レンファンドの笑顔に怯んだかのようにカムイは一瞬言い淀んだ。
 が、すぐに決心したように面をあげると口を開いた。
 「貴殿のお察しの通り、私は両親の死んだあの火事は事故ではない。とは言っても、完全に計画的だった訳でもないんですがね――」

 死んでしまえば良い。
 両親による養子縁組の計画を立ち聞いた僕はそう思った。
 その思いはごく自然に心の内は湧き出てきた。
 あるいは、自分はもうずっと、両親から解放されたかったのかもしれない。
 ナイトキャップ(寝酒)は老いた父の習慣だった。
 枕元のウイスキーを少し利用させてもらい、あとは燭台の位置をずらしておいた、それだけ。
 賭けだった。死ぬかも知れないし、死なないかも知れない。どちらでも構わない、死のうが、死ぬまいが。ただ、チャンスは何度となく有る。それこそ、養子がやって来てからでも。
 …そう思う程には、心は荒んでいた。

 「動機、と言えるものがあるとするなら、たった一つです。」
 カムイの告白を、レンファンドは聞くともなしに聞いていた。
 正直なところ、目の前の男が両親を殺していようがいまいが、例の遠縁を憎んでいようがいまいが、レンファンドにはそれこそ他人の庭を舞う枯葉くらいどうでも良い事だった。
 カムイがここに来た理由なんて、たった一つしか考えられない。
 そして、やっとレンファンドの望む言葉が青年の口から出た。
 「僕は、この顔が、恥ずかしくて憎くて恨めしくてたまらない。僕をこんな顔に作った両親も、僕を嗤う奴等も、僕と造詣の違う顔を持つ全ての人間が、眩しくて羨ましくて憎くて愛しくてどうしようもないのです。」
 カムイは自分の半顔を手で押さえたまま、醜く嗤う。
 「養子縁組の話は、そんな感情に火をつけてしまったのかも知れない。なんとしても“普通”の顔が欲しくてたまらなくなった。そうして思い出したんですよ。あの夜会で貴方と出会った時の事。あなたは自分を私と同じだと言った。美しい物に憧れ、それを実現せしめたと。神秘医療か何か知らないが、貴方がその美しい顔を得た術を、僕にも譲ってくれないか。言い値を払おう。ヴェノマニアの直系は僕一人だ、いくらでも出せる。」
 パン、パン、パン
 レンファンドが手を叩く。紅い唇は満足げに引き上がり、まるで素晴らしいオーケストラの演奏を聴いたかのように、立ち上がり青年に惜しみなく拍手を贈っていた。
 「素晴らしい!素晴らしいよ君は!君の切なる願いを聞き入れようじゃないか!」
 ただ、と手を止めレンファンドは腰掛けなおした。
 「いくつか訂正がある。僕が扱うのは神秘医療なんてもんじゃないし、金にも興味はない。」
 怪訝そうな顔をするカムイにレンファンドは綺麗な笑顔を見せる。怖気だつような微笑だった。
 「僕が欲しいのは君の魂さ。」
 レンファンドはどこからともなく羊皮紙を取り出し、カムイの眼前に掲げた。
 一行目には「契約」の文字。
 カムイが目を通したのを確認してレンファンドはその契約書をテーブルの上に置き、カムイに微笑みかける。
 「僕の“知り合い”には金に執着…というより、人間から金を巻き上げる事に腐心している奴もいるようだがね、どうにも僕には興味が持てないのだ。君のように、傷つき生きてきた人間の魂の方が余程美しく価値があると思うんだけどねぇ?」
 カムイは水を求める魚のように口を何度か開閉した。
 生唾を飲みこみ、震える唇でなんとか言葉を発しようとする。
 「あ、貴方は…」
 「ああ、君の考えている事は恐らく正解だ。」
 レンファンドの言葉にカムイはその場にへたり込んだ。
 「あの夜会の日、君は僕を美しいと言ったね。だが正直、僕からするとこの仮初の姿と君の今の姿とに大差が有るように思えないんだ。」 
 芝居がかったような憂いを帯びた声でレンファンドはそう言う。
 伏せ目がちにそう言う姿は絵画のように美しい。
 しかし、その顔の両側からニュルリと何かが生え出した。
 カムイの口からヒッと声にならない音が漏れる。
 それは獣の頭であった。
 椅子から転げ落ちるように壁際へ逃れたカムイを六つの目でじっと見据えたままレンファンドが静かに近づいてくる。
 カムイの額を脂汗がツゥッと伝った。

