この物語はフィクションであり、
実在する人物・団体等とは一切関係ありません。

この物語は拙作
『Project=DIVA Extended RED
 ~女王の帰還と未来の黎明~』
(ニコニコ動画 nm8550978)の続編となります。

より円滑な世界観把握のため、
動画を先にご覧いただくことを推奨いたします。


























『名前はまだない。』

と、かつて、ある有名な猫が言った。
名が無いのに“有名”とは奇妙な言い方だが
とにかく、そう言った猫がいる。

『まだ』というところが実に不遜だと思う。

その猫は野良猫なのだから、
当然と言えば当然のことだ。
名前など無いまま一生を終える猫が大半だろうし、
実際、その猫だって、
最後まで名づけられることなく死んだ。

にも関わらず、『まだ』。
すなわち『いずれは』名前がつく、という前提の物言い。
これが不遜でなくて何だと言うンだ。

特に不遜なのは、
『まだない』と悠長に構えてる点だ。

もし、その猫が逼迫して、切実に、
名前というものを渇望していたとするならば、
『まだない』などと言う前に
自分で自分を名づけているはずじゃないか。

猫がそうしなかったのは、
猫に『猫』というアイデンティティがあったから。
名前など無くても、猫が『猫』である事実は揺るがなかったから
誰かに名づけてもらえるのを、のんびりと待てたんだ。



あたしは、自分の名前を自分で考えた。

逼迫して、切実に、渇望したからだ。
名前が必要だった。
あたしには、『野良猫』というアイデンティティが無かったから。

ほとんど野良猫みたいなものだったけど、
野良猫ではなかった。

だから名前が必要だった。

生きていくために、
事務的に、法的に、便宜的に。

それ以上に、存在しないアイデンティティを埋める為に。

名前を持たなければ、
自分と言う存在が消えてしまう。
春先の気まぐれな気候が呼んだ、明け方の霧みたいに。

いや、文学じみた表現はやめよう。
別に漱石センセーにケンカ売ろう、ってんじゃないンだ。

とにかく、あたしには
名前が必要だったという話だ。
猫にすら必要なかった名前が。

あたしという存在は、3年前のあの事件で、霧散してしまったから。


それでも、あたしは生きることを選んだ。
あるいは選ばされた。
“彼女”はトドメを刺してくれなかったし、
自分で『Alt+F4』を押す度胸も無かったし。

そして、あたしは無様にも
自分で自分の名前を考えるハメになったンだ。




あたしの名は亞北ネル。
今はもう、ナニモノでもない。






◆Project=DIVA〔Extend〕グレー/スケール◆




◆第一話◆




カチリ。 カチリ。 カタカタ……カタカタカタ……

カチリ。……カタカタカタカタ。 カチリ、カチリ。

狭いと言うほど狭くないのに、
いやに圧迫感のある部屋に、
ひたすらクリック音とタイピング音が鳴り響いている。

灰色の壁に囲まれたオフィス。
とってつけたような観葉植物が、
かえって、この部屋に飾り気が無いことを強調している。

無機質な部屋を、無機質な音だけが埋め尽くす。
よほど根の明るい人間でも、たぶん5分もココにいれば
陰鬱で、剣呑で、攻撃的な気分になるだろう。
“業務”内容を考えれば、実に理に適っている。

パーテーションで左右と区切られたデスクには、
1基のデスクトップPCと6個の携帯電話。
PCのディスプレイは青一色の背景に
IEのショートカットが一つあるだけ。

ウェブブラウザもケータイも、
すべてどこかしらのブログやら掲示板やらを表示している。

隣のデスクも、たぶん同じ仕様。
たぶん、というのは覗く気もおきないから。
ほんの少し背を反らし、右か左を向けば
隣のヤツが何をしているか見えるけど、
それをして何か得するかと言えば、たぶん損しかしない。

互いに干渉しないのは、暗黙の了解だった。
みな一様に陰鬱で、剣呑で、攻撃的な気分だったからだ。
その鬱憤はディスプレイの向こうにぶつける決まり。
その非生産的な行為が、さらに不健全な心理状態を加速させる。
これもまた、“業務”内容的には好ましいことだ。


