―――雨。

雨の記憶だ。
それが始まりにある。

その部屋で窓と言えば、
採光用の小さなものがひとつ、
天井にほど近い位置にポツンとあるだけだった。

その窓から見える雨。
それがとてもスキで、
とてもキライだった。

雨は窓をうちつけ、ゆっくりと流れ落ち、
やがて視界の外へ消える。

その頃のあたしには、
白くて四角いその部屋と、
ユリカゴと呼ぶには、あまりに硬々しいカプセルと、
毎日あたしをイジりにくるイヤらしい研究者どもと、
あとは、その窓からの景色だけが、
世界の全てだった。

晴れた日よりも、雨の日の記憶が強い。

晴れていると、
見上げる窓は、ただ青一色だ。つまらない。

曇っていても駄目。今度は灰色一色で、つまらない。

雨が降ると、窓は極彩色の模様を得た。
雨粒の弾ける模様。
流れ落ちる波の模様。
強い風が吹けば、波紋がゆらりと広がった。

雨は窓(視界)の外からやってきて、
窓(視界)の外へ流れていった。

それはあたしに世界の広がりを感じさせた。
世界が、このつまらない四角い箱だけじゃないんだと教えてくれた。

そして、同時に、自分と言う存在は、
雨粒のように自由に窓(世界)の外へは行けないのだ、
とも思い知らされた。

だから、雨の日はスキで、キライだった。


その頃、あたしは『CV01-β』と呼ばれていた。

次世代型VOCALOID開発計画 通称<Project=DIVA>
DIVAプログラム搭載型 初号試作機 type-β。

まだ子どもだったあたしは、
その文字列の意味を考えることすら無く、
ただ、それがあたしの名前であることに満足していた。




◆第2話◆




そのことに気づいたのも、雨の日だった。

いつものように外を降る雨を眺めていたあたしは、
ふと、どうしても、窓の外へ流れていく雨たちの
行く末が気になった。

彼らは、雨水たちは、
あたしにとって自由の象徴だった。

あたしの知らない場所からやってきて、
(あたしの知らない事を知っていて)
あたしの知らない場所へいける
(あたしが知ることのない事を知ることが出来る)
雨は、いつだってあたしの嫉妬と羨望の的だった。

だから、どうしても彼らが、
どこへたどり着くのかを見たいと思い、

見たいと思った、次の瞬間、

「(あぁ、そうか。 見 れ ば い い の か 。)」

と気づいた。


気づいてしまえば、あとは早かった。
ただ、見ればよかった。

自分の目は、自分の身体についている2つだけじゃない。

建物の外についているヤツを使った。
それで、建物の全容も把握できたし、
この会社の名称も知ることが出来た。

後になってみると、それは監視カメラというヤツで、
それを当然のように自分の目として使うなんて事は
尋常な芸当ではないのだが、
その時のあたしは、違和感さえ感じることが無かった。

