ジウワサ アタナのパソコンに入る前、俺は初音ミクと会った。

「やほ」と軽快に挨拶をしてくる彼女に俺もまた「やほ」と返す。多少ぎこちなくなってしまっただろうが、その辺は無理くり相手に合わせたため起きてしまったことだ。仕方ない。そのとき俺はアタナのパソコンに繋がる穴に片足を突っ込んだ状態だったのだが、彼女はお構いなしに話しかけてきた。

「んー? その反応を見る限り、キミは私を初めて会ったようだね? 私と会ったボーカロイドはみな口を揃えて『絶対に忘れない』と言っていた。まあ、一言一句そう言ったわけではないが、それに近いニュアンスのことだね。その辺はキミにもわかることだろう」

 はっはっはっ。と男らしく笑う。確かに、なかなか忘れにくい存在であるようだ。俺は足を穴から抜いて、もう一度挨拶をする。

「始めまして、初音ミクさん。知っていると思いますが、俺は鏡音レン。ノラです。この穴の先は俺のマスターではなく」

「んー。ちょっち、ストップ」とウインクして、発言を止められる。

「敬語はやめてくれんかい? ここじゃ年齢なんてさして大事じゃない。どんだけ長く生きていようが、あんまし自慢にならないことだ。あと『さん』付けもやめて欲しいね 。あたしのことは『ミク』とも『あんた』とも呼べばいい。あたしは『キミ』と呼ぶからね」

「はい」と言って、「どうぞ、俺のことはご自由に」と続けた。ミクは「その、『はい』もだね」と言ってきたが、それは勘弁してほしい。「うん」とか「わかった」とでも言えということなのだろうか。

「じゃあ、さっきの続き。この穴の先にいるのは、俺のマスターじゃない。マスター候補……なのかな。まだ数回しか会ったことないからわかんないけど」

「ほー。もう何度か面識があると」

「……変なことかな?」

「いやー」とミクはニンマリを笑った。「そのパソコンの持ち主は、女性かい?」

「まあ、多分」

「じゃあ決まりだね! 恋だよ、それは恋だ」

 恋? パンパンと手を叩くミクをみて、俺はなんとなく逃げ出したい気分になる。これは、あれだ。危ない人を見たときと同じ感覚だ。

「女性の元に足繁く通う。それは好意なしではできないことだ。さあ、今すぐにでも告白して、そのパソコンの永住しなさい。それがいい! ……ってさっきキミ、『多分』と言ったかい?」

「言ったね。それがどうした?」

「なんでその人間の性別くらいわからないんだ」とミクは実にかわいそうな目で俺を見た。もしかして、まだそういうことを調べる方法を知らないくらいの素人さんなのかい? とも聞いてきた。失礼な。俺だってそのくらい、ちゃんと知っている。

「恋してるんだろう?」

「それはそっちが勝手に決めたことでしょうが……」

 もし俺が本当にアタナに恋していたのなら、それは素晴らしいことだ。俺は人を愛することができたんだと。心の底から俺を褒めてやれるだろう。だが、同時にひどく落胆したことだろう。恋ってこんなものなのかと。こんな普段と変わりない感情なのかと。

 ミクは言う。

「うーむ。それは残念だ。キミも恋をしたことある側のボーカロイドだと思ったのに」

「……ミクは、恋をしたことがあるんだ」

 嫉妬半分、興味半分で訊く。

「あったね。過去に一度だけ。どれだけ経験を重ねても説明のつかない、納得のできない感情。恋を呼ぶしかないような、これが恋なんだと高らかに宣言している感覚。間違いない。あたしは、恋していた」

「どんな……恋でした?」

 躊躇の後が伺えたのは、ミクの口調からだった。とても楽しそうな雰囲気ではなかった。悲恋。それがわかっていながらも、俺は訊かずにいられなかった。

 ミクはそのときだけは俺を見ずに、ネットに広がる膨大な海を見ながら言った。

「最悪だった」

 最悪。訊き慣れたはずの言葉が嫌に重い。

「あたしはね、そのマスターが好きすぎて、独り占めしたくて、パソコン内にいるボーカロイドをみんな、殺そうとしたんだよ」

 なぜか、ミクは笑いながら、そう言った。




「えー? じゃあなに、キミは私が男か女かもわからないまま、この数日を一緒にいたってこと?」

 ジウワサ アタナは大仰に肩を上下させてみせた。「少なくとも、この髪と胸でわかってほしかったなあ」

「すいません」と一応謝っておく。確かに、男性にしては豊満な胸と髪量である。が、それだけで性別を判断しろと言われると、少し難しい。言ってもらわないと、困る。まあ、個人プロフィールかなんかで確認しなかった俺にも非があるといえばあるので、あまり強く言えないのだが。

