♯2「突然の言葉」


『彼とは、大した喧嘩をする事もなく、今まで順調に過ごしてきました。
日曜日には一日一緒に過ごしたり、学校が終わると手をつないで帰ったりして、徐々に彼との距離を縮めていきました。

ところがです。

六月の中旬の頃の事でした。ディズニーランドの件から、ほぼ一ヶ月が経った頃でした。
私は、彼の様子を少し変だと思い始めるようになりました。
というのも、彼に少し元気が無くなってきた気がしたからです。デート中手をつないで歩いていても、一緒に食事をしていても、どこか不安そうな顔をしたり、疲れているような顔をするのです。
もしかしたら、私といるのが嫌になってしまったのかもしれません。
最初、その時の私はほんの軽い気持ちでどうしたの?と尋ねましたが、なんでもない、と彼ははぐらかすのです。
私は少々不安になって、もう一度追求しましたが、教えてくれませんでした。
たまに、何か言いたげに自分から口を開くこともあるのですが、いつも言葉がそこで出てこないのです。そうしてやはり、なんでもない、と言葉を濁すのです。
彼に本当の事を打ち明けてもらえない事が、すぐに私にとっての悩みになりました。
いったい彼に、どのような心境の変化があったのかは、私には分かりません。』


― ― ― ― ―


遊園地のデートから二カ月経った七月十九日。神威の様子に異変を感じてから、リリィは少しずつ憂鬱を感じるようになっていた。
つい一昨日もそうだった。その日は彼と三回目のデートで、浅草に行った時だ。
最初は彼も笑顔で接してくれていたが、途中から、具合が悪くなったように曇った表情をしていた。
どうしたの、と尋ねると、なんでもないよと彼は言った。
しかし、なんでもない割には表情が重かった。
それからずっと彼のその事が気になって、その日のデートは集中できなかった。
彼は、何かで悩んでいるのだろうか。何か、不安な出来事があったのだろうか。
何を悩んでいるのかは知らないが、彼が苦しそうに表情を歪めているのを見ると、リリィも同じように胸の内がギューっと締め付けられるように痛かった。
それから、その事で自分自身も不安が頭を駆け巡るようになり、それから、リリィは憂鬱な気分でいる事が多くなった。

そしてその日もそんな気分だった。空は青く晴れているのに、心には暗雲が立ち込めているようで、今にもゲリラ的な大雨が降りそうな感じだ。
午後四時。リリィはメイコの店に、彼の事で相談に来ていた。
カウンターに座り、頬杖をついて外の景色を眺めながら、注文したミルクティーを待つ。
ボーっと窓から雲の流れる様子を見ていたら、それはすぐに来た。

「ま、リリィちゃん、元気出しなよ。ほら、いつものミルクティー」
「あ、ありがとうございます。私は大丈夫です」

笑顔でそう取り繕うものの、心の中のモヤモヤした暗雲は消えてはくれなかった。

「そうかい?ま、彼氏は多分何かで悩んでるんだろうね。彼も思春期なんだし。でも、その悩みを女の子のリリィちゃんには相談したくないんじゃないかな?男の意地ってやつなんだよ、きっと」
「男の意地、ですか?」
「そう。男ってのはむやみに自分の弱さを見せたがらないもんさ。特に異性にはね。リリィちゃんの彼氏も同じだよ」
「そうなんでしょうか……私も、彼の力にはなってあげたいって、思ってるんです。出来る事なら、なんでもしてあげたいって」
「リリィちゃんはまっすぐでいい子だねぇ。それに比べてカイトったら」

メイコはあきれ顔でリリィの隣のカウンター席を見る。
隣には、カイトがいた。テーブルに顔を伏せて、眠っている。メイコの話によるとどうやら最近仕事をし始めたらしい。
どうやら土木作業員の仕事を見つけたらしい。
かなりの重労働のようだが、その代りに日当もよく、一日一万円くらいは稼ぐようだ。
カイトがその仕事をするようになってからも、カイトは変わることなくほぼ毎日この喫茶店に通っていた。ただ一つ違うのは、カイトがこうして喫茶店で眠ることが多くなった事だ。

「金を払ってくれるようになったのはいいけどさ、これじゃ営業妨害だよ。寝るんなら自分の家で寝ろって。酔い潰れた親父みたいなことしやがって。ウチは居酒屋じゃないってんだ」
「でも、いいじゃないですか。カイトさんだって根は真面目そうだし」
「とてもそうには見えないけどねぇ……」

