見下ろすと人が蟻のように群がっていた。
さっきまで自分もその蟻の仲間だった。
なら今は、これからの私は、まだ蟻なのだろうか。
金網越しに見た空はどこまでも高く、手を伸ばしても届かなかった。
届くはずは無い。
どんなに高いところへ登ったって私は一匹の蟻なのだから。
自嘲気味に顔を歪めた。
鏡を見たら、イビツな形をしているであろう自分の顔を想像し更に顔を歪める。
「何がそんなにおかしいの。」
隣にいた少年が問う。
表情は険しく、見つめる少年の目は私の表情から心を読み取ろうとしている。
しかしそれは彼には酷く困難な事だろう。
「空が高いなって思ったの。」
「空が高いのがそんなにおかしい?」
他の人間が今の自分の顔を見たら、笑っていると認識するだろう。
今までもそうだった。歪んだ顔を見て楽しそう、嬉しそう、悩みなんて無いんだろうねと言われてきた。
ただ一人を除いて。
少年は私のこの顔を酷く嫌う。言葉に出した事は無いが眉間に皺を寄せた彼の表情が何より雄弁に語っている。
だから彼は、私を見て「おかしい」言ったのだ。
わからない、理解できないと、彼だけが言う。
その事が私にとって何よりおかしく、声をだし嗤う。
この世界の中で一番醜悪な顔をしていると自負しながらも、私は彼に見せ付けるかのように嗤った。
私と彼。
良く似た形なのに何故こんなにも違うのだろうか。
鏡に写った自分であるが故に似通った形をしているがその器に入っている魂は違いすぎる。
比較対象、もう一人の自分が存在していることが自分のイビツさを嫌でも思い知らされる。
そして私は彼が存在する限り、彼と同一になる事は出来ない。
「シロアリとクロアリは違うんだよ。」
「蟻がどうした。」
ほら、と金網の下にいる人ごみを指す。
黒い頭がうようよと行儀良く並んで動いてる。そう彼らはクロアリだ。
「これがクロアリ?じゃあシロアリは?」
尋ねた少年を指をさす。
わからない、少年は言葉をこぼした。
そう、それで良い。答えなど何の意味も持たない。
たとえそれを知ってもまた一つ無駄な荷物が増えるだけだ。知ったところで行く先がかわるわけでもない。ただ蟻のように大切に巣穴へ運ぶ事だけ。
運んでいるものの正体など知る必要もない。ただ食べられれば、甘い菓子だろうが虫の死骸だろうが構わない。ただそれだけだ。
空を仰ぐ事も無くただひたすら地面を這って生きていくそれが蟻であり私だ。
そんな生き方に嫌気がさし、私は屋上に逃げ込んだ。
逃げても生き方を否定する程の強さは無く、ただ毎日が同じように過ぎていくのを感じ、しかしその流れに自分が乗っているのかさえわからなず、どうしたら良いのか、何をしたいのかさえ見つける方法も知らない。
地面から少しでも離れたところに行けば、何かわかるような気がした。
自分を見下ろす空が羨ましく、嫉ましく、近づけば何か変わるような気がした。
けれど何も分からず、何も変わらない。
「そろそろ帰ろう」
ここまで追ってきた少年が言った。
「もう少しここにいたい」
「でもだいぶ冷えてきたし」
肌に感じる風は確かに来たときよりも冷たかった。
少年に背を向けたまま、もう少しだけ、と呟いた。聞こえたのかは分からないが、それきり彼は何も言葉を発しなかった。
気が付けば、あんなに高く上っていた太陽も傾き始めていた。
あぁ、また今日が終わっていく。
明日に対する期待はない。明日なにかが変わることもなく、今日の延長があるだけ。その先もずっと延長でどこへ繋がっているのか分からない。
「餌を巣穴に運ばなきゃ」
帰る場所があるだけ、まだ私は幸せなのかもしれない。
そう結論付け今日は家に帰ることにした。
振り返ると寒そうに肩をすくめる少年と目が合った。
「もういいの?」
頷くと少年は笑った。ようやく開放されるという安堵、頼んでも無いのに彼は私が帰るのを待っていたのだ。
「ところで、エサって何?」
先ほど呟いた言葉を彼は聞いていたようだ。
私は顔を歪め嗤う。
「今日は苦虫ってところかな」
前を歩いていた彼の横に並ぶ。眉間に皺を寄せ意味が分からないと、私の顔を見つめ返してくる。
私は彼の嫌いな顔をする。
食べられれば、甘い菓子だろうが虫の死骸だろうが構わない。
そして蟻は今日も巣穴に餌を運んだ。
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