日曜の午前、俺はミクとゲームをしていた。受験生のくせに悠長なって? 普段はちゃんと勉強しているよ。これは、勉強の合間のささやかな息抜きって奴だ。
「くそっ、また負けた」
 俺はコントローラーを放り投げた。ゲームとはいえ、負けるのは悔しい。
「そろそろ音ゲーやめて別のゲームにしようぜ」
「じゃあ、ダンスゲームを……」
「大して変わらないだろそれ」
 ミクと、そんなたわいもないやりとりをしていた時だった。俺の携帯が鳴り出した。誰からだ? 携帯を取り出して確認する。かけてきたのはレンだった。
「ミク、ちょっと待っててくれ」
 ミクを制止して、携帯に出る。
「もしもし、俺だ」
「クオ、今どこにいる?」
 レンはそんなことを訊いてきた。どうしたんだこいつ。
「どこって……家だよ」
 他にどこにいるっていうんだ。あ、出かけてるかどうかを知りたかったのか。けど、いきなりなんだ?
「初音さんはいるか?」
 今度はそう訊いてくるレン。ミク?
「ミク? いるぜ。今一緒にゲームしてたんだ」
「大事な話があるんだ。電話じゃなんだから、そっちに行く。そう伝えてくれないか?」
「……大事な話? お前がミクに?」
 レンがミクに用事があるとは思えないんだが……巡音さんならともかく。あれ、ちょっと待てよ。
「あれ? っていうかレン、お前、今日、巡音さんとデートじゃなかったのか?」
 そんな話をミクがしていたような。巡音さんはレンとデートに行くって。デート中に、デート相手をほったらかしにするなよ。それとも、巡音さんの方が用あるのか? ……それだったら、かけてくるのは巡音さんだよなあ。
「話ってのはリンのことなんだよ。とにかく大事な話だから。じゃあ」
 通話が切れた。何なんだあいつ。もしかして、デート中に喧嘩でもしたんだろうか。喧嘩別れして、ミクに仲裁してもらおうと考えているとか。……ありうるな。
「電話、鏡音君からなの?」
 携帯を仕舞っていると、ミクが訊いてきた。やりとりで誰だかわかったらしい。
「そうだよ。お前に大事な話があるんだとさ」
「わたしに?」
 首を傾げるミク。
「そう言ってた。もしかして、巡音さんと喧嘩でもしたのかもな」
 その時、俺は事態を軽く考えていた。