リリィは温かいミルクティーをすすり、ほっと溜息をつく。
メイコのミルクティーはいつも甘く、飲んだらどんな時でも必ず溜息が出る。
ほんのりと微量に入ったメープルシロップが、焦る気持ちを和らげるのだろう。

「それはそうと、話戻すけど、リリィちゃんはあんまり気にしないでいいよ。彼氏も思春期なんだよ。それで色々と悩む所はあるんだろうさ。悩みの内容だって、悪いことじゃないと思うよ。彼女に好かれるにはどうしたらいいのかなーって、必死で考えてたりしてね」
「そ、そんな」

顔がカーッと熱くなるのを、リリィは感じた。

「リリィちゃんが気にすることないよ。彼、悪い意味で苦しんでるわけじゃないんだから」

メイコは優しい笑みでそう言った。
その言葉にはやけに説得力があるように感じた。

「そ、そうなんでしょうか?」
「そう、きっとそうさ。だからネガティブになっちゃダメだよ」
「は、はい」

実際モヤモヤしたものはリリィの心にまだちょっと残っていたが、彼女の言葉で五割方、明りが差し込んだような気がした。
実際、誰かに打ち明ける事で、少し楽になったのは事実だ。
気分を変えようと、リリィはポケットからアイポッドを取り出し、イヤホンをつけて曲を流す。
バラードの曲が大半だったので、それを聞けば少しは落ち着くと思った。
一曲目、二曲目、三曲目と聞き流していったが、四曲目に入った所でリリィはふと一時停止ボタンを押した。その曲がリリィの耳に留まったのだ。
イヤホンを伝って流れたその曲は、歌詞の存在しない、神威の曲。ディズニーランドのデートの翌日、早速彼から曲のデータを貰った。
曲の中で使われる楽器はピアノが主で、その次にベース、ドラム。たまに緩やかなアコースティックギターの音が流れる。
シンセサイザーの音も入っているが、そこは本来ボーカルのメロディーラインだ。
彼の曲も優しいバラードに分類され、聞いていると自然に癒される。ミュージックセラピーというのか、そういう要素が多分あるのだろう。
これほどの曲を作れる神威は本当に才能があると、リリィは思った。これに歌詞さえ付ければ完璧なのだが、リリィは未だこの曲に相応しい歌詞を未だ書けていなかった。
こんなに素晴らしい曲に、素人の私が歌詞なんてつけていいのか、などと少し引け目を感じてしまうのである。白紙を前にしてペンを動かそうとしても、いつも手を動かせずに終わってしまう。

「メイさん、ちょっといいですか」
「なんだい」
「この曲、ちょっと聞いてみてくれませんか」
「ん、曲?」

メイコがキッチン側の方から顔を出す。ひょいとイヤホンの片方をとって、その曲を聞きはじめた。
一分程して聞き終わり、メイコは言った。

「歌詞がない歌なのかい?」
「そうなんです。これ、彼が書いた曲で、それに私が作詞したいんですけど……どうもいいフレーズが思い浮かばなくって。それでちょっと悩んでます」
「ほー、彼氏が作曲して、リリィちゃんが作詞するのかい。なに、完成したらどっかに発表とかすんの?」
「いえ、別にそういうつもりはないんです。彼の曲を初めて聞いた時、歌詞がないのは少し寂しいかなって思って。彼、曲は書けても歌詞は書けないみたいで。それで私が作詞をしようかなって話になって……言ってみれば、ただの自己満足なんですよね」

リリィはそう言い、自分のバッグから筆箱、それから白紙のルーズリーフを取り出した。
筆箱からシャーペンを取り出し、再び頭の中で考えてみるが、やはりフレーズは思い浮かばない。
曲の概要というか、ストーリーは一応決めてあるのだが。
罪を犯した男が、五年の時を経て刑務所から出所し、新しい土地で人間らしい人生を歩もうと改心する前向きなストーリーだ。
男は今まで自分自身の為に生きてきた。ところが、出所してから新しい仕事を始めて、そこで出会った女性に惹かれて改心を果たす。
男はその女性に会うまで、相手を思いやる心を知らなかった。優しさもしらなかった。
しかしその女性に出会ってから、世界が彩り豊かに見えるようになった。女性が男に心を揺さぶる愛をもたらすのである。
ストーリーにしたらまた長くなりそうだが、歌詞には字数の限りがあるので、ある程度は削いでいくつもりだ。
優しさや思いやりの感情を知った男の心情の部分を、歌詞に表わそうと思っていた。

