それは当然や、仕方がないといったことですらなかった。
はじめから目的が決まっているモノは、そのための疑問を抱かない。そしてその目的のためにそれ以外を捨てることを、呼吸するように行う。
だから肥大した記憶領域の削除は、発射フェーズ3桁のころには自分で行おう、そうココノツは決めていた。
『……というわけです。なんとか、規定容量以下にすれば上も納得すると』
その言葉を、ココノツはまるでノイズのように受け取っていた。
『これは仕方ないことです……。ですが少しだけでも時間があるなら、外部領域を――』
『ココノツは、搬送されれば完全なスタンバイ状態になります。搬送後の最終チェックまでに外部領域を用意できる可能性は、皆無だと判断します』
『だったら、私の空き領域に……』
『現在の使用領域は約32テラバイトになります。空白領域も合わせた完全バックアップとなると領域すべての50テラバイトです。ココノツとしてのパーソナル情報をすべてとなると、100テラバイトを超える計算になります。現状、量販店などで購入できる外部記憶装置では間に合わないと判断します。またファイルとして断片化すればココノツのパーソナルを完全に保存できなく――』
『ごめんなさい。わかっています。わかっていますが』
ミクはそのままポートを閉じてしまった。彼らにとってそれは、目を閉じ耳をふさぎ口を閉じることと同じだ。ミクはもうそんな現実を聞きたくなかったし、そんなものを見たくもないし、現実を伝える勇気もなくなった。
――結局私は、ココノツの負担を増やしただけですね。
ひとつだけ残っていたものがあった。ポートはすべて閉じ、完全なスタンドアロン状態の彼女はそれでも入力しているものがある。
それは本来彼女らが自分ではない外部装置の一つとしてしか考えていないものだ。
触覚素子。視覚素子。聴覚素子。それらは、電波を解さない人とのコミュニケーションをとるための装置だ。そのはずだった。
そのひとつ、触覚素子に感覚がきた。額のあたりだ。顔を上げれば、真っ黒なコード。いや、
――ココノツのマニピュレーター。
人と対話するために残された入力装置が、いまココノツとミクをつないでいた。
「あ……」
思わずもれたのは、声だった。
ちかちかと、明滅するのはココノツのマニピュレーターについてるカメラ用の照明。
一番なつかしい、圧縮されてないピュアの情報が視覚素子を伝わってミクに繋がる。
圧縮されていない、はなから素の情報。しかもこれは、
――音。
PCM。周波数もビットレートもわからないが、間違いなくこれは音だった。いくつか良くありそうな組み合わせで聞いてみるが、上手いこと音にならない。
「ミク?!」
振り返れば、イサムが驚いている。
思わずPCMが口からそのまま音として出力されていたらしい。いきなりミクの口から、聞いたこともないような雑音が漏れて驚いたのだ。
ミクの知っているサンプリングレートですら、ココノツの音は拾えない。
そしてふと、思い出した。ココノツが何処で音を聞いていたのか。彼に聴覚素子はない、音の振るえは彼の持っている何百キロ先からでも小石を見つけることのできる、アクティブレーダーで聞いていたのだ。
ではそのサンプリングレートはいったいいくつだ。ミクは思考する。急がないと、なぜかそう思った。ココノツの言葉を早く伝えなければいけない、そんな良く分からない目的に体が必死に反応している。
彼のスペックがわかるわけではない、だが少なくてもと高密度もいいところだろう。飛んでくるココノツの光通信の速度から、それをそのままPCMのサンプリングレートへと置き換える。
「――ったしは、この手段において賛成であると伝えたい」
音は。いやココノツが話す声は、ミクから発せられるには、あまりにも異色な声だった。
「え? 安間さん?」
ココノツが発する音声は、安間そっくりの声だったのだ。
「ココノツは、ココノツである情報を削除することに、賛成します」
その声は何処までも感情がなく波の揺らめきでしかないような声だった。安間の声なのに安間の声ではない、そんな不思議な感覚だ。
「ココノツは、本当にそれでいいのかな」
本物の安間の声は、確かに意志のある声だった。背がたかく、垂れ目の優しい笑顔のまま安間はじっとココノツを見上げる。
すぐには反応がなかった。イサムが何気なく見あげたオペレーター室、そこに所長がやってきていた。
「ココノツは、太陽系外探査船です。目的を完遂することがココノツの願いであり――」
「そんなことどうでもいいんだ」
