、お前は少し賢し過ぎるな」
「――カイザレ様、それは・・・!」

余裕のあったハクの表情に、狼狽が過ぎった。
それは想定外の答えだった。
わざと皮肉な問い方をしたものの、彼らの間でそれは本来なら『無事』と同義語のはずだった。

「まさか・・・・・・本当にミクレチア様を」
「ハク」

焦りから迂闊にも名を呼んだ失態を、冷ややかな声が打った。

「あれは死んだと言ったろう。話を聞いてなかったか?」

ハクは口をつぐんだ。
蒼い瞳が問い掛けは終わりだと告げていた。
相手がハクであればこそ、彼はここまで明かしたのだ。
けれど、彼女のことに関して介入することは、相手が誰であれ許すまい。

「・・・失礼、いたしました」

つい冷静さを失ったのは、自分が思いの他、かの姫を気に入っていたということなのだろう。
だが、ハク自身、自分が口を出すような立場にないことは判っていた。
案じる心がないわけではなかったが、それでもハクは沈黙を選んだ。
存命であるなら良いとすべきだ。それ以上は彼ら自身の問題だった。

「王女の謀略によりシンセシスは王なき国となり、ボカリアもミクレチア様を喪ったご心痛から大公が倒れ、崩御なされた。諸悪の根源である王女は自国の革命軍によって死刑となり、戦争は三国なりに痛み分けで幕切れ。・・・そういう形で宜しいのですね」
「それが一番、角が立たないだろう。一国だけが何の痛みもないのでは、傷を負った他国の反感を買う」

ハクの確認に事務的に頷き、カイザレはふと調子を変えて水を向けた。

「それよりも、お前は良いのか。王女が捕らわれて、あの坊やが一人逃げおおせるとも思えないが」
「大切なのは悪政の象徴である【王女】が革命によって打ち倒され、裁かれることです」

冷徹な声でハクは答えた。
王女にしろ、王子たる召使にしろ、ハクにとってはさしたる思い入れもない。
己の成すべきことを果たさなかった人間に、同情は持たなかった。

「放っておいても、彼女一人では何も出来ない。それに、この国が立ち直るまで、時間が掛かるでしょう。いずれ困難に突き当たったとき、もう一度、不満のはけ口が必要になるかもしれない」

情のないハクの物言いに、あるいは形ばかりでも青年が咎めるかと思ったが、彼はそうか、と肩を竦めただけだった。

「その時がこなければ幸いだな。どちらにとっても」

興味を失った声で呟き、退屈紛れのように伸ばした手で花壇の薔薇を弄ぶ。
従順にその手の内に収まる花が、無体な扱いを怒って指先を傷つけることはない。
薔薇園の主が怪我をしないようにと、生きながらに棘の取り除かれたそれらは、手折るのも酷く容易いに違いなかった。

――どちらにとっても。
さらりと告げられた言葉を、ハクは胸のうちで繰り返した。

「きっと、・・・そうでしょうね」
「――ハク」
「はい」

名を呼ばれて、反射的に顔を上げる。
深い色を湛える蒼い瞳がそこにあった。

「お前とも、ここでお別れだ」

ふいに青年が、はっきりと告げた。
言葉なく、ハクが頷く。

「これからお前がどのような国を作るかは興味深いところだが、願わくば、我が国と友好的な関係であって欲しいものだな」
「私もそう願います。他の誰を敵に回しても、あなたを敵に回したくはない」
「その点は安心して良いさ。お前は私を怒らせないために何が肝心か、良く分かっているだろうからな」
「心得ています。間違っても、あなたの薔薇には手を出しませんよ」

打てば響くように言葉を交わし、二人は同時に笑んだ。
既に、暇乞いもそれを許す返事も互いに済んでいる。
けれどその時に、最後の決別までも告げなかったのは、ハクの未練だったろうか。
頃合を切り出したのは、主であった青年の側となった。
それもまた、彼が主人としての責任を負ってくれた形なのだろう。やはり失うには惜しい主だった。

地に膝をつき、ハクは差し出すように一本の剣を足元に置いた。
文官の持つ特有の丈の短いそれは、かつて彼に仕えることが決まった時に、彼によって下賜された一振りだった。

「お返しいたします」

静かな声にカイザレが頷く。
彼の手が地に置かれた剣を拾い上げるまで深く頭を垂れ、身を引く気配にハクは顔を上げた。
ゆっくりと立ち上がり、剣ひとつ分の重みが消えた身軽さと喪失感に、ひとつ息を零す。

ここからは本当に、主でもなく、臣下でもなかった。

青年の整った面に浮かぶのは、もはやハクにさえ本音を伺わせない仮面の笑み。
この先、その下の素顔を見ることが出来るのは、きっとただ一人きり――。

「・・・私としても、この先、あなたがこの国を手に入れようという野心を抱かないことを願いますよ」

ハクの本音混じりの最後の軽口に、彼は薄く笑い、手に触れていた花を無造作に握り潰した。
薔薇を愛した王女の箱庭。
世界中の薔薇を集めたというここに、彼の望む花はない。

「必要ない」

指の間から、千切れた花弁が赤く散る。それはまるで滴る血のようだった。
風に飛ばされていくそれらを見送り、彼は愛でる主を失ってなお、虚しくも美しく咲き誇る薔薇園に背を向けた。――彼のために咲く、唯一の花の元へ帰るために。