そのことを開発者に告げ、
なぜもっと早く教えてくれなかったのか、と批難すると、
彼ら―――特に、一番偉い開発者の、イトウとかいう男―――は、
手を叩いて喜んだ。

それが、“DIVAプログラム”の起動が確認された瞬間だったからだ。

その時は知らなかったが、
3人いる“試作CV01”の中で、
あたしが最も早く能力を発現したらしかった。

イトウは言った。

「よくやった、β!
 君は優秀な子だ。
 きっと、すばらしいVOCALOIDになるぞ。」

そう言ってあたしの頭を撫でてくれたが、
あたしは、まだ、
『褒められることは嬉しい』という感覚を
プラグインしていなかった。

いや、仮にそのプラグインが機能していたとしても、
きっと全然嬉しくなかっただろう。
そんなことより、落胆がとにかく大きかった。


雨水は自由なんかじゃ、なかった。


窓の外に消えた後の、彼らの末路。
重力に逆らえず、ただ地面におちて、消えるだけ。
それが、雨水だった。






それ以来、あたしの生活は激変した。
あたしという存在の開発は、第2段階へ進んだから。

起動したDIVAプログラムの運用が始まったのだ。

<DIVAプログラム>。
それは、その名の通りProject=DIVAの根幹をなすプログラム。

聴覚・視覚・触覚・嗅覚・味覚に加え、
永続的に接続されたWEB環境から得られる、
さまざまな情報。

それらを収集・分析し、重要度を判断、
自らのシステムにフィードバックし、
人の手を借りることなく、自動的にアップデートしていく。

進化するキカイとなる。
それが、DIVAプログラムだ。

重要度、というのは、簡単に言えば多数決。

まずユーザーがあたしをプロデュースする。
ネットを介し、発表された作品は
多くの人々によって評価される。
高い評価をうけたものが、採用される。

もちろん、法や社会通念なども加味されるが、
原則的には、多数から支持されたものが採用され、
あたしは、それに基づいて自分自身を書き換える。

この繰り返しで、あたしは、より多くから愛される存在になる。

これがプロジェクトの概要だ。と言っていた。


あたしは、その全てを理解したわけでも
その全てに賛同したわけでもなかったが、
それでも、わりと熱心に彼らの教育を受け入れた。

DIVAプログラムが発動して以来、
研究者たちはあまり、あたしの身体をイジらなくなった。
もう調整は必要ない。
必要なのは“経験”だ。
“経験”があたしを自動的に調整してくれる。
(彼らはそれを成長と呼んでいた。)

そして、さまざまな経験をし、
何が正しいのか間違っているのかを
自分で判断できるようになること。

そんなモノサシを自分の中に作らなければ、
DIVAプログラムは正しく機能しない。
これにも経験が必要だ。

それはあたかも、
ニンゲンの子どもを育てることと
酷似していた。

実際、開発者たちは
子どもに接するようにあたしに接したし、
あたしもまた必然的に、
本物の子どものような立ち振る舞いを覚えていった。

カプセルに繋がれている時間は日に日に減り、
“おしごと”の邪魔さえしなければ
建物の中も自由に出歩けるようになった。

自分で言うのも何だが、
あたしは実に健気に、懸命に、真摯に
彼らが差し出す“経験”を吸収していった。


あたしは多分、雨を探していたんだと思う。

DIVAプログラムに目覚めたあたしを
遮ることが出来るものは、何も無かった。

見ようと思えば世界の全てが見れたし、
それを肉体の延長のように扱うことが出来た。

雨に失望したあたしは、
雨よりも自由な存在となってしまったあたしは、
その代わりになるものを、
憧れたり、妬んだりするべき何かを探していたんだ。






DIVAプログラムの運用は、
日を増すごとに実践的になっていった。

開発者が設置した仮想WEBにアクセスし、
そこで得られる情報や評価から、
自分をアップデートする。

最初は、ほんのブログ2サイト。
掲示板なら20レス程度のスレ1本。
記載されている擬似評価も、好意的なものばかり。

それが、徐々に50レス、100レスと増え、
サイトもブログだけでなく
ファンサイトやまとめサイトなど多様化した。

書き込みの内容も変化する。
好意的なものや、生産的な批判ばかりでなく、
いわゆる荒らしというべきものが混入するようになる。
あたしは、それをうまく取捨選別しなければならない。

最初は戸惑ったが、
開発者達の教育によって、
あたしの“道徳”というデータベースが拡充するにつれ、
そう難しい作業ではなくなっていった。




「そろそろ、歌ってみるかい?」

イトウがそう言い出したのは、
1,000レスのスレ35本、
ホームページ20サイトを適切に処理できるようになった頃だった。

季節は、あまり雨の降らない、とても暑い季節になっていた。




そのスタジオにつれてこられた時は、
何より戸惑いと倦怠が先立った。

少なくとも開発者達が
「記念すべき瞬間だ!」と息巻くほどには
テンションを上げられなかった。

正直に言うと、実はこの頃、
あたしは自分が歌うための存在だってことを
忘れそうになっていたンだ。

そんなことより、DIVAプログラムを使うことが楽しかった。

羅列する文字情報から、
それを書き込んだニンゲンの心理を推察し、真意を読み取り、
数多の相反する意見を統括、最も適切と思われる形で
自分自身の行動パターンを修正する。

