デート当日の朝、リリィは時計のアラームで目覚めた。携帯が示す時間は6時5分。太陽の眩しい光が窓から差し込んでいた。
昨日は10時に就寝したので寝ざめはいい。天気も運よく快晴で、空には雲一つだって見当たらない。
朝からスッキリ起きられるという事は、なんて気持ちのいい事なんだろう。
早起きは三文の得、というのはこういう事を言うのだろう。
支度して家を出るまでにはまだ時間がある。だからと言って二度寝をしてしまっしたら、遅刻するのは目に見えているのでやめておこう。何せ人生で初めてのデートなんだから、やっぱりここはきちんとしないければ。
目ざまし代わりにココアでも淹れよう。
リリィの部屋は二階にあり、そこから一階へ降りて、キッチンに向かう。
「えぇとココア、ココアはと、――あった」
お気に入りである白い犬のキャラクターが描かれたマグカップに、多さじ三杯のココアパウダーをを入れる。
やかんには少量の水を入れて、コンロの火にかけた。お湯がわくまでそんなにかからない。
やかんの水は一分で完全な熱湯になった。マグカップにそれを注ぎ、スプーンでかきまわしてよく粉を溶かす。
白い湯気がもうもうと引き立った。その湯気と同時にココアの甘い香りが鼻をつく。
その香りを確かめながら、まずは一口。淹れたてはやっぱり熱い、けれどそれがまたよかった。
朝に飲むココアは、こんなにも美味しいものなのか。なら、これから朝起きるたびに飲んでみようか。
このひとときは、誰にも縛られない朝の自由な時間。いつもは学校の支度やら朝食の支度やらで忙しいが、今日は違う。まだ時間がある。
リリィはココアを少しずつ口に含ませながら、カーテンを開け、窓の外を眺める。
鳥がちゅんちゅんと鳴いている、平和な朝だ。
その平和と自由の時間の中でココアを飲むなんて、まるでヨーロッパのセレブにでもなった気分だった。
リリィはココアを飲み干すと、二階へと戻って、支度を始める。
思春期の女子たるもの、洒落た服は沢山ある。デートにはどういった服装で行こうか随分迷ったが、昨日一時間ほど吟味して、ようやく決めたのだった。
水玉模様のTシャツ、その上にはベージュの糸で編まれた透かし編みのカーディガンを着こなし、そして下は真っ白なチュールスカート、黒のニーソックスと決まっていた。あとはサンダルを履けばコーディネートは完成だ。自分の姿を再度確認して、リリィは満足した。
……うん、なかなか。少なくともダサくはないはず。うん、よし。
仮にダサいと言われたら、自分の姿勢でフォローしよう。背筋をぴんと伸ばしていれば、そこそこいい格好だと思われるはずだ。逆に姿勢が悪いとどんなに素敵な服装をしていてもダメなのだ。
料理人と同じで、素材を生かすか殺すかは自分の腕次第である。
入念に自分の格好をチェックしたうえで、リリィは携帯の時計を見た。まだ6時半。
少し早いけど、もう出ちゃおうかな。コンビニで朝食を買う余裕も欲しいし。
よし決めた。そうしよう。
いつも使っているスクールバッグに財布を入れて、リリィは家を出た。
― ― ―
集合場所は遊園地付近の駅を出たところにある、お土産ショップの前だった。
つまりは現地集合という事だ。
時刻は7時52分。約束の時間よりも約10分程早めに着いた。
まだ開業前だというのに、周りにはもう自分以外の客も来ていて、入り口前に沢山人だかりが出来ていた。
遊園地を前にして興奮している子供。そしてその子供と手をつないでいる女性――おそらく母親だろう。
そして、腕を組んだカップル。仲よさそうにぴったりとくっついている。
友達と来た者もいるようだ。彼女たちはおそらく女子高生。パンフレットを見て、やはり遊園地を前にして興奮している。
それから彼も数分してやってきた。
彼を見つけた瞬間に、リリィの心臓は少しずつ高鳴り始めた。ここに来るまでは落ち着いていたつもりだったが、少し緊張してきた。なんたって、人生一回目のデートなのだから。
「お、リリィ、もう着いてたのか。遅れちゃってゴメン」
「いや、私も今来たとこだよ。お、おはよ、神威」
「お、おう。おはよ」
彼もおしゃれをして来たのか、紺色のジーンズ、黒のTシャツに、ウィスタリア色の薄いパーカーを着こなしていた。ウィスタリアというのは青味のかかった紫色の事で、単に紫色、というよりは藤色、というのがそれに近い。
それは彼によく似合うイメージで――それは多分、彼が学校に来る時、いつもそのパーカーを着ていたからかもしれないが――何故かよく似合うのだ。
そして、私が思うに、彼は紫式部の様な人だと思ったからかもしれない。