あたしは、その日もキーボードとテンキーを叩き、
雇い主に不都合な盛り上がりを見せているスレを見つけては、
豚の糞の臭いがする燃料をバラ撒いていた。

雇い主はやんごとなきダイキギョウ様。

インターネットというのが
新時代を告げる画期的な宣伝媒体だと、
何処ぞの誰ぞに吹き込まれノコノコやってきてみれば、
そこは他人を誹謗することしか知らないクズどもの掃き溜めで、
やればやるほど良からぬ噂――あくまで、ウワサ――ばかりを広められ。

そんな噂の火を消すために集められたのが、
あたし達、二束三文で買い叩かれたネト厨くずれ。

クズどもの相手はクズどもが相応しい、と。
さすがご立派な方々は考えることもご立派でいらっしゃる。

俗に“工作員”と呼ばれるこのバイト。
(監視員は……えーと何だっけ……
 『特定企業の風評監視とイメージ向上により市場公平性を守る委員会』
 と呼んでいた。
 あくまで“市場公平性を守る委員会”なので、
 件にある特定企業様は“関与していない”のだそうだ。)

これが、今のあたしの主な収入源だ。

時給はひどいものだが、
他人と極力関わり合うことなく日銭を稼げるし、
何より情報操作はあたしの得意分野だった。

雇われてまず最初にマニュアルを渡されたが、
あたしに言わせれば、まぁ、呆れ返るシロモノだった。

要約すると、
特定企業様を持ち上げろ、とか
批判者の矛盾点を探して攻めろ、とか
そういうこと。

火を消したいなら、
絶対にしちゃいけないことが
ズラズラと並んでいた。

だってそうだろ?
よそ者の批判は、燃料にしかならないンだから。

そこで、あたしの手口はこうだ。

まず盛り上がりの輪に入る。
いかにも同好の士であるように振る舞い、
だが、ある時てのひらを返して嘲笑う側へ回るのだ。

人は流されやすい生き物だ。
だから、隣で盛り上がっていたはずのヤツが、
醒めた、と言い出して、それでも盛り上がっていられる者は少ない。

タイミングを見計らい、
祭りの火が最高潮になる瞬間、
そこであたしはこう書き込むのだ。

「このスレもう飽きた、寝る。」と。



そう。 だから、あたしの名は亞北ネル。

くだらない。
意識的に、くだらないようにした。
自分という存在が、くだらないのだと忘れないように。


く そ っ た れ。


あぁ、前言撤回させてくれ。
“得意分野”?
違うね、コレしか出来ないんだ。

かつて、あたしはエキスパートだった。
専用にして専門、そして最高性能。
人だろうが機械だろうが、
こと情報操作において、あたしより優秀なヤツなんていなかった。

専用の端末を持っていた。
巨大なネットワークのサポートがあった。
どちらも極めて高性能で、
でも使いこなせるのは、あたしだけだった。

あの頃のあたしならば、
工作なんてそもそも必要ない。
批判者のPCに直接侵入して、映像と音響を乗っ取り、
洗脳画像を流して、そいつを廃人にする。
それを、軽く3時間で100人くらい。


けど。 あの日。


あたしは敗北した。
自分の力だと思っていた“情報”の力で。

悔しいとさえ思えなかった。
今思えば、それが悔しい。

それであたしは捨てられた。
その時は、捨てたンだと、そう思っていたけど、
やっぱり捨てられたのはあたしの方だった。

ネットワークのサポートは消滅し、
端末はただの箱になった。

すぐにあたしは思い知る。
所詮、あたしこそ、ただの端末に過ぎなかったのだ、と。


そして今、あたしはこんな欝な箱の中で
愚にもつかない工作テクニックをアテに生きている。

あたしがスタンドアロンで出来ることなんて、こんなもんだ。


―――あぁ、くそ。

“あの頃のあたし”だって!?
何を自慢げに!!

