翌朝は、流石にしっかり目覚ましをセットし、いつもよりいくらか早く家を出てしまった。気合を入れていたとか、そんな青春な理由では全くなく、転寝のおかげで睡眠時間が足りていたために早く起きてしまっただけだ。つまり、目覚ましはまるで意味を成さなかったということ。勿論悪いことではないが、どこか釈然としない気分にはなる。
でもこれが僕だ。かれこれ十七年も付き合っているのだから、この残念な我が身に改めて落ち込むこともない――こともないのが僕という人間。わずかに気落ちしつつ三叉路まで来たところで、ようやく僕の気分は回復した。少し先を、傾斜のせいか少し前屈みになりながら上っている小さな背中が見える。結わえた黒いリボンが、弱い朝日の中くっきりと目に映った。まだ残る雪に足をとられそうになりつつも必死に歩く姿が、何ともいじらしい。初めて姉に対し“けなげ”という印象を抱いた程の衝撃だ。
「おはよう、リン」
幼い頃とは色々と変わってしまったが、姉が身近にいる生活。それがこれから僕の普通になるのだと思うと、どうしても声が弾んでしまう。姉も声で僕だと気付いたらしく、振り向く前から用意していたような笑顔を向けた。不自然というわけではない。ただ、僕以外にはきっとこんな風には笑わないだろう。そんな勘が働く不思議な綻びだった。
「あ、レン。おはよう。早いのね」
「リンこそ、早いね。こんなに早いと時間余っちゃうんじゃない?」
「まだ残ってる宿題とかあるから。学校でやってしまおうかなって」
「そっか。ねぇ、一緒に行ってもいい?」
「うん。行きましょう?」
二人で昨日のように並んで歩く。上り坂は小柄な身体にはしんどいようで、姉の歩みはゆっくりめに進む僕よりも少し遅れてしまう。つい後ろから押してあげたくなるが、姉は自分が出来ない子扱いされるのを何よりも嫌っていた。果てには逆ギレし、何度も不当にはたかれて泣かされた思い出が蘇る。今はどうなのだろうか。
まあ急ぐような時間でもないし、いっか。
昔より楽観的になった僕の思考は、すぐさま別の糸を手繰り寄せ紡ぎ合わせた。
「ねぇ、リン。昨日から気になってたんだけど、リボンの色変えたんだね」
昨夜の転寝の際に見た夢のせいだろうか。他にも話したいことはあったのだが、最初に飛び出したのはこの話題だった。
「うん」
「どうして?」
「特に意味はないんだけど……ただの気分、かな」
微かに歯切れ悪くなる口調。姉は過去に関わる話を避けたいように見えた。そんな姉に申し訳ないとは思いつつも、僕は気付かない振りをして言葉を重ねる。晩ごはんを食べてから探し出した思い出の品。大事に仕舞っていたものの、年月には抗えず多少黄ばんでしまった白いリボン。流石にそれを返そうとは思わないが、また姉の白いリボン姿が見てみたいとは強く思う。僕にとって、姉は夏の陽光のような眩い白だった。黒も案外似合っているけれど、やはり願望は覆らない。
「じゃあ、また白もしてくるかも?」
「あ、でも……。一度白いリボンは全部捨てちゃったから、また買ってこないと――」
「……捨てちゃったんだ」
意味がないという割りには、行動が伴ってどこか切実なものを感じる。本当に理由はないのだろうか。気になるが、追求できるような雰囲気でもない。これ以上続けると本格的に姉が落ち込みそうで、話題を転換しようとした刹那。姉はふわっとこちらを見上げ、どこか意地悪っぽく微笑んだ。
「……レンが買ってくれるなら、着けてもいいよ」
「え……僕が?」
突然の提案に面食らう。そして考えを纏める前に、僕にとってはとどめとも言える言葉が放たれた。
「私は行かないから。レン一人で、ね」
「僕一人で……。それって――」
僕が、リンのために白いリボンを買う。つまり――アクセサリーショップに行けということだ。散々女の子みたいと言われ、女装すれば確実に男だとバレない僕が。そんなことをしたら思い巡らせるまでもなく――店員は僕を女だと思うだろう。僕にはかなり耐え難い苦痛だ。
そのトラウマは姉も知っている。昔は今以上に身長や容貌、その他何もかもが姉に瓜二つで、二人で歩いていると必ず姉妹に間違われた。その度に僕は気分を悪くし、そのつど姉は僕をからかったものだ。懐かしいといえば懐かしい応酬だが、あえてその部分をここに持ち出さなくても……とつい愚痴を零したくなる。
「買えたら、ね。私はこのリボン気に入ってるし、何も不自由してないから無理しないで」
「う、うん……」
制服で行けば女に間違われる点に関しては問題ないが、そうすると男が一人でアクセサリーショップへ入ったことになる。普段から体裁とかを気にしてしまう性分なだけに、それは生き地獄にも等しかった。考えるだけで冷や汗が吹き出てきそうだ。
こんな時は――流してしまうに限る。
「そ、それはともかくさ。携帯の番号とアドレス、交換しよう?」
我ながら何とも無理やりな話題変更だ。突っ込まれるかと思ったがそんなこともなく、姉は申し訳なさそうな表情でそろそろと切り出した。
「あ……。ごめん、レン。私、携帯持ってないの……」
「え……あ、そうなんだ。ううん、謝ることないよ。でも、珍しいね。僕は高校に入ってようやく持たせてもらえるようになったけど、それでも遅いって周りには言われたよ」