黙っていてもどこか賢さがにじみ出ていて、その賢さを決して他人には自慢したりはしない。
脳ある鷹は爪を隠すように、彼もまた賢さを隠している、そんな風に私には見えたのだ。
紫式部みたいだからイメージが紫色、だなんてかなり単純な考えだが。
「リリィと学校以外で会うのはこれが初めてだっけか?」
「うん」
「俺、リリィの私服初めて見たよ。なんかそのさ、か、可愛いじゃん」
「あ、ありがとう」
神威はそっぽを向きながらそう答える。その頬は薄紅に染まっていた。彼も緊張しているのだろう。
彼も彼女がいた経験はないと言っていた。つまりお互いが自分たちにとって初めての恋人なのだ。
リリィも神威もデートと言うのは初めてで、緊張は中々解けない。
神威はリリィと目を合わせられず、リリィも少し顔が赤くなっていた。
「神威もなかなかカッコいいよ」
「そうか?サンキュ。ダサいって言われたらどうしようかと思ってた」
彼は目を泳がせたまま笑う。いつもの落ち着いた雰囲気の彼ではなかった。
初めて彼を見た時とは印象が全く違った。彼は堅くて真面目そうなイメージだったのに、今はどこにでもいる普通の男子高校生だ。
紫式部、というイメージも、今の彼には当てはまりそうにない。
「全然ダサくないよ。けっこうイケてる感じ」
「あはは、どうも。しかし、リリィみたいな可愛い女の子と付き合えるなんて夢みたいだな」
「え、いや、私なんてそんな可愛くないし」
「可愛いって!リリィほど可愛い子なんて周りにはそうそういないぞ」
「そ、そうかな」
「そうだって。ま、今日はさ、その、パーっと楽しもうぜ、パーっと!」
「そ、そうだね、パーっと!」
彼は笑って、恥ずかしそうに私を見つめた。頬を赤く染めて笑った。それを見た瞬間に心の中がキュンとして、自然に頬に笑みがこぼれる。あぁ、これが恋だ、恋というものなんだ。そう実感した。
「そう、やっぱり楽しくなくっちゃな!そうと決まったら、ほら」
「ひゃっ」
思わず声にならない声を上げてしまう。彼の手が私の手に触れたのだ。そうして、彼は私の指に自分の指を絡める。
リリィの顔は、その時点でもう真っ赤になっていて、一瞬何が起こったのか分からずに、なにも物を言えなかった。
「やっぱ、恋人同士だしな。だったらそれらしくしたほうがいいかな、って」
「……」
「リリィ?おーい。大丈夫か」
「だ……、大丈夫、うん」
「リリィ、初々しいじゃん。すごく可愛い」
可愛い、と神威から発せられたその言葉が、自分の脳内に響き渡る。
その言葉が脳の色々な部分を刺激して、更に顔は真っ赤になってしまった。
顔が熱い。あまりの熱さに心なしか顔から湯気さえも出ている気がする。
「神威は、緊張してないの?」
「緊張?してるさ。デートなんて初めてだし、もう心臓バクバクだよ。でも、女の子をリードすんのは男の役目だからさ、緊張ばっかしてちゃダメだろ」
「神威って、積極的なんだね……ちょっと羨ましい」
「はは、リリィだって色々積極的な性格じゃないか。性格も明るくて」
「そんなこと……恋愛は消極的、だと思う」
他人とのコミュニケーションレベルにおいては全く問題なかったし、神威から見ても、リリィは根暗と言うには程遠かった。が、恋愛についての知識などは常人よりも疎いとリリィは思っていた。
「そうなのか?なら、俺がリードするから、ちゃんとついてきな。まぁ……俺も女の子と遊園地なんて来るの初めてだしリードできるかは分からないけど……。ってこんな弱気になってちゃダメだよな、はは」
「大丈夫だよ、私も来るの初めてだから」
「そうなのか?それじゃお互い初めてなんだな。じゃ、引っ張ってくから、リリィもちゃんとついてきな」
「は、はい」
何故か敬語になってしまっていた。自分が思っている以上に、私は緊張しているのだろうか。
ふと目をそらした先に、一組のカップルが目に映る。
二十代前半と見られるそのカップルも互いに腕を組んでいて、やはり楽しそうに笑っている。
そうか、私達もあの人たちとおんなじカップルなんだ。恋人同士なんだ。
好きな人と手をつなぐのは初めてだし、その人とデートするのも初めて。やっぱり最初は慣れないけれど、じきに慣れていくのだろう。
最初は緊張して他人行儀でも、徐々に彼の恋人らしくなっていけばそれでいいんだ。
「よし、じゃあ行くかぁ」
「うん」
彼は微笑むと、ゆっくりと園内へと足を向け歩きだす。
その歩調にしたがって、リリィも歩いていった。
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