ホワイトデーの一撃 1
『ほら~、アメリカで~、交通違反の罰で道路の清掃奉仕とかするでしょ~。あれで許してあげない~?ずっとおうちに帰れないのも、かわいそうだし~』
という、弱音ハクの提案が受け入れられ、レンがクリプトン家の敷居をまたいだのが、あのバレンタインデーから5日後のことだった。ただし、“ホワイトデーが終わるまで姉たちの言うことに黙って従う”という条件付き。
と、いうわけで・・
「今日でこの下僕生活も終わりだなっ。」
リビングの掃除機がけが終わって一息ついたレンに、リンが言った。
「ねえ、今日のホワイトデーだけどさ、何くれるのかなあ、レンは。」
「は?」
「だって、ホワイトデーは男の人がお返しくれる日じゃん。」
「ホワイトデー・・って、オレ、誰のチョコももらってねーし!」
「何言ってるのよ。レンのせいで会社の人とか大変な目に遭ったんだから。そのお返しだよ。てか、お詫びだよ。」
珍しくドスの利いた声でミクが言った。
「これは世間で言うところの“賠償金”ってヤツだね。」
「ちょっとした手違いだろ?第一、ミク姉“賠償金”の意味わかって使っ・・」
ガスッ、と音がして、ミクの投げた雑誌がレンの眉間を直撃した。
「失礼なんだから。ねえ、ルカ姉からも何か言ってやって・・って、あれ?」
さっきまでリビングのソファで雑誌を読んでいたルカがいない。
「うん、やっぱりだ。ルカ姉はバレンタイン、または、ホワイトデーの話題を避けてる。」
「えっ・・そうなの?気がつかなかった。」
ミクが首をかしげるそばで、リンがうなずいた。
「こりゃ、がくぽさんと何かあったね。」
「何かって・・何?」
「そこまではわかんないよ。ルカ姉に直接聞かないと。」
「それは無理でしょ。」
「レンに行かせようか。今日までは、あたし達の言うこと何でも聞くって約束だし。」
「そうだね・・えーと、防弾チョッキってムチに効くんだっけ?」
バレンタインデーのあの日・・
確かにその瞬間は幸せと思えたのだ。
(あんなまずいケーキを食べてくれた・・いつも冷たい態度ばっかりの私なのに・・)
切なくて、申し訳なくて、でもうれしくて。
そのとき、ルカの体がこわばる。
これまでのがくぽへの所業が脳裏をよぎった。さっきとは別の意味の恥ずかしさで、またも頬が熱くなる。
「だ、だめっ・・!」
見事な掌底打ちがあごに入ったがくぽが、空気が抜けるような音を出してのけぞった隙に、ルカはバッグをわしづかみにし、玄関を飛び出した。
以来バレンタインとかチョコとか、最近ではホワイトデーとかいった単語に非常な不快感を覚える。そして、そんな自分にも腹が立つ。
今も、自室のベッドにたこルカを抱えて突っ伏しながら、
(あいつが悪いんでしょ、いきなりあんなことするから・・)
(ホワイトデーなんて関係ない・・別に期待なんてしてない・・ほしいものとか全部自分で買えるし)
ぐるぐると、そんなことを考えていた。
その頃隣家では、がくぽの妹グミが仕事に行こうとしていた。リビングに立ち寄ると、兄がソファでタブレットを使っていた。江戸小紋の着流しに一つ結いの髪を背中に垂らす、ゆったりとした和服姿である。
「兄貴、和服でタブレット使ってるの、珍しいね。」
「服一つでそこまで性質が変わるわけではない。こら、勝手にのぞきこむな。」
「うわ、エ●メスのバッグ?珍しいね、兄貴がこんなもの・・」
と、グミの目に画面上方の“ホワイトデー特集”の文字が見えた。
「え、まさか、」グミの口元がひく、と引きつる。「あの激マズチョコケーキに、こんな高価なお返しを?!」
「無礼なことを言うな。」がくぽは厳然たる口調で言った。「激マズはルカ殿のせいではない。第一、兄の許しも得ずケーキを食べて吹いたのは、お前だ。勝手に食べておいて激マズなどと言うな。」
いやいや、まずいものはまずいよ、とグミは思った。
(もしかして、うちの兄貴って馬鹿かな?)
「兄は馬鹿か、という顔をしているな。いいか、これはルカ殿の気持ちに対する返礼なのだ。味は問題ではない。」
「・・・・」
「しかし、どうしたものか・・バッグやアクセサリーなら、ルカ殿自身がいくらでも持っているし、服や靴はサイズが分からん。やはり、銀座あたりですいーつでも買うか・・」
またも口元を引きつらせつつ、グミは言ってみた。
「そこまで気を遣うことなくない?兄貴のがいつも百倍気を遣ってるんだし、逆にルカさんに何かしてほしいぐらいだよ。」
「大人はそう単純にはいかぬ。」
「え~・・」
眉間にしわを寄せたグミはまた思う。
(もしかして、うちの兄貴ってM系?)
「兄はMか、という顔をしているな。」
「・・ちがうの?」
「迎えが来たぞ。」
あからさまにはぐらかされたが、返す言葉がなかったのでおとなしく家を出た。
玄関で妹を見送りながら、がくぽはつぶやいた。
「さて、どうしたものか・・」
昼過ぎ。
ルカはメイコに頼まれて、夕食の材料を買いに出た。後から、たこルカがふよふよ浮いて着いてくる。15分ほどでスーパーに着いたルカは、野菜コーナーから順に回り始めた。
「?・・何かしら、これ。」
ルカは“ぼうだら”と、いう文字を見つめた。たこルカも肩?をすくめる?。
肉か、魚か、野菜か、ルカにはそれすら見当がつかない。
「なあに、たこルカ・・スーパー一周してみればいいって?ちょっと、このスーパー、馬鹿みたいに広いのよ?いちいち見て歩いてたら・・」
「何かお探しか?」
「!!」
ザザッ!