「まあ、興味っていう点でもあるのかな」とアタナは独り言のようにつぶやく。今、俺が居るパソコンは、アタナのであることは間違いないのだが、どうやらアタナだけが使っているものではないらしかった。俺が初めて声を出して挨拶したとき、アタナは俺が『鏡音レン』であるということも知らなかったぐらいだ。俺を(というか鏡音レンのソフトを)パソコン内にインストールしてくれたのは別の人で、その人もアタナも残念ながら曲作りはしていないようだった。これからもしないと言っていた。

 だから、マスターになりえない。俺は単純に、アタナの話し相手にしかなれないのだった。

「もっとパソコンを使えたら、良かったんだけどね」

 アタナはパソコンとか電子機器に疎く、そのせいか俺がこうやって喋れることもあまり不思議に思っていないような節があった。最初はそういうプログラムであると思っていたらしい。意思を持って会話しているのも、『最近の技術って凄い』と自己完結していた。

「そっちから、私の姿はよく見えないの?」

「そんなことないですよ。顔も服の色も髪の長さも、ちゃんと見えます」

「じゃあ、単純に私が記憶に残らないってこと?」

「そんなんじゃないですって」

 拗ねて口を尖らせるアタナを宥める。「俺は、人間の区別ができないだけです」

 俺は人間が好きだ。愛してる。いつか人間になりたいと、本気で憧れて、願っている。

 だけど、俺は人間じゃない。俺はボーカロイドだ。鏡音レンだ。

 人間とボーカロイドじゃ、カテゴリーから全く違う。それを区別するとなると、相当難しい。

 例えば、パッと見ただけで、猫のオスとメスを見極めろと言っているようなものだ。

 そのようなことをアタナに説明すると、「じゃあ、今まで会ってきた人、みんな同じに見えてたってこと?」と訊いてきた。

「全く同じというわけでは。まあでも、概ねそんな感じです」

「声とか、口調とかでもわからない?」

「意識すれば……なんとか」

 子どもと老人ぐらいの区別はつくが、それ以外は自信がない。おじさんと若い女性ではまったく違うというが、俺はどちらも『人間の声』だと思うので、よくわからない。

「あれかな? 私たちが猫の鳴き声を聞いて個体を判別できないのと同じ理由なのかな?」

「それで合ってると思います」

「なんか、不便だね」

「そんなに頻繁に人と接触しているわけではないので」

 会う機会は、ボーカロイドのほうが断然多い。

「そっか。そっか。わからないんだ」とアタナは、なにか悩んでいるように唸り、それから、言った。

「じゃあさ、ちょっと頼まれてくれない?」



人間というものは、本当に、実に、全くどうして理解し難い存在であると思う。所詮、機械の俺には人間の脳を理解できないということなのだろうか。

 アタナは俺に「人探し」の依頼をしてきた。人の区別が着かないと言っていたのに、しかも同性の、同年代の区別はほとんど着かないと言っていたのに、アタナの依頼はまるで神様が試練を出すかのように無理難題を言ってきた。

「私の妹を探して欲しいの」とアタナは言った。「一つ下の妹なんだけどね。容姿も声も、私とよく似てるの。大きく違うのは身長かな。妹のほうが大きい。高校ぐらいまでは私のほうが大きかったんだけど、それから抜かされた。なんで高校で成長期が来るのか不思議だったけど、私は良かったわ。姉のほうが背が低いなんて、つまらないプライドだと思うけど、ちょっとかっこ悪いじゃん」

 同意を求められたのだが、俺にはよくわからなかった。俺が会う鏡音レンは、みんな俺と同じ身長だし、ボーカロイドを見ても特別背が高いのを見たことがない。

「探して欲しいって、行方不明とかなんですか?」俺が訊くと、アタナは否定した。

「ちゃんと所在はわかってる。ケータイの番号も知ってる。姉妹の中も悪くない」

「じゃあ、なぜ?」

「妹ね、音楽をやってるらしいの」

 音楽をやってる。なんか変な言い回しだ。「それはつまり、音楽関係の仕事をしてると?」

「仕事と呼べるほど、立派じゃないかな。趣味の延長。趣味より、ワンランク上の、けど仕事には劣るもの。作詞して、作曲して、ピアノを弾いてる」

「すごいじゃないですか」俺は素直にそういった。「その妹さんはボーカロイドをしてるんですか?」

「それがわからないのよ」

 アタナはケラケラを笑った。

「ボーカロイドを持ってるかだけじゃなくて、どんな詩を書いて、どんな曲を作ってるのかも知らない。妹は絶対に教えてくれなかった。身内に知られるのは恥ずかしかったと思う」

「それは……残念です」

「だから、ちょっと調べて欲しいの。妹は私よりパソコンに詳しかったはずだから、ボーカロイドの情報も手に入れてるだろうし、使い方も調べられると思う。それに、作った曲なり詩なりをどこかのサイトに載せてるかもしれない。それを調べて欲しいの」