父さんが過保護すぎたのが原因だ。携帯なぞに依存する暮らしは健全じゃないとか何とかで、義務教育が終わるまでは絶対に認めてくれなかったのだ。料金面からの反対じゃなかったため、バイトして稼ぐと豪語することも出来ず、そもそも学生は学生らしく勉学に励めと押し切られ、未だに僕はバイト経験もない。これから社会に出てうまくやっていけるのか、自分でも不安になるくらいの世間知らずに育ってしまった。
「あんまり私は使わないと思うから。引越しとか多かったし、連絡取り合うような友達もできなくて」
「リンならすぐにできるよ」
「ううん、できない」
きっぱりとした声音が“いらない”と聞こえ、僕は答える言葉を失くして姉を見つめた。何がここまで頑なにさせているのだろう。もしかすると、僕に対してはまだ随分と柔らかい方なのかもしれない。クラスメイトたちには、本当に見向きもせず、会話すらしないのかも――。
「……これから、一緒に学校行こう?帰りも、もし良かったら。部活とか、入る予定ある?」
姉のために、というわけではない。ただ僕が姉の側にいたかった。それだけだ。むしろ、姉の話を聞いてどこか胸を撫で下ろしている自分に嫌気が差すくらい、利己的な思惑だ。姉には僕以外、普通に話せる同級生がいない。そのことが、双子だからだろうか。特別視されているように思えて心地よく感じてしまう。
昔からお互いに対する執着は強かった。姉には僕だけ、僕には姉だけ。そんな世界が全てで、それで良いと思っていた。姉が強制的に僕の前からいなくなり、一人っ子のように過ごし始めて、僕は少しずつ他人との付き合い方を学んだ。それが思ったより悪いものではないことも、実感として理解してきた。でも、姉には誰も適わない。姉がいるのなら、僕は他の人間全てと縁を切っても構わない。姉さえいてくれればそれでいい。そんな思いが再び沸々と湧き上がってくる。
姉はどう思っているだろうか。今でも昔のような感覚が残っていたりするのだろうか。途惑ったように対するその様子を見ていると、どうにも自信がない。
「ううん、ないけど……」
「あと、昼ごはんも一緒にどう?そこまでは流石に嫌、かな」
それでも僕は強引に話を進めた。いくら双子とはいえ、もう高二だ。周りの目が気になる年頃だし、そこまでべったりだと姉に愛想を尽かされるのではないかという不安もある。勿論、僕は全く気にならない――わけがない。小心者な僕が人の視線を気にしないなんて、一晩経ったらいきなり平均身長を獲得しているくらいに有り得ない話だ。だけど姉が相手なら、気にはなっても嫌にはならない。姉は、どうだろうか。すっかり変わってしまった姉は、もう二人で一つの一体感を忘れてしまっているかもしれない……。
戦々恐々としながら待っていると、姉は探るような視線を寄越した後に小声で口にした。
「私は――。……でも、レンは――」
「ん?何?」
聞き返すと、姉は俯いて一言一言を言い含めるように告げた。
「私に遠慮しないで。レンにはレンの居場所があるはずだもの。私なら、大丈夫だから」
その答えに、僕はほっと息を吐いた。深刻に考え込んでいるから、乗り気じゃないのだろうかと諦めかけていたのだが、どうやら僕のことを気に掛けてくれていたらしい。でも、姉はやっぱり覚えていないのだ。口にしなくても何でも当然のように分かり合えたあの頃には、もう戻れないのか――。
「ああ、そんなこと……。構わないよ。だって、比べられるものじゃないから」
確かにクラス内で無視されたりしているわけじゃない。昼ごはんを食べる友人もいる。でも、それも結局は建前の付き合いだ。どうしても続けたいと思う程のものではない。僕にしろ相手にしろ、もし都合が悪くなり一緒にいられなくなったからといって、別に構いはしないのだ。ああそうなのか、と納得して、詮索も執着もなく次に目を向ける。そしてすぐに空いた隙間は埋まり忘れ去られる。その程度の関係と姉を比較することすら、馬鹿馬鹿しい。
「僕の代わりなんていくらでもいるし、それは僕の方も同じ。でも、僕にとってリンの代わりは誰もいない。そんなこと、誰に言われなくてもわかりきってることだから」
はっきりと言葉にして伝えた。たとえ心が離れてしまったとしても、肉体が近付けばきっとまた触れ合えるようになるはずだ。それまでは、こうして一つずつ示していけばいい。そして僕も姉をもう一度理解する。それでまた昔のように戻れるのなら、面倒だなんて全く思わない。
僕の主張にしばらく黙っていた姉は、やがて強い眼差しで頷いた。紡がれたのは、揺るぎない宣誓の意志。
「……わかった。また昔みたいに、二人で過ごそう。私たちは、生まれたときから二人で一つ。レンさえいてくれれば――他には何もいらない」
「……うん」
姉と心が通い合う感覚は格別だ。そして何よりも、姉が忘れないでいてくれたことに、僕はただ嬉しさを噛み締めていた。
(続く)
闇のダンスサイト 6
リンとレンの、傍から見れば異様なまでの互いへの執着。
それをちらりと出してみました。
私が楽曲の歌詞を聴いて一番最初に思ったのは、悲しみややるせなさよりもまず「怖い」でした。
その怖さは多分、互いをがんじがらめにして尚、それが居心地良く思える執着心のせいなのかな、と思ったんです。
そしてその矛先を向ける対象がいなくなってしまったら…と考えると、今でもぞくぞくしてしまいます><;
まだ半分も来ていないお話ですが、どうか最後まで楽しんでいただけますように><
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