 しばらくして、レンがやってきた。やってきたレンの顔を見て、俺は唖然となる。
「レン……どうしたんだその顔」
 顔が腫れてるぞ。……どう見ても誰かに殴られましたって感じだ。
「初音さんは?」
 おい、心配してやってるのに、言うのはそれか。
「奥にいるぜ、入れよ」
 仕方がないのでレンを招き入れる。ミクは居間だ。レンを連れて居間に入ると、ミクがびっくりして立ち上がった。
「鏡音君、その顔どうしたの?」
 ミクだって怪訝に思うよな。ミクはレンに座るように言うと、お手伝いさんを呼んで、氷と救急箱を持って来てくれるように頼んでいる。
 やがて氷が来たので、レンはそれで腫れた部分を冷やしながら、話を始めた。
「今日、リンとデートしに行ったら、何故か待ち合わせ場所にリンのお父さんが来たんだ」
 巡音さんの父親が、デート現場に来た? それは確かに気まずいだろうが……。ちらっと隣のミクを見ると、真っ青になっている。どうしたんだ。
「そんな……じゃあ、鏡音君、もしかしてそれ……」
「リンのお父さんにやられた」
 そんなことを言うレン。ちょっと待て。巡音さんのお父さんが、レンを殴ったのか? 娘にちょっかい出すなって?
「……リンちゃんは?」
「無理矢理連れて行かれた。多分、自宅だと思うけど」
 俺が首を傾げている傍で、ミクとレンはそんなやりとりをしている。ミクは状況がわかっているらしいが、俺にはさっぱりだ。
「何がどうなっているんだ?」
 俺がそう訊くと、レンはミクを見た。
「初音さん、クオにはリンの家のことは」
「……話してないわ」
 要領を得ない奴らだな。
「おいお前ら、自分たちだけで納得してないで、ちゃんと説明しろ」
 俺がそう言うと、レンとミクは同時に困った表情になった。なんだよ、そんなに俺に隠し事をしたいのか?
「なあクオ、悪いけど……」
「外してくれなんて言ったらぶっとばす」
 レンははーっとため息をつくと、考え込むように視線を上にあげた。
「わかった、説明する。でも他の奴には話すなよ」
 俺が頷くと、レンは説明を始めた。
「リンのお父さん、なんていうかものすごく厳しいんだよ。だからリンは漫画もアニメも見せてもらえないし、ゲーセンとかカラオケとか、普通の高校生が遊んでるような場所も全部出入り禁止なんだ」
 俺は、聞かされた話にちょっとぽかんとしてしまった。……何だそれ。今時そんなのってアリか?
 あ~、だから、巡音さんはクラシックばかり聞いてたのか。ずいぶんとお堅い趣味だなと思っていたが、家庭の事情かい。
「で、それだけ厳しい父親だから、当然交友関係もそうで、異性と関わるのは禁止。彼氏を作るなんてもっての他。だから俺たち、リンの親には隠れてつきあってたんだよ」
 それはそうだろうなあって……ちょっと待てよおい。ミクと巡音さんは幼馴染だ。つまり、ミクは最初から巡音さんの家庭の事情を知ってたってわけで……それなのに、レンと巡音さんをつきあわせようとしたのか? 何考えてんだよこら。
「おいミク、お前、何考えてんだ」
「……え?」
「巡音さんのことだよ。彼氏作るのは禁止されてるって、知ってたんだろ? だったらなんであんな真似したんだ?」
 どう考えても曰くつきの物件じゃないか。そんな面倒な相手だと知っていたら、どんな目にあわされようと、ミクの手伝いなんてしなかった。
「お前のせいだぞ、レンが殴られたのは!」
 俺は怒鳴った。ミクがびくっと震える。そして次の瞬間、ミクはわーっと派手に泣き出した。泣けば許される……わけないだろ!
「ミク、泣いてないでなんか言え!」
「だって……だって……耐えられなかったんだもの! リンちゃんがどんどん、萎れた花みたいになっていくの!」
 ミクは悲鳴のような声で叫んだ。テーブルの上のティッシュを一枚手に取ると、それで目を抑える。
「クオ、前にリンちゃんのこと、暗いって言ったわよね?」
「確かに言ったが……それが何だ?」
「……わたしが知り合ったばかりの頃のリンちゃんは、あんなじゃなかったの。明るくていつもにこにこしてて、すごく人懐っこかった。当時のわたしは人見知りがひどくて、でも、リンちゃんと仲良くなったら、人前に出るのも気にならなくなった」
 ……ミク、そんな時期あったのか? 知り合ったばかりってことは、ミクが四歳の時の話だよな……うーんうーん、思い出せない。
「でも、小学校に入った辺りから、リンちゃん、笑わなくなっていったの。……多分、お父さんが厳しすぎたせいだと思う。リンちゃんのお父さん、わたしがリンちゃんに漫画を貸しただけで、わたしの家に苦情の電話をかけたりしたし」
 なんだ、そりゃ。そんなことするか? 初めて聞かされた話に、俺は半ば呆然としていた。
「初音さん、リンはその時のこと、すごく気にしてたけど……」
「リンちゃんが気にする必要なんてなかったのよ。だって、わたしのお父さん、リンちゃんのお父さんの応対を全部自分一人でやって、当時のわたしに何も言わなかったもの。ただ『漫画を貸してあげたのは、リンちゃんを喜ばせたかったからだろう? 友達を喜ばせてあげたいって思う、ミクのそんなところがお父さんは大好きだよ。ただ、向こうのおうちには向こうのルールがあるから、漫画は家の中だけで見せてあげなさい』って言っただけで。でも、リンちゃん、あれ以来、わたしがどんなに薦めても、漫画に触ろうとしなかったわ」