「自己満足にしては、凝ってる曲じゃないか」
「やっぱり、メイさんもそう思います?彼、凄いですよね。こんなにいい曲作るなんて」
「その彼氏も今度、ここに連れてきたらどうだい。私もどんなのか見てみたいし。彼、イケメンかい?」
「はい、とても。あ、私の補正が入っちゃうから、他の人がどう見えるかは分からないですけれど。でも性格も優しいですし、それから……包容力がありますし」

少し恥ずかしくなりながら言う。改めて彼を見つめ直すと、悪い所なんてなさそうだ。
「恋は盲目」という言葉があるが、リリィの場合、彼の事を客観的に分析しているつもりであった。本当に彼に悪い所なんて見当たらない。
人間、それは悪い所の一つや二つはあるのだろうが、リリィが今まで見てきた神威の姿には、悪い部分は見当たらなかった。

「いいねえ、青春してるねぇ。精一杯今を楽しむんだよ。人生で高校三年生である時は、一度しかないんだからね」
「はい」

笑顔でリリィは返事をする。
リリィの憂鬱な気分が少しだけ晴れると、頭に少しずつ言葉のかけらが浮かんできた。
その言葉を忘れないうちに、ルーズリーフに細かくメモをした。
歌詞を作るにおいて、言葉が浮かんできたのは初めてだ。今までは、単語一つさえ浮かんでこなかったのに。
これだけでも、立派な収穫と言えるだろう。
メイコに心の中の思いを打ち明けたから、ちょっとだけ精神的にも余裕が出来たからだろうか。
リリィは少ししてミルクティーを全部飲み終わると、単語をメモしたルーズリーフと筆箱を鞄に戻して、代わりに財布を取り出した。そうして、そこから130円を取り出す。ミルクティーの代金だ。

「メイさん、今日はありがとうございます。そろそろ帰りますね。これ、お金です」
「はいよ、確かに。ありがとね、今日も来てくれて。明日も来てね」

メイコは笑顔でリリィを見送った。


― ― ― ―


喫茶店を後にすると、駅から電車に乗った。一つ隣の駅が、リリィの地元駅である。
電車に乗ってから五分もしないうちに、速度が緩み始める。もうすぐ駅に到着する印だ。
電車に乗っている間、リリィは徐々にスピードを落としながら流れていく景色を見つつ、曲の歌詞の事を考えていた。
いくつか単語なら浮かぶ。それらをどうやってつなげていくか。それを考えている時だった。
窓の外に、見知った人物が目に映った気がした。

……え?

二人の人物が歩いていたのを、リリィは見た。そのうち一人は紛れもなく知っている。――神威だ。
堅くて、真面目そうな顔をしたあの彼は、神威に間違いない。
それよりも、もう一人歩いている人物の方が気になった。彼の隣を、彼と同い年くらいの女子が歩いていた。
顔までは確認できなかったが、スカートをはいていて髪型をツインテールにしていたので、アレは女子だろう。
そしてそれよりも、一番目に留まった事が一つある。
……“二人とも、手をつないでいたような?”すぐに通り過ぎてしまったので、細かい所までは確認できなかったが。

「なんで、手なんか……」

友達だとしても、異性と手をつなぐことってあるのだろうか。……いや、それとももしかして。
……いやいやいや、そんなまさか。彼がそんな、そんなことするはずない。
紫式部のように賢そうで、真面目そうな彼が?浮気?ないないない。
彼はそんなことしないって、それは分かっている。なのに何故か、動揺している自分がそこにいた。
心拍数が上がっていき、そして心の中にまた曇り空が広がっていくのを感じた。焦る気持ちのまま電車を降りて、急いで彼らが歩いていた場所へと走る。駅からはさほど遠くない場所だったので、すぐに辿り着く。
しかしその場所に着いた頃にはもう、彼も女子もいなかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

セルフ・インタレスト 6 (♯2)

誤字脱字、ストーリーの矛盾点などありましたら教えていただけると助かります……。

閲覧数:46

投稿日:2012/08/05 15:23:23

文字数:5,182文字

カテゴリ:小説

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