とうとうここまで来た。
 みんなの家を出て、生きる希望すらなくしていたあたしが。
 ここまで立ち直れたのは、なにもかも、雑音のおかげだ。
 雑音とあたしがめぐり合わなかったら、あたしはどうなっていただろう。
 とにかく、あたしは雑音のおかげで、もう一度、テレビに出演する。
 みんなの前に姿を現して、ボーカロイドとして、歌う。
 番組の名前は、「トレンドオブミュージック」。
 収録は、明日。
 調教もうまく行ってる。雑音との息はぴったり。
 そういえばあたしは、これが終わったらみんなの元へ帰ろうと、一度考えたことがあった。
 雑音とは離れたくない。あたしにとって掛け替えのない存在だから。
 でも、ハクやアカイトがあたしのことを待っているらしい。
 だからそのことに迷っていた。
 しかしそれは、全てが終わってから考えても、遅くは無いと思う。
 それにもうひとつ、あたしには確かめたいことがある。
 あたしは何のためあるのか・・・・・・。
 そう。存在意義、というものを確かめたい。


 黒々とした、視覚ではなく感覚でそうと感じる空気が、この空間を覆い、漂っていた。
 地の底から湧き上がる不気味な響きとそれは相俟って、地上の世界とは違う、まさしく地底の異世界という雰囲気を醸し出している。
 その空間を青白く、煌々と照らすのは、巨大なホログラムモニター。
 立体映像投影機、とでも言うのだろうか。とにかくそれには木の根のように幾つも張り巡らされた光の線があり、それらは、互いを繋ぎ合わせ、一つの集合体、いわばネットワークとなっている。
 そして、それらの中心にあり、それらを束ね、統べる者は、ひとつの水晶の
ように表示されている、されらネットワークの統合システム。
 簡潔にこれらが何たるかと表現するなら、クリプトンの権力の象徴。といっても過言ではない。
 これらが制御、抑制、統括、管理を行っているものは、まさに日本そのものであるのだから。 
 僕に与えられた任は、ただその水晶を見守るだけだ。
 昨日、初めてここを訪れたとき、僕を連れてきた鈴木流史君は、人員不足だからという理由でここを僕の持ち場とした。
 しかし今この空間にいるのは僕一人であり、人員不足ではなく無人だったのだろう。
 もっとも、基本的にほぼ人間の手を借りず稼動するこの水晶に、人員など不要のようにも思える。
 ここを部長として任されているのは鈴木君であり、彼自身も無論上層部の命令で動いている訳だが、どうも誰かに従っているという部分は彼に見られなかった。
 彼は今僕がいる部屋とは違う、別のエリアにいるそうだが、そこでどのような研究が行われているかは、全くもって不明だ。
 一ついえることは、彼は自分の研究に一種の快感を感じていることだ。 
 彼の表情を見れば、分かる。
 彼がどのような研究を行っているかは分からないが、少なくと、今僕の目の前にあるものはさほどいかがわしいものではないように思える。
 それに、今僕は別のことを心配しなければならない。
 ミクとネルさんのことだ。
 明日には二人のテレビ番組の収録がある。放送される日がいつかは分からないが、せめて仕事から疲れた彼女達を家で迎えられたらと考える。
 僕はここに来てから地上には戻っていない。火の光すら拝めていないのだ。
 鈴木君は僕に言った。ここには生活に必要なものも整っているから貴方には一日中ここにいてくれ、と。
 ここでは、彼が僕の上司であり、彼の命令は上層部の命令ということになる。だから、僕には反抗する気はない。
 とはいえ、僕の仕事は簡単に言ってしまえばこの水晶の監視、それはつまり、何か異常が見当たらなければこの硬い椅子に一日中腰掛けているということだ。
 これでは腰が痛くなるし、最悪痔になるかもしれない。 
 加えて日の光ではなくこの青白いディスプレイの光にさらされているのだから、肉体的には追い詰められ、精神的には限界だった。 
 こんな仕事場で働いたことは過去に一度も無かった。
 精神的疲労の末に、僕は首の力を抜き、だらんと頭を垂れた。
 今ごろミクとネルさんはどうしているだろうか・・・・・・。
 そのとき、ふと後ろに人の気配を感じた。
 首を戻し、回転椅子を気配の方向に回すと、僕の知っている人物が目に映った。
 「ああ・・・・・・英田さん。」
 「だいぶお疲れのようですね。」
 彼女はねぎらうように声をかけた。
 彼女は英田道子。ここでの僕の同僚であり、僕と同じく水晶の世話を任されている人だ。
 初めてここを訪れ戸惑う僕にここのことを色々と説明してくれた。
 その容姿は細いながらも豊満な部分もあり、歳は三十路かもしれないが、その刃の切先のような顔つき、整った柳眉と、かなりの美人だが、どこかミステリアスな雰囲気を持っている。
 「ここでの仕事は、始めは皆滅入るものです。この空気ですからね。」
 「ええ。僕にはだいぶ不慣れですよ。一日中椅子に座っているものだからお尻も痛いですよ。」
 微笑みながら言ったつもりだが、どうも彼女と話すときは一呼吸置いてしまう。
 彼女は、それに気付いているだろうか。
 「無理に座っていることはありませんよ。」
 「そうですね。」
 僕は腰に力をいれ、すっと立ち上がった。
 少しふらついたが、座っている時より幾分か楽になった。
 「にしても、凄いですね。これは。」
 僕は水晶を指差した。
 心にも無い台詞だが、それは彼女の反応を見たいがためだった。 
 「ええ・・・いつの間にこんなものが完成していたんでしょうね。
 彼女は率直に感想を述べた。