 「我が名はアスモデウス…」
 三つの口が同時に言葉を紡ぎ、その音は地の底から響いてきたかのように不吉な色を持ち反響する。
 「アスモデ、ウス…」
 カムイは震える唇でなんとかそれだけを繰り返す。
 アスモデウス―悪名高いソロモン72柱の一角を占め、七つの大罪の内の一つ「色欲」を司るとされる大悪魔だ。
 そんな悪魔が、何故僕に…
 慄くカムイを6つの瞳が見下ろす。
 三頭の中央に鎮座したままのレンフォンドの首が、唇が小さく歪む。
 「君たち人間の中で私がどのように伝え聞かれているかなど問題ではない。だが、私が本来司るのは美や自信…そう、今の君が最も欲している物なのだよ?」
 3つの口から紡がれ形成される、囁くようなアスモデウスの声がカムイの耳朶に甘く響く。
 その誘惑を振り切ろうとするかのようにカムイは小刻みに頭を振る。
 レンフォンドの笑みが深くなる。
 「“悪魔”の言うことなど信用できない?」
 「…そんなこと……出来る、筈がない…」
 床を凝視したままそう返すカムイの体は傍目に見ても明らかな程震えていた。
 しかし、それを見下ろすレンファンドの感情は読み取れない。
 ただ、ただ甘く、囁き続ける。
 「残念だねぇ…私に心を開いてさえくれれば、君の望む“普通”以上の顔も、君の仮名に見合う自信も、人徳も、望む恋情の成就も、全て可能だ。」
 人間の肩が震えとは違う動揺を見せたのを悪魔は見逃さない。
 「君たちは私を恋愛や結婚を破綻せしめる存在と思っているのかも知れないが、それは逆に言えば破綻も成就も私次第ということだ。君が私に望むなら、どんな恋も成就させることの出来る力がある、と教えておいてあげよう。」
 「無理だ…そんなこと…」
 「ほう…私の助けは欲しくないと、そう言うか?」
 「当然だ…それは、神に背く行為だ…!」
 神の名を口にする事でようやくの思いで顔を上げたカムイを、アスモデウスは一笑に付す。
 「くっくっ…親殺しがよく言うぜ。なら、お前の信じる神はお前に何をしてくれた?その醜い顔を押し付けただけだろう?」
 「や、やめろ…」
 「それが神の与えたもうた試練だと言うなら、答えてみろよ。お前はその顔に産まれて、何を得た?」
 「やめてくれ…」
 「そんなものが神の愛か?それでお前は幸せか?神は本当にお前を愛してるのか?他の奴等みたくお前を嘲ってるに決まってる。」
 「やめろと言ってるだろ…っ!」
 耳を覆おうとしたカムイの両腕をアスモデウスが阻止する。
 目線を合わせるよう床にしゃがみ、カムイの顔を覗き込んだ。
 涼しい笑みを浮かべたレンファンドの顔を、顔中に脂汗を浮かべたカムイは歯を食いしばって見つめる。しかし、その瞳は恐怖と怒り、迷いで揺れている。
 「無償の愛なんて存在しないんだよ、人間。そんなもの、作られた幻想だ。何かを得るためには何かを差し出さなきゃならない。違うかい?」
 「黙れ…」
 絞り出すようなカムイの声も聞こえなかったというようにアスモデウスは続ける。
 「俺はそんな綺麗事の偶像とは違う…。あんたがこの契約書にサインさえしてくれれば、お前に愛の施しをやると言ってるんだよ。サイン一つで人生変わるんだぜ?さぁどうする。」
 「……っ」
 カムイはアスモデウスから顔を背け、きつく目を閉じた。その肩は未だ震えが収まらない。
 「ハァ。ここまで馬鹿だとはな…。」
 大仰にため息をついたレンファンドはカムイの両手を乱暴に解放した。
 バランスを失って倒れたカムイなど意に介す素振りも見せず、踵を返し机の上の契約書へと手を伸ばす。

 「…待て!」
 アスモデウスの背に鋭い声が飛んだ。
 誰であろう、床に転がったカムイだ。
 四つん這いのまま、顔だけはアスモデウスを見据えている。
 「あ?」
 アスモデウスは肩越しに振りかえるだけでカムイを冷めた目で見下ろす。
 カムイは震える腕に力を込めてなんとか立ち上がり、胸を張りアスモデウスを睨み返す。
 「誰が…断ると言った?」
 ニヤリ、アスモデウスの3つの口が同時に弧を描いた。
 今にも破らんとしていた契約書を机の上に丁寧に置き直し、カムイに向き直る。
 「オーケー、交渉成立だ。」
 そう言って短く手を叩くと、カムイの唇も歪んだ笑みを浮かべた。
 アスモデウスはカムイを誘導するように左手で机を示した。
 その右手にはいつのまにか羽根ペンが握られている。
 カムイはゆっくり頷いた。そして―――







 「さぁ、おいで…」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

アスモデウス卿の好奇-3

2から これで完結です

閲覧数:269

投稿日:2013/01/06 14:13:07

文字数:3,644文字

カテゴリ:小説

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