ドアとベランダの窓を閉めただけで世界がこんなにも涼しくなるなんて、クーラーには頭が上がらない。(夏限定だけどな)
そんなことをぼんやりと思いながら俺──神威岳《カムイガク》は、クーラーで冷え切ったリビングで、アイス片手に夏休みの課題に取り組んでいた。
お袋がくじ引きで一ヶ月の海外旅行のペアチケットを当て、迷う余地もなく親父と一緒に行くのを選んだ。
そして選ばれなかった俺は、この寂れたマンションで課題と一緒にお留守番。
一ヶ月間自由だと内心喜んでいた俺に、お袋が「帰ってくる前に課題終わらせなかったら、部屋にあるマンガ全部捨てるから」と血も涙もない言葉を残した効果か、いつもは夏休み終日にならなきゃやらない俺が、夏休みに入ってスグに机に向かっているという大挙(?)を成し遂げた。
「……何だここ……全く意味分かんねぇ……」
だが作業ペースはカメ並みに遅く、朝の9時から始めて3時間が経って進んだページはたったの3ページ。
つまり俺は1ページに1時間をかけている。
あまりの自分の馬鹿さに涙が出てきそうだった。
──そんなときだった。
ブブブ、とスマホがテーブルの上で振動した。
俺は勉強をいったん中止してスマホの電源を付けてみると、青木海音《アオキカイト》からメールが来たとのことだった。
〔今暇?良かったらマンガ借りにお前ん家行ってもいい?〕
海音とは小学校、中、高とずっと一緒で、互いに気が置けない仲だ。
昔、海音に俺の好きなマンガを貸してあげたらもの凄く気に入って、それ以来マンガを貸すようになった。
一度海音が「いつもマンガを借りてるから」と推理小説を貸そうとしたが、活字が苦手な俺は丁重に断り、代わりに勉強を教えることを提案した。
以降、「俺がマンガを貸す代わりに海音が勉強を教える」という等価交換が成り立ったのだった。
だから俺はこれ幸いとばかりに返事のメールを高速で打った。
〔全然オッケー!代わりに勉強教えろよ!〕
その後、海音から再び〔12時30分に来る〕という返事が返ってきた。
今の時刻は11時30分。
まだ1時間あるし、分かるところだけ解いておこうと、俺は再び睨めっこをし始めた。
*
頭がオーバーヒートを起こしていた俺の耳にチャイムの音が聞こえ、壁にかかったアナログ時計を見ると12時30分。
慌ててドアを開けた途端に襲い掛かる蒸し暑さに思わずドアを閉めてずっとここに篭りたくなる衝動に駆られる。
が、再び聞こえたチャイム音で首をブルンブルンと振って甘い誘惑を断ち切り、俺はよろよろ歩きでやっとの思いで──ホントは数メートル歩いただけだが──玄関口にたどり着き、ドアを開ける。
男子高校生の平均身長よりは高いはずの俺でも見上げないといけないほどの高身