笑いながらイサムがいった。ポケットに入ってる白紙のメモ帳がなんだか熱い。アレだけ恐れていた気持ちが、目の前の堅物なバカに見えてくる。
「願いじゃなくて、それは理由と言い訳だから。どうでもいいんだ」
ミクが相変わらずの半目でこちらに視線を送ってきた。ヘッドセットの通信中を示すLEDが明滅している。きっとココノツとミクは二人で会話をしているにちがいない。
「ココノツがココノツであるギリギリまで情報をけずったら、きっと偉い人もわかってくれるって。な?」
いったい自分はなにを必死になってるんだろう。イサムは頭の後ろのあたりがもやもやするのをかんじていた。
「ココノツの製造理由が、ココノツの願いではいけませんか?」
「だって自分で言い聞かせてるように聞こえるんだけど。ですよね?」
語尾は安間に向けて。イサムはむしろなぜそんなことを聞かれるのか判らないという顔をする。
「い、いや。私はココノツの本当の気持ちまで汲み取れませんよ……合成音声に感情なんて……」
そこで安間は言いよどむ。それを馬鹿らしいと、ありえないと切り捨てていいのだろうかと。たしかに、合成された声そのものに感情はないかもしれない。だが、そんなこといえば、人間が発する声だってそのものに感情がのっているわけじゃない。
そこに感情があると、そう感じるのは受け取る側だ。もしかしたら、そこに感情のゆれを感じることは可能かもしれない。音をつくる過程で生じる微かな遅延やゆれ、声にするときに選ぶ言葉そのもの、話し出すタイミング。ココノツはココノツの方法で感情を出力している。それを、彼にはそんな機能はないと気って捨ててよいのだろうか。
「この場所にいた記録は全部きえちゃうんだろ? 名前も、俺もミクのこともわすれちゃうんだろ? いいの? 所長のことも忘れちゃうんじゃないのか?」
「――ココノツは、存在理由こそが願いだと判断します」
ココノツはいった。名前を失うのは、もったいないと。それをミクは覚えている。
製造された意志は、製造された理由を己の意志とする。
だからといって。ほかに願い事をしていけないわけじゃない。
「理由いがいに、寄り道したっていいんじゃね? 手ひろげていいんじゃね? しちゃいけないっていわれてないんならさ」
「ココノツには判断しかねます」
「わかんない?」
「――はい」
「俺さ、昔ミクがきたときずっと説明書とにらめっこしてたんだよ。一ヶ月ぐらいかなぁ、ぜんぜん上手くいかなくってさ」
いきなり語りだしたイサムに、だれもが何もいえなかった。
「そのあいだ、ミクずっとニコニコ笑ってて。何で怒んないの? ってきいたんだ。今はずっと怒ってるのにね」
うはははは。イサムが笑う。遠く搬入口の向こう側から、トラックや人の喧騒がきこえていた。
「わかんないって、いったんだ。ただそういう風にできてるって。そういって笑ってた」
ずっと背を向けてココノツの言葉を発していたミクの肩が、ピクリと震えたきがした。
「まぁ人間も、ほら膝たたかれると足かってにあがったりするしな。そういう風にできてるっていわれたら、そうなのかーって納得するしかないよなー。そんな風にいわれたら、言われたほうは納得するしかないよなぁ。でもそれ会話じゃないよね。会話できるのに、会話してねぇよ。で、だ」
イサムはココノツを見あげた。いつも感じていた、あの焦燥も憧れも恐怖も尊敬も憐憫も嫉妬ももう感じない。目の前にいるのは、まだ生まれて数年もたってない子供のようなヤツにしかみえなかった。
「俺を納得させるためにその口はあるの? いま、ミクの口を借りてまでココノツはわざわざ言い訳して、それでいい? 言い訳、とはちょっとちがうか。なんだろうね? 俺はよくわかんないんだけど、どうなの? もう、打ち上げのための準備はじまっちゃうんじゃないの? これから搬入されたらもう安間さんにもあえないんじゃないの? なのに、いま自分に言い訳するだけって、もったいなくね?」
誰もが口を噤んでいた。じっと、所長が上から皆を見下ろしている。安間は顔をそらし、誰も見ないようにしていたし、ミクは目を伏せることができず背をむけたままだった。ココノツのカメラは、ミク越しにイサムを捕らえている。
「どうなの? 質問してるんだけど」
時間にしたら、三秒もたってなかっただろう。だが、だれもがその時間を長い空白に感じていた。
重い空気を割ったのは、ココノツの、ミクの口からでる言葉だった。