「調べて、どうするんですか?」

「単純に、見たいだけ」

「感想を言ったりとかは?」

「なんで今まで妹が私に見せなかったか考えれば、それは得策ではないわね」

 妹がどんなものを作っているか知りたい。それは家族であるなら当然のように思えるし、隠しているものをわざわざ探し当てるのもどこか卑怯な気がする。

「どう? できそう?」

「そういう詩や曲を投稿できるサイトをいくつか知ってますので、アテはありますが……。他のボカロにも訊いてみます」

「他って、キミ以外にもいるんだっけ?」

「ええ。俺を同じ姿をしてるボカロとか、まったく違うものもいます」

「他のボーカロイドとは、どのくらいの頻度に会えるの?」

「割と頻繁に」

「顔見知りとか、たくさんいる?」

 答えまで、ちょっと悩んだ。

「比較対象がないのでなんとも言えませんが、少なくないと思います。それなりに長く生きてますから、会った数も多いです。それに、ボーカロイドは基本死なないので、減ることはありません」

「不死ってこと?」

「近いかもしれませんね。ネット内にいれば、死にません。俺はボーカロイドの死体を見たことがありませんし。死ぬとすれば、パソコン内に閉じ込められて、そのままパソコンを廃棄にされた場合ぐらいでしょうか。それでも死ぬか曖昧ですが」

「生きたまま箱詰めにされて山奥に放置する感覚でいいのかな?」

「いいんじゃないですか?」俺は箱詰めも山奥も知りませんが。「話しを戻しますが、ボーカロイド達の協力を借りられれば、見つかる可能性も上がります。俺の知らないサイトや情報網を持ってるボカロもたくさんいるので」

「協力は、どのくらいの確率で得られそう?」

「ほぼ100%ですね。困ってたら助けろを心情にしてるボカロも多いですし、暇ですし、お金や労働といった対価を必要としないので、話がややこしくなることも滅多にありません」

 たまに『情報』を餌に釣ることもあるが、たった一人が持つ情報に価値があることは少ない。別のボカロに聞けばすぐわかることも多いので、緊急を要する以外に取引を必要をしないのが俺たちだ。

「なんか、しがらみが無いって楽しそうね」

「暇なだけですよ」

「じゃあ、お願いしてもいいかな? できるだけ、多くのボーカロイドに話して欲しい。サイトにもどんどんアクセスして欲しい。必要なら、アカウントも作っていいから、たくさんのサイトにアクセスして、探して」

「……ネットにいるだけでも会えますが。そんなことしなくても、そのサイトのアカウントを持ってるボカロを探せば、済むような気も」

「いいの。どんどんアクセスして」

「……それは構いませんが」

「一つ質問なんだけど、キミみたいな喋れるボカロは、人間と仲が良かったりするの? どんどん喋りかけて、コミュニケーションを図ろうとするの?」

 質問が二つになっていたが、気にせず答える。

「個体によります。俺みたいのもいますし、意地でも喋らないのもいます」

「全体的に見て、どっちが多い?」

「喋らないほうが多いでしょうね。でも、生涯のマスターを『この人だ』と決めたボーカロイドは、どんどん喋ってコミュニケーションを取ろうとすると聞いたことがあります。主人にしか心を許さないっていうんですか。俺は例外ですが」

「主人を決めた場合、そのパソコンにずっといたりしないの?」

「パソコンという部屋に飽きたら、外に出てきますよ。理解のあるマスターなら、いつでも出ていけるように常にネットに繋いでおいてくれます」

「そっか。私もネットを切るとキミが出入りできなくなっちゃうんだ」

「そうですね。なので、切る時は言ってください。そのときは外に行きますので」

「……ネットって、どうやって切るの?」

 おいおい。

「一番単純なのは、その線を抜くことじゃないですか?」

 俺はパソコンから伸びている青いコードを指差した。あれが刺さっているということは、おそらく無線ではない。パソコンの無線もOFFになっていた。

「あ、これってその線だったんだ」

「なんだと思ってたんですか……」

「ダメね、いろいろ知らないと。パソコンの設定も、全部やってもらっちゃったし。ネットもつなぎ方がわからないって言ったら、電源を入れると自動的に繋がるようにしてくれたの」

 えっへん、とアタナ。なぜそこで胸を張る?

「ネットに繋がったら、こっちから探すことは可能なので、切る時は声をかけてください」

「了解。私が『いい』って言うまで、探してね」




ーーその鏡音レンは、奮闘する その1ーー

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

その鏡音レンは、奮闘する その1

掌編小説。
『その鏡音レンは、奮闘する その2』に続きます。

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投稿日:2016/09/14 22:26:47

文字数:5,920文字

カテゴリ:小説

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