 「これが何の統括システムか、ご存知ですか?」
 「いえ・・・・・・。」
 僕は首を横に振った。
 そうすれば彼女の説明を聞けると思ったからだ。
 「これはですね、ナノマシン、主に軍に配備されているナノマシンの統括システムなんですよ。そして、クリプトンの心臓でもあるわけです。」
 「軍?」
 「ええ。ご存じないかもしれませんが、近年の軍には、既にクリプトン製のナノマシンが、拳銃からイージス艦に至るまで組み込まれています。」 
 「どうして、そんなことを?」
 僕は更に質問を投げかける。
 「クリプトンが、その権力で日本そのものを統括しようとしているのです。今、日本の最高権力は、軍でも政府でもなく、クリプトンだからです。」
 「二十年前のあれが原因で・・・・・・。」
 「ええ。」
 あれ、というのは、かつて日本に壊滅的な破壊をもたらした、隕石である。
 突如として遥かなる宇宙(そら)から襲来したそれは、日本の西側を丸ごと吹き飛ばし、不毛の大地へ変え、日本そのものを一変させた。
 国民も経済も何もかもが大混乱を起こし、日本は崩壊の一途を辿っていた。
 しかし、その混乱を圧倒的な経済力で一気に粛清した一つの大企業が存在した。
 それがクリプトンである。 
 当時、本社以外の支社や工場の殆どを海外に移していたクリプトンは、日本が半分吹き飛ばされようと何の損害も受けなかったのである。
 本社自体も、日本の北端部に位置していた。 
 クリプトンは、当時でも過去に類を見ないほどの大成功を収めた、世界的に見ても群を抜いて頂点の企業であった。
 そしてその経済力をもってして、一気に日本を復興へと導いたのだ。
 後にクリプトンの本社は、ここ水面都に移り、それに伴い水面も恐るべき経済発展を遂げ、今では日本最大である。 
 更にクリプトンは弱体化していた軍を傘下に納め、一気にその力を増幅させた。今では、政府と同等の発言力を持っているらしい・・・・・・。
 「軍を傘下に納めるだけに留まらず、拳銃に至る兵器類まで統括しようというわけですか。」
 「そうです。」
 彼女はきっぱりと答えた。
 まるで、事の全てを理解し、受け止めているかのように。
 「軍は、国を護るという仕事の反面、クリプトンのに玩具のように扱われていますからね。」 
 彼女は再び微笑んだ。
 この台詞を微笑みながら発せれる彼女の真意は分からない。
 「この水晶が、拳銃からイージス艦まですべての兵器を・・・・・・。」
 「一部では、兵士にも体内にある様です。」
 「人体に?」
 「害はありません。」 
 人体に機械か・・・・・・。
 「それと、クリプトンにも、戦闘を行う部隊が存在するようです。」
 「本当ですか?それは初耳です・・・・・・。」
 本当だ。本当に知らなかった。
 だが、兵器をも開発するクリプトン。実験まで軍に任せることは無いのだろう。
 「私にも真偽の程は・・・・・・。」
 「・・・・・・。」
 僕は確信している。
 クリプトンは、過去に自社の兵器の性能を試すために、国家一つをひねり潰した。結果的に敵にどころか日本軍にまで損害をもたらした。
 僕はまさに当事者だった。
 そんな連中のすることは、もはや何所までの事に及ぶかなど想像も付かない。
 もっとも、今僕もそれに加担している訳だが。
 いや、いくらクリプトンでも、僕がいるのはホームズ。至って平和な分野だ。
 こんなことをしているのは、ウェポンズのほうか。
 でもどうしてここまで・・・・・・。
 僕はいつの間にか顎をつかんで考え込んでいた。
 「どうしました?」
 僕の気持ちを察したのか、彼女はそんな言葉を投げかけた。
 「あ・・・・・・いいえ。別に。」
 「そうだ喉が渇いたし、コーヒーでも入れましょうか。」
 「ああ、お願いします。」
 彼女が部屋の扉の方向へ踵を返したその瞬間、彼女が近づく前に、自動警戒扉が開かれた。
 その向こう側に、一人の男性が立っていた。 
 「あ、主任。」
 「鈴木君・・・・・・。」
 彼は、その姿勢を崩さぬまま、一言、
 「英田さん。博貴先輩。貴方達に見せたいものがあります。付いてきてください。」
 「・・・・・・。」
 「分かりました。」
 彼女は、全く戸惑う様子を見せなかった。
 むしろ、待っていたかのように彼の元へ向かった。
 「さ、先輩も早く。」
 「あ・・・・・・うん。」
 彼の言葉に目を覚まされたように、僕は彼の元へ向かった。
 
 まただ・・・・・・・・・・・・。
 
 彼は、愉悦に浸ったように微笑んでいた。 
 そして、これから僕達に見せるものは自分の研究で、それを自慢するのが楽しみでならない、といったように。
 僕はそのことにも不信感と恐怖を押し付けられていたが、何より気になったのは、 英田さんの視線が鋭く、冷たく、
 鈴木君の愉悦の表情を見つめているということだった。
 
 







ライセンス

  • 非営利目的に限ります

I for sing and you 第十九話「異空間」

このごろ展開が甘いですね。今夜も更新します。
テレビの収録シーンの描写に困った・・・・・・。
Mステだってここ五年くらい見てないもん。

地下の住民の一人。

英田 道子 (えいだ みちこ)

ピンときたら負け。

閲覧数:81

投稿日:2010/02/14 22:36:23

文字数:4,392文字

カテゴリ:小説

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