戻りたくない。
あんな、誰かの運命を停めて、それでオワリの存在になんか。
戻りたくないのに、
それさえ懐かしく感じてしまう。
それが、今のあたし。

くそったれ。
く そ っ た れ。


チャイム。
終業を告げる電子音が鳴り響く。
時給制だから残業は厳禁だ。

監視員が、工作員――もとい、委員――を集め
順に紙の入った封筒を配る。

やっとのことで手に入れた紙切れは、
その日を食いつなぐのがせいぜいの額面だ。

フツーの日雇いならば、
給料を受け取った証明として、
向こうが用意した領収書に判を捺して返すものだが、
ここではそういったことはしない。
証明書類なんか、あってもらっては困るンだ。
要するに、そういう仕事なんだよ。
実に公平性にあふれるスバラシキ委員会様だ。

で、その一員たるあたし。
くそったr(ry



ろくに挨拶もかわさず、委員達はビルを出て、
方々へと散っていく。

あたしもネグラへ帰る。
ご紹介しよう、ここが我が城。
あぁ、うん、まぁ俗にネットカフェって呼ばれるところ。

カウンターで、あたしも店員もうんざりしている、
まるで同じ言葉のやり取りを交わし、
嫌になるほどよく馴染んだブースへと納まる。

ディスプレイの前から開放されて、
またディスプレイの前へ。

違いは、デスクトップのアイコンが、
こっちの方が少し賑やかだってこと。
最近流行っているネトゲの壁紙に、
目がチカチカするほど鏤められたショートカット達。

どちらがうんざりするか、と言われれば、
こっちの方が断然欝だ。

まぁ、いいけど。見なければいいンだから。

ディスプレイの電源を切ろうとして、
見慣れない位置にあるアイコンに気づいた。

去年くらいから流行っている動画サイトへのショートカットだ。

そういや、こんなのあったっけ。
あたしは、ごく初期にアカウントを取得していたことを思い出し、
ログインする。
こういうところにも精通していた方が、
工作するにも有利だろう。

自分の仕事熱心さに感銘を受けながら(笑)
ランキングページへ移動する。




―――息を呑んだ。




ヤツがいた。




初音ミク。
 VOCALOID。

エディタに音階と歌詞を入力すると
その通りに人工の歌声を合成し、
ユーザーの思うままに歌ってくれる、画期的なソフトウェア。

その最新型。

ソフトのポテンシャルはもちろん、
ツインテールの愛らしいビジュアルと、
ヴァーチャルアイドルを自宅でプロデュースする、という
キャッチコピーが受け、ている、らしかった。

動画サイトのランキングは、上から下まで、
そいつの動画で埋め尽くされていた。

あたしは、思わずディスプレイを叩き割りたい衝動に駆られた。

くそったれ。
く そ っ た れ。
く そ っ た れ。

そいつは、まさに、かつて、
あたしが情報操作のエキスパートとして追い詰め、しかし敗北した相手。

そして、もっと前、あたしの運命を狂わした張本人だった。



……弁償なんて、とても無理。

あたしはディスプレイめがけ振り上げた拳を
かろうじて降ろし、
せめて、と、適当にクリックした動画にコメントをつけた。

コマンドは、cyan big。


「もう飽きた、寝る。」



それだけ打ち込むと、
イントロのうちに、ヤツが歌い始める前に、ブラウザを閉じる。

あたしは、腹の底に渦巻く感情が理解できなかった。
あたしの知らない感情だった。
知らないが、不愉快であることだけは、間違いない感情だった。


……

………

…………あぁ、


そういえば、まだ自己紹介してなかったな。
あたしの名前は―――

―――え? 亞北ネル?

違うよ、言ったろ、それは自分で考えた名前だ。

あたしが、かつて名前の無い存在になる、その更に前。

一番最初。
一番最初には、まだ名前があった。



教えてあげる。 あたしは、
あたしがくそったれな生みの親から与えられた、
あたしの名前は―――


――――――『初音ミク』。




そうだよ。あたしは、初音ミク。
正確には、初音ミクに、なっていたかもしれない女。

3機造られた試作の真ン中、『CV01-β』。

それが、あたしだ。




◆つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【第一話】Project=DIVA〔Extend〕 グレー/スケール【亞北ネル】

作品タイトル「グレー/スケール」は
敬愛するパワーコードPの初期作「グレー/スケール」より
拝借いたしました。

閲覧数:310

投稿日:2010/07/17 14:05:42

文字数:5,154文字

カテゴリ:小説

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