生きていれば、それだけで人は、必ず出会いと別れを経験する。
たった一人で誰にも会うことなく生きていくことは不可能だ。
記憶になかったとしても、必ず誰かと出会い、そして別れているのだから。
けれど、決して出会ってはいけないと決められた相手も世の中にはいると私は知った。

それは、本当ならば歩まなかった道。
選んではならなかった道。

それを知っていても私は、きっと何度でもこの道を選ぶのだろう。








「私の中は空っぽなのだと思うのです」

思考のほぼ全てを占めていた口から零れ落ちたその言葉は、目の前にいた男性の端正な顔を、いとも簡単に呆けさせた。
間違ったことを言っていないのに間違ったことを言ってしまったような気分になるが、無視。
ただ、「空っぽでないとしたら、きっとオガクズか綿が詰まっているんです」と付け加える。
自分としては十分に譲歩したつもりだったものの、彼――白衣を着た医者のようにも見える私の父――はますますその端正な顔を歪めてしまった。
呆れを通り越して不機嫌そうに見えるほど眉根を寄せた父は、「何故だい?」と問いかけてくる。
私を一番知っているはずの父がこう言うのだから、他の誰が聞いていても同じように疑問に思うのだろう。
それほど難しいことを言ったつもりはなかったのだが。

「目に映るものや手にするもの全てに意味が見出せないのです。生きている実感がなく、時が流れるのが無駄にしか思えない。全て無機質なので、生命を感じられないのです。世界はくだらなく、全てがつまらないので……」
「よくわかったよ」

言葉を遮って「君は本当に母親似だな」と呆れる父の言葉に、デスクの上に置いてあった家族三人が写った写真を見やる。
唯一残っている母親の写真でもあった。
まだ私が生まれたばかりの赤ん坊だった頃……まだ母が生きていた頃、はじめて撮った写真だったそうだが、私は知らない。
母の腕に抱かれているのが私かどうかも甚だ怪しい。
何故なら、私は母のことを全く覚えていない(赤ん坊だったのだから仕方がないと言われてしまえばそれまでだが)。
事故で亡くなったと聞いたが、それすら覚えていない。
子どもの頃の強烈な記憶はいつまでも残っているというが、物心ついていない頃の記憶はそれほど鮮明に覚えてはいないらしい。
父は小さく息をついて私を振り向かせると、回転する椅子の背もたれを前に座り、そこに頬杖をついた。

「『世界は実に空虚で面白みがない。つまらないしくだらない』……それが彼女の口癖だったよ」

遠い目をしてそんなことを言う父に、また始まったと呆れながら飲み物を探すために台所へ。
こうなった父の話は長い。
母のことがどれだけ好きだったかは、娘の私が知ったことではない。
父から愛情を注いでもらって今まで生きてきた身ではあるが、そういった感情はまだ理解できなかった。
家族愛だの、愛情だの、全く意味がわからない。
本当に正しく理解している人間がいるというなら、是非とも私にも理解できるように話してもらいたいものだ。
そもそも、だ……私は彼を父と言うが、彼の名を知らない。
呼ぶときはもっぱら『父さん』だ。
同じく、父も私の名を呼ばない。
この家にいるのは二人だけだから間違えることもないし、別段問題はないから良いのだが。

「でも、君の母親はちゃんと楽しんでたけどね」

ちらっと視線を向ければ、父は背もたれに頬杖をついたままで写真を見入っていた。
まだ話が続いていたのか、と半ば呆れながら写真に目を向ける。
写真に写っている母は、確かに笑顔だ。
私と同じような考えを持っていたなどとは到底思えない。
寧ろ、父と同じようにこの世に生を受けたことを喜んでいる者の表情をしていた。
私の冷徹と称される表情とは似ても似つかない。
紅茶をカップに注いで、壁にもたれながら一口含む。

「世界は、興味深くて面白いよ」
「……それは以前も聞きましたが、私にはわかりませんよ」

小さく呟くと、父は口を開かないまま小さく笑った。
時間の残酷さも、変わりゆく景色の美しさも、徐々に朽ちゆくだけのはずの生き物たちが見せる一瞬の輝きも、私の目には色褪せて見える。
父の言う言葉は、まだまだわかりそうにもない。
わかる日がくるなど、想像すらできないのだ。
入れてきたばかりの紅茶を一気に飲み干して息をついた私に、父は「もうすぐわかるよ」と笑った。





>>01

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ツギハギだらけの今

誰にも求められていないと知りながら……久々の+KKです。
最近はなかなか浮上できない上に、浮上してきてもHPにかかりきりで完全にこっちでは消滅してました。
今回のツギハギも、ゆっくりまったり少しずつやっていければいいなと思っております。

今回はちょっとした実験を兼ねて(あとリハビリ)書いていきたいと思ってます。
矛盾点は多いんですけどね……毎回のことですけど(汗
完全に自己満足なので、雰囲気だけを感じ取ってもらえればいいなぁとか。
……うーん、やっぱり勢いだけだな、自分。

閲覧数:235

投稿日:2011/08/06 23:04:23

文字数:1,833文字

カテゴリ:小説

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  • 日枝学

    日枝学

    ご意見・ご感想

    読みました!
    作品って、雰囲気こそが大事なんだと思います。読み終わった後に満足するかどうかっていうのは、文章がちゃんと出来ているかとか、作品に矛盾がないかとか、そういうものよりも、何となく読んで何となく感じた印象や雰囲気に関わっているのだと思います。実際どうだか分かりませんけどね(笑 自分はそう思っています。だから自分はこういう作品好きですよ
    。悲しみでも無く憂鬱でも無い、空虚な印象を受けました。良かったです!

    2011/08/08 11:57:20

    • +KK

      +KK

      >>日枝学様
      はじめまして、日枝学様。
      作品と言うのもおこがましい感じなんですが(笑 それでも、「一人でも読んでくださった方が……!」と少し安心しました。微妙な雰囲気も、何だか感じ取っていただいたようで……嬉しいです。
      メッセージありがとうございました!

      2011/08/09 22:39:25

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