いつもの黒い通勤鞄の中に
その日はいっぱいの夢を詰めて
帰り路を急いだ

街をゆく人ごみに逆らって 家に帰ろう
鞄の中の夢が 僕らを繋いでくれるはずだから




いつもは通り過ぎるだけの花屋の店先で
その日は君の好きなスイートピーを見つけて
思わず足を止めた

風に揺れる 薄い色の花を一輪
君に買うことにした

一輪のスイートピーを大切に包む店員に
プレゼントですか、と訊かれたけれど
笑ってごまかした



花に似た店員に礼を言って
また帰り路を急いだ



プロポーズって言葉は君に取っておきたかったんだ

冬の寒い風にも僕の熱は冷めないだろう




   ***



家のドアを開ける音が、がらんとした室内に響く
部屋のぬくもりは 彼女がすぐ戻るつもりだと
僕に知らせた


コートを脱ぎ 鞄の中の夢を確かめ
君に告げる言葉を考える

小さな箱は僕に無限の勇気をくれる



スイートピーはグラスに生けてテーブルに



   ***




そしてベルが鳴る




   ***














   ***



白みはじめた空は、過ぎた時間を残酷に告げる



床に散らばったグラスの破片を
のろのろかき集める指に傷が増える

何でもふたつセットで揃えた食器だから
その破片は ひとつひとつの思い出に見えて
きらきら映る朝の光が眩しい




今頃君は旅立ちの支度をしているだろう
親不孝にも、母の頬を濡らしているんだろう

そんな君を見たくなくて この家に逃げ帰った
心の奥底では ベストの選択は分かっている

それが最も辛い選択だということも


それでも 遠く離れるくらいなら
いっそ君をさらってしまいたい



   ***



カッターひとつ手にとって 空の浴槽に体を沈める
シャワーを流しながら 傷をもっと広げよう
君にまた会えるように


何度も薄い刃を手首に近付けて
そのたびに君の顔が脳裏をよぎって
笑った顔 泣いた顔 怒った顔 すべてが懐かしくて

言葉にならない声が溢れた


受け止める人を失った声は 空しく響く
もう君はこころの中にしかいないなんて



昨日でもう涙は枯れたはずなのに
頬に誰かの涙が伝った



   ***



結局 君の門出を見送って
またこの家に戻った


朝拾い残したスイートピーの花弁を
そっと拾い上げた

君の好きな花は 結局渡せないままだった
君の写真の前に そっと花弁を置いた


写真の君もスイートピーと微笑んでいる
花なんか気にしたこともなかった僕に
スイートピーの花言葉を教えてくれたっけ




君を見送ってなお 僕の心は変わらないで
ずっとあの日のままだ


でも 僕が言わなきゃ


愛してるのに 離れがたいのに 君は黙っているから



そっとつぶやいて 上を向いた
ぼやける視界 覚悟していたはずなのに
言葉にすると ほら こんなにも残酷だ


一度だけ 願いが叶うのなら あの日に戻れたら

あの日の君に逢って 真逆の言葉を叫ぶんだ
世界に響くくらい 大きな声で



   ***



独りには広すぎる部屋を いずれは去る日がくるだろう
たまにはつらくなって 泣きたくなって
振り返りたくなる日もくるだろう

でも 君は後ろにはいないだろうから、
きっと僕の横にいてくれるだろうから

もう振り向かないで歩き出すんだ


涙を流すのは これでおしまいさ




     さよなら 愛した人  ありがとう





.

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

Just Be Friends書いてみた

閲覧数:308

投稿日:2010/01/11 22:19:59

文字数:1,471文字

カテゴリ:小説

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