ルカは瞬時に数m間合いを取り、身構えた。がくぽは見事な体さばきに一瞬見ほれたが、スーパーマーケットで隣人に声をかけられてする反応ではない。
「あいや、ルカ殿・・」
言いかけて、ルカの買い物カートに残されたメモを見つけた。カートに入れたものは線で消してあるが、一つだけ線が引かれていないものがある。
「“棒鱈”が見つからぬのか。」
「“ぼうだら”を知ってるの?」
「こっちへ。」
手まねきするがくぽに、ルカは迎撃姿勢を崩さず答えた。
「・・先に行って。あとからついて行くわ。」
「まるでテロリストと相対しているようだな。大丈夫、このように人目のあるところで、妙な真似はせぬ。」
「なっ・・」
ルカの顔がみるみる赤くなった。怒ろうと思ったが、がくぽは自分のカートを押してさっさと歩いて行く。
たこルカを肩に乗せ、着流しで買い物カートを押していく美青年は、いろんな意味で視線を集めているが、ルカは緊張でそれどころではない。
(ぼうだらって“棒鱈”か・・ようするに鱈の干物なんだ)
がくぽが言うには、煮付けが美味いという。
(なんでそんなことまで知ってるのよ)
数m後ろを歩くがくぽの気配にイラッとするので、たこルカに八つ当たり。
「ちょっと、たこルカ、魚なのにあなたが知らないっていうのはどうなの・・え?乾物は専門外?」
たこルカにもイラッとしてがくぽにさよならも言わず、クリプトン家のドアノブを回す。
「あ・・あら?開かない?」
鍵がかかっていた。
「そうか、ミクとリンとレンは学校でメイコ達は仕事だわ。えっと、私の鍵・・うそっ、ない!どうして・・あ、このあいだバッグを変えたときに入れかえて、そのまま・・」
メイコが忘れるわけがないので、窓などどこも開いていない。
つまり閉め出しだ。
おそるおそる隣の玄関先を見る。がくぽがちょうど自宅の鍵を開けているところだった。
目をそらしたが、声が飛んできた。
「もしかして、鍵をお忘れか?」
「・・くっ・・」
「なんであれば、誰か戻るまで我が家で待っていてもかまわないが。」
「・・・・」
拳を振るわせつつ、しばし葛藤。そして折れる。
(今日は和服で黒がくぽじゃなさそうだから、大丈夫よね)
疲れて頭に乗ってきたたこルカも重いし、仕方なくルカはエコバッグを抱え直してインタネ家の玄関をくぐった。
「何か飲むか?」
「ダージリンで。」
「茶菓子は・・かき餅とマカロンのどちらがいい?」
「かき餅で。」
「承知。砂糖は1つだったな?」
がくぽは慣れた手つきで茶菓を整えていく。膝に乗せたたこルカの頭に頬杖をつきながらルカは、その様子を眺めていた。
「どうかしたか?」
いろんな種類のかき餅の入った寄せ木のボウルと、ティーポットやカップを運びながら、がくぽが聞いてきた。
「ルカ殿?」
「なんでもありません。あ・・ありがとう。」
それきりルカは黙って紅茶を飲み始めた。一口飲んでは、かき餅を食べ、飲み込んでまた紅茶を一口。機械のようにそれを繰り返す。
がくぽも自分の紅茶をすすっていたが、やがてカップを置くと口を開いた。
「ルカ殿、一度聞きたいと思っていたのだが・・ルカ殿はそれがしが嫌いなのか?」
「はい、そうです。」
ていねいに即答されたが、動揺をこらえて続ける。
「思えば初めて会ったときから、けんか腰であった・・こちらに何か落ち度があったか?あったのならば言ってくれ。」
「・・どうして?」
「ルカ殿とは円満でありたい。」
「・・・・」
「ルカ殿・・」
「全部よ。」
カチッ、とカップが皿に当たる音がした。
「具体的に言うと・・そうね・・歌が上手いし声も素敵。その整った綺麗な顔。綺麗っていえば、髪もそうよね。長くてさらさらで。あと、優しくて気が利いてる。料理も上手だってグミちゃんから聞いたこともある。料理だけじゃなく掃除も洗濯もちゃんとしてくれるそうね。」一気に言って付け加えた。「そういうのが全部イヤ。」
「・・自分で言うのも何だが、それらは普通、美点とされるものでは?」
「私はイヤなの。紅茶のおかわりいただける?」
「あ・・では、カップを。」
カップが再び前に置かれるやいなや、ルカが立ち上がった。
「そういうところがイヤなのよ!!」
「・・何?」
「何でそうやって素直に私の言うこと聞いてるの!おかしいでしょ?あんな言われ方してどうして怒らないの・?!いつもそう・・私がどんなに冷たいことしても、言っても優しくしてくれて・・ほんとは何か言いたいんじゃない?!バレンタインデーのときみたいにばしっと言っちゃえば・・」
何があったか思い出し、顔を真っ赤にしながらソファに座り込むルカ。
「あ・・なたが、優しくてしてくれる分だけ、私は自分が嫌いになっていくのよ。冷たくて、何も出来ない自分が。」
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