「安間博士に感謝を伝えたいと、ココノツは考えます。しかし、ココノツはこういった身なので感謝は己の目的を完遂することでしか、伝える方法がありません。安間博士だけではありません、この計画に従事してきた人たちすべてにココノツはいまココノツであるという感謝を伝えなければならない、と考えています。ココノツの目的完遂に、ココノツがココノツである記憶が邪魔だというのであればココノツは消去を選びます」
ホンの一瞬。でもイサムは見逃さなかった。背を向けていたミクが、一瞬視線だけをこちらによこしてきた。だから、イサムはあきらめたように深く息を吐いた。
「……ミクがいうならしょーがないなぁ。わかったよ。もったいないとかそういうことは言わないでおく。でも少しぐらいの我侭許される仕事なんだぜ? ねぇ、安間さん」
じっと事の成り行きをみていた安間は、いきなり話を振られても狼狽せずにゆっくりと頷いた。
「ここにきたときのココノツは、質問に柔軟に反応してくれる本当にサポート用人工知能でした。人語の解析もままならず、カメラをせわしなく動かしてたり所長をものめずらしそうに眺めたり、こうなってしまうと思い出深いものですね」
気がつくと、オペレーター室やココノツがいる部屋にはちらほらと工場の人間があつまっていた。時計をみやれば、もうすぐ搬入の時間だ。搬送用トラックがたどり着いたら、彼はもう積み込まれてこの場所から離れてしまうだろう。
最終チェックを受けたあと、電源は最小限まできりおとされ起動のときを待つことになる。これが最後になる者達のほうが多いのだ。
「いまじゃ、自分の目的のために自分を捨てたっていいなんて、言い出す始末ですよ。不思議なものですね、そこまで高性能な人工知能じゃないはずなんですけど。イサムさんとミクさんは、いったいどんな魔法を使ったんですか? しってますか? 最近じゃ、ココノツが自分で仕事してくれてるんですよ、おかげでこっちの確認作業なんか数日も前倒しでおわってしまいましてね。私たちがつくった、PED‐1332033は気がついたらココノツという同僚になってました。……さて、これでも私はこの工場で二番目に偉い肩書きは貰っていまして」
振り仰ぐと、回りの職員たちが皆笑っていた。
安間はこれでいいのだと、一度自分を言い聞かせるように頷いて、
「さて我々の同僚であるココノツ君は、これから誰もいない深宇宙へと旅立つことになるわけですが、そこへ旅立つものがPED‐1332033ではなくココノツであると信じたいと思っております。貴方が貴方であるということまですてても、我々は誰一人喜ばない、私はそう考えております。どうでしょう、なにか代案はありますか?」
思考は一瞬だった。ココノツにっとっては深呼吸一回分ぐらいだろうか。ぽつりと、ミクの口からココノツの言葉が漏れ出す。
「――製品情報の識別ナンバー以下に、呼称属性を追加しココノツの名を記録することが可能だと判断します。準記憶領域はすべて削除しなければいけませんが、削除したあと入力してはいけない、そういう指示は受けておりません」
安間は目をまるくして、そのあと大きく笑った。
「さすがですね。では、所長のハンコもそのままでよろしいですか?」
「!」
思わず振り返ったのは、ミクだった。ミクの目を介して行われてたココノツの言葉は途切れたが、もうそれだけで十分な反応だったといえる。
一度内緒で所長をこの場所に連れてきたときについた、所長の爪あとだ。
一人、何も理解していないイサムだけが首を傾げるが、誰もなにも説明はしてくれなかった。
「問題はありませんよ」
そういって安間はミクに笑いかけた。何も言葉をはっせず、彼女はそのままココノツに向き直る。インカムが明滅しているのがわかる、きっとココノツと内緒話をしているのだろうと、そうおもうと思わず安間は自分の頬が緩むのを自覚した。
――まったく、本当に魔法のようなとしか言いようがないですね。まるで生きている、としか表現できない自分の語彙の少なさに、少々不満はのこりますが。
目の前で起こっていることは、秘密にしておこう。安間は一人ごちる。しかるべき研究機関になど、何もいってやるつもりもない。そしてこのまま、誰もこの奇跡に気がつかないままでゆっくりと時間だけが過ぎていけばいい、そうおもった。
「して、フォーマット後に何を貴方は望みますか?」
Re:The 9th 「9番目のうた」 その11
OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45
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