後に残る薄闇に浮かぶ白い姿へ、その声が届いたかどうか。
美しい笑みを象る仮面の下、闇の中から誰かが嗤った。


「――・・・欲しいものはもう、手に入れた」







ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第25話】後編

長らくお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説『薔薇と毒薬』、これにて完結です。
ラストぐらいは、色々、後書きで補完するべきことがあるような気がしますが。すみません、ちょっと今、眠気に負けそうです・・・orz

ええと・・・読みにくいところも多い文章だと思いますが、カンタレラ好きさん、悪ノシリーズ好きさんの、両方に楽しんで頂ける内容になっていれば嬉しいです。


改めて、黒うさPと悪ノP、偉大なる原作者様方に感謝と、最大級の愛を。
多大なインスピレーションを頂いた派生動画の作者様方に敬意を。
そして、途中でかなり挫けがちだった心を支えて下さった、ブックマークやコメント、励ましのお言葉を下さった方々に、心からお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

閲覧数:1,246

投稿日:2009/10/25 01:55:37

文字数:3,482文字

カテゴリ:小説

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  • azur@低空飛行中

    azur@低空飛行中

    ご意見・ご感想

    >ことは様!

    いらっしゃいませ!読了ありがとうございますv
    Σななな、何だかとっても、もったいないお言葉ありがとうございます!というか、褒め過ぎです、ことは様・・・!
    私が血圧上がりすぎて死にそうです。ある意味褒め殺されそうになってますから。よし、クールダウン、クールダウン・・・!
    せっかく血を下げても、恐れ多くも大好きコールでまた逆流です(////)。何この昇天フラグ・・・!

    楽しんで読んでいただけたのでしたら、もう何も言うことはありません。
    作中、特に結末は、読んでくださった方の期待を裏切らなかったかと冷や冷やだったんですが・・・だ、大丈夫でしたでしょうか(汗)。途中はともかく、読後の後味が悪くないことを、ひたすら祈ってます。

    連載途中にも、何度もご感想を下さってありがとうございました。とても励みになりました。私こそ感謝し尽くしても足りないです。
    そんなストーカーなんておっしゃらずに、私がいつでも正座でお待ちしますから!

    自分が書きたくて書きたくて、趣味100%で書き始めたものを、気に入っていただけるとは、嬉しいやらもったいないやら・・・。
    でも、やっぱり嬉しいです。ありがとうございます。(//´Д`//)
    今後、何を書こうかまだ未定ですが・・・また楽しんでいただけるものを作っていければ嬉しいです。

    本当に本当に、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました!



    しょ、書籍とか・・・(吐血)そんなに需要のあるものかは怪しいですが・・・。
    ・・・・・・いつか、一度は、やってみたい気がしますね←

    2009/11/03 02:04:05

  • azur@低空飛行中

    azur@低空飛行中

    ご意見・ご感想

    >にゃん子様

    ナイスシャウト!!
    誰か一人くらい、お兄様の胸倉掴んで叫んでくれないかなvと実は密かに期待してましたv

    はじめまして、コメントありがとうございます!
    一年・・・(汗)ええ、長いですよね、一年。本当にお待たせしましたと申しますか・・・見捨てず気長にお待ちくださってありがとうございます。
    本当に、続きを待ってくださる方々がいたから、根気のない私でも何とか完結までこぎつけられました。
    自分の書いたもので楽しんで頂けたなら、まして幸せとまで言っていただけるなんて、私こそ幸せ者です(////)。ありがとうございました。

    次に何を書くかはまだ決めてないのですが、宜しければ今後の作品もご覧いただけたら嬉しいですv
    こちらこそありがとうございました!

    2009/10/28 02:43:22

  • 望月薫

    望月薫

    ご意見・ご感想

    カイザレ!おまっ…(´;ω;`)カイザレええええええええええええぇぇ!!

    お、思わず叫んでしまった…(笑)
    はじめまして!一年ほど前からずっとこちらの作品を読ませていただいてた者です!
    長い間の連載お疲れ様でした!毎回投稿されるたびにどんな展開が待ち受けているのか楽しみな作品で、新着に来たときはドキドキしながら読み進めていましたv
    こんな素敵な作品を享受することができて幸せでした…(*´∀`)ほう…
    また次回作をお書きになる場合は是非ともまた読ませていただきますね!
    本当に素敵な作品をありがとうございました!

    2009/10/26 00:22:57

  • azur@低空飛行中

    azur@低空飛行中

    ご意見・ご感想

    !!??
    ちょ、え!?熊様!!?Σ(゜Д゜;≡;゜д゜)
    よ、よよよ読んでくださってたですか!!??
    何というサプライズ・・・ありがたくも背中から変な汗が止まりません。お目汚しで、すいませn(白目)
    いえ、もう、このコメントで十二分に、お祝い頂きましたから!ありがとうございます~。

    ・・・・・・つ、ツッコミ、ダメ出しはいつでも、ひっそりと受け付けておりますです。


    え?自費出版ですか。幾ら掛かるか考えただけで気が遠く・・・。
    きっと熊様がCDを出された後くらいじゃないかとv(´∀`*)

    2009/10/25 23:03:25

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