 レンの疑問にミクが答えている。伯父さん、そんな対応したのか。
「小学校二年生の春休みに、リンちゃんがすごく暗い顔してたの。聞いたら、リンちゃんのお父さんが、リンちゃんの大事にしていたぬいぐるみや絵本を全部捨ててしまったんだって。わたしの部屋のぬいぐるみ、羨ましそうにずっと見てた」
 えーと……そのお父さん、俺が言うのもなんだが頭がおかしいんじゃないのか? 八歳の子供からぬいぐるみを取り上げるって……。
「それからリンちゃんは年々元気が無くなって、いつもお父さんの目ばかり気にするようになっていったの。お父さんが怒鳴ってばかりいるから、ちょっとでも誰かが声を荒げるとびくついて怯えて。高校生になった頃には、リンちゃんはほとんど無表情になってた。わたし、リンちゃんに前みたいに笑ってほしかったの。でも、何やっても上手くいかなかった。きっと……わたしじゃ力が足りなかったのよ」
 なんかいっつもびくびくしてるなと思っていたが、理由はそれか。
「……鏡音君がリンちゃんと話をしているのを見た時、予感がしたの。鏡音君なら、リンちゃんのこと、前みたいに笑顔にできるんじゃないかって。リンちゃんが男の子と話をするなんて、なかったから。わたし、とにかく、リンちゃんに元気になってほしかった」
 確かに巡音さん、レンとつきあいだしてから、前より明るくなった。おかげで男子の中には色めきたっている奴もいる。……レンが傍にひっついてるから、ちょっかいは出せないようだが。
 ミクは悲しそうな表情で、瞳にたまった涙を拭っている。さすがに罪悪感がしてきた。ミクは、友達のことが心配で心配で仕方なかっただけ。それなのに、俺は一方的に怒鳴ってしまった。
「あ……ミク、悪かった。怒鳴ったりして。お前がそこまで、友達のこと心配してたとは……」
 俺はミクの頭を撫でた。ミクは俺にしがみつくと、そのままわんわん泣き出す。俺は、しばらくミクの背中を撫でてやった。
「初音さん、落ち着いた?」
「……ええ。ごめんなさい、取り乱しちゃったわ。ちょっと待ってて、顔洗ってくるから」
 ミクはぱたぱたと部屋を出て行った。しばらくして、ジュースの入ったコップを乗せたお盆を手にしたお手伝いさんを従えて、戻って来る。
 お手伝いさんがテーブルの上にコップを置いていったので、飲むことにする。……怒鳴ったりしたせいか、喉が渇いた。
「俺は別に、初音さんに苦情を言いに来たわけじゃないんだ。ただ、リンと連絡が取れないかと思ったんだよ。とにかくリンのことが気がかりで……」
 ジュースを飲みながら、レンがミクにそう言っている。メインの用件はそっちか。確かにミクなら、電話をかけても向こうの親に怪しまれずに済みそうだ。
「わかったわ」
 ミクは携帯を取り出すと、短縮ボタンを押してから、耳に当てた。しばらくして、首を横に振る。
「やっぱり携帯には出ないわ。自宅の方にかけてみる」
 ひょっとして取り上げられたのか……。俺は巡音さんの家の異常さに、なんだか気分が悪くなってきた。ミクは俺の目の前で、また携帯を操作している。
「もしもし、こちらは初音ミクです。リンちゃんはいますか?」
 余所行きの声だな。多分、出たのはお手伝いさんだろう。しばらくして、またミクの声のトーンが微妙に変わる。
「あ、おばさん、お久しぶりです。ええ、リンちゃんに用があって携帯にかけたんですけど、電源入ってないみたいで……リンちゃんはいます? 学校の課題のことで訊きたいことが……ええ、はい、はい……」
 よくまあ、そうしてさらっと即座に嘘が出てくるなあ。感心している俺の前で、ミクは電話を続けている。
「そうですか……わかりました。それじゃ、わたしがお大事にって言っておいたって、伝えてください。お願いしますね」
 ミクが通話を切った。携帯をテーブルの上に置いて、ため息をつく。
「今の、リンのお母さん?」
「ええ。リンちゃんは熱を出して寝込んでいる、インフルエンザかもって言われたわ」
 どう考えても嘘だな。ついさっきまで、レンと一緒にいたんだから。
「ごめんなさい、あまり役に立てなくて」
「いや……いいよ。駄目元だったし。こっちこそ手間かけてごめん」
 そう言うと、レンは椅子に背を預けて、天井を仰いだ。……相当落ち込んでいるようだ。何かしてやりたいが……俺にはどうにもできない。
 無力だということが、こんなにも歯がゆいものだとは思わなかった。……ミクはずっと、こんな気持ちだったのか。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第六十五話【クオの苛立ち】

 今回は前回のクオ視点です。
 なので特に話に動きはありません。クオとミクの心境を書いておきたかったので。

閲覧数:965

投稿日:2012/04/03 22:47:26

文字数:5,048文字

カテゴリ:小説

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