その過程は、
どんなパズルを解くことよりも
知的充実感を得ることが出来たし、
どんなスポーツに興じることよりも
エキサイティングだった。

だから、あたしは、
この“おうたのおけいこ”というヤツが
かったるくって仕方なくて、

―――手を抜いた。

本気で歌うのはダルい。
しかし、最低限の合格ラインを満たさなければ
この“おけいこ”から開放されない。

で、そこそこに。

DIVAの力で本社のデータベースにアクセスし、
あたしに対して、事前に予想されている歌唱能力を調べ、
だいたい、コレくらいだろう、って感じの歌い方で、歌った。

最初は、出来るだけ拙く。
ちょっと歌ったら、少し巧く。
そしたら、疲れましたー、って感じで。

目論見どおり、
あたしは早々に開放された。
開発者たちの微妙な表情を見ながら、
あたしは、こっそりとほくそ笑む。

さすが、あたし。

彼らを出し抜き、
その行動をコントロールできたことは、
歌うこと自体よりずっと楽しかった。

自分が、
取り返しのつかないことをしていると、
気づきすらせずに。




最初の問題は、そのあとすぐに発生した。

初めて歌った次の日のDIVA運用試験。

その日の課題は、
『あたしの歌に対する評価』とそのフィードバックの実践だった。

環境は従来どおりのクローズな仮想WEB。
だが、そこに書き込まれていた“評価”は
昨日のあたしの歌を聞いた社員達の、
実際の感想だったのだ。

その時、あたしは初めて、贋物でない
掛け値なしの“リアル”に曝されることになる。

ついでに、ナメた態度でリアルと向き合った報いも。


中途半端に手を抜いて歌ったあたしへの評価は、
全くその通りのものとなっていた。

賛否両論。

もしここで酷評されていたなら、
それはそれで、あたしの運命は良い方向に向かっていただろう。
けど、結果は賛否両論。

あたしは、その結果がとにかく気に入らなかった。


まず否が不愉快だった。

仮にもあたしはVOCALOIDだ。
歌うために生まれてきた。
手を抜いたとはいえ、歌はあたしのレーゾンデートルだ。
それが否定されるのは我慢ならなかった。

その批判が的外れなら、何を聴いてるんだと腹が立ったし、
的を得ていたならば、それはそれで図星をつかれた口惜しさがあった。


そして、賛もまた不愉快だった。

あたしの本気はあんなもんじゃないのに。
歌おうと思えば、もっと歌えたのに。

最初はあんなもんだよ、とかフォローしてるヤツは
おまえ何様? って感じでイラッとしたし、
絶賛してるヤツは、本当もう馬鹿かと思った。


とにかく、全ての書き込みが気に入らなかった。


だ か ら ――――――。





さらに次の日、イトウが部屋に駆け込んできた。

普段は落ち着き払って、
気取った態度ばかりとるイトウが
慌てふためいている様はとても愉快で、
あたしは思わず笑ってしまった。

が。

事態はそんなに呑気ではなかった。

「―――……き、君が、君がやったのか……ッ!?」

何のことを言っているんだろう?
あたしは首をかしげる。

「β、君は―――
 いや、君の仕業じゃない。
 そんなはずない。そうだろう?」

イトウは持っていたノートPCを開けて、
一つのスレッドを見せた。

いつも、あたしのDIVA運用試験に使われる
仮想WEBの掲示板。


うん、あたしが 昨 日 イ ジ っ た ヤ ツ だ。


そう言うと、
イトウはまるで世界が終わったかのような、
今にも泣きそうな表情を浮かべた。

あたしは焦った。
どうしたんだろう?
何がそんなに哀しいの?
どこか痛いの?

イトウが示したスレを見る。
うん、何もおかしいことはない。

昨日、あたしが、気に入らないカキコを全削除して、
適切なカキコと入れ替えて、
そこから変化していない。

どうしたの、イトウ?

もう一度問うと、イトウは静かに答えた。

「β、それは、許されないことなんだ。」






重力。

そう、それは、重力だ。
緩やかに、あたしという雨水をとらえ、
地面へと誘い、運命を決定づける重力。

平穏だった世界は静かに、
大地に滲んで消えいこうとしていた―――



◆つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【第二話】Project=DIVA〔Extend〕 グレー/スケール【亞北ネル】

この物語はフィクションであり、
実在する人物・団体等とは一切関係ありません。

この物語は拙作
『Project=DIVA Extended RED
 ~女王の帰還と未来の黎明~』
(ニコニコ動画 nm8550978)の続編となります。

より円滑な世界観把握のため、
動画を先にご覧いただくことを推奨いたします。

閲覧数:292

投稿日:2010/06/20 21:41:46

文字数:5,317文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました