俺が来たのは一階の奥まった所にある部屋。もう殆ど物置部屋と化しているこの部屋の奥の方に、確か鏡があった筈だ。
パチン、と電気のスイッチを入れて、中に入っていく。物置場と化している、とは言えそれなりに人が通れるスペースはある。俺は少し古びた縦長の鏡の前に立ち、楽譜を鏡に映す。と、
鏡の中の 俺が動いた。
「お前・・・誰だよ?」
鏡に映っている俺に、俺は言った。自分だけど、自分じゃない。そんな感じがした。
「俺?俺は君が起動する前にリンといた、虚像(イメージ)の鏡音レンだよ」
「虚・・・像?」
「あぁ。リンが造り出した、言わば影みたいなモンだよ。俺の事はマスターとリンしか覚えてないよ。そして今、君が知った。それ・・・マスターからだね。ちょっと貸して」
「え?・・・あ、あぁ、ホラ」
何か色々と疑問が浮かび上がって聞きたい事が沢山あるんだけど、取り合えず俺は虚像のレンに楽譜を差し出す。と、鏡から手が伸びてきて、パ、と楽譜を取って読み始めた。全部じゃなく、十一枚目の、右端だけを見ている。
「流石マスターだな。鏡の中にいる俺にも読める様に鏡文字で書いてるよ。本当器用なんだな」
「鏡文字?」
「ああ。文字を左右逆に書いて、鏡に映す。そうすると元の文字に見える、て言うね。マスター、鏡か何か持ってこれ書いてた?」
そう言うと虚像のレンはヒラヒラと楽譜をはためかせた。 鏡・・・?何か、持ってたっけか・・・?マスター・・・
「いや。何も持ってなかったと思う」
「そう・・・。いや、鏡も見ずに書けるとは・・・。器用すぎるだろ、本当」
虚像のレンは懐かしそうに笑った後「会いたいな」と呟いた。
「会えないのか?」
「あぁ、俺は実体の無い、本当に影の様な存在なんだ」
「そう言えばさっき、俺に言ったよな?“俺は君が起動する前にリンといた虚像の鏡音レンだ”、て。それ、どういう意味だよ?俺の前に鏡音レンがいたなんて知らないぞ。第一他の人もそんな事一言も・・・」
「忘れてるんだ、俺の事は。さっきも言ったろ?俺の事はマスターとリンしか覚えてない、て。他の人は忘れてるんだ。メイコ姉も、カイ兄も、ミク姉も。それにもう俺はそっちには行けない。行ったら今度こそ本当に、消える。記憶だけ、じゃなく、この姿も。そっちからいなくなる前に俺はマスターに唯一俺と連絡が取り合える方法を教えたんだ。それが」
「俺が一人で鏡の前に立ってあっちにいるお前に会う、て事か?」
俺が言うと虚像のレンは「御名答」と少し砕けた様に笑った。
「何処で話をするか不安だったけど此処で良かったよ。人が殆ど来ないから、ね。人がいたらもう、このやり取りも出来なくなるから。二度と」
「・・・・・・」
俺が黙っていると虚像のレンは「ちょっと待ってて」と言ってペンを取り出し(つーか何処から出した)、何か書き始めた。
「でも何でその楽譜なの?」
「これ・・・本当は俺とリンで歌う筈だったから。本当だったらこれが俺の最後の歌だったから。そして君にとってはリンと歌う最初の歌。二人のレンにとって掛け替えの無い曲。これが繋がってないといけなくてね。だから、この歌」
ハイ、と鏡の向こうから手が伸びて楽譜を手渡される。
「マスターに宜しく言っといてよ。あ、リンに言わないようにね」
「何で」
「悲しむから」
「・・・お前、リンには言ってないんだな。こういう方法でやり取り出来る事」
「うん。君にも悪いと思ってね、本当のペアである君に。それにリンは結構後からウジウジするタイプだし。俺の事、忘れても良いから前に進んで欲しいから」
「お前って優しいんだかそうじゃないんだか分かんねーな」
「マスターにも言われたよ、それ」
「ふうん」
「・・・そろそろ戻らないといけない。また用がある時はその楽譜持ってきてよ」
「分かった。・・・最後にこれだけは言わせてくれよ」
「・・・何?」
鏡の中の虚像のレンの姿がユラユラと消えていく。消えていく前に、俺は言った。
「リンは絶対お前の事忘れない!きっと!どれだけ時が経っても!それはマスターも一緒だと思う!いや、そうだって言える!」
虚像のレンは目を見開いて驚いた顔をしていたけれど、直ぐにそれを笑顔にすると、
「有難う」
と言って消えてしまった。鏡に映っているのは俺、鏡音レンだ。ふと手に持っている楽譜に気付く。
「そうだ、マスターに見せに行かないと」
俺は部屋から出て、電気を消すとマスターの部屋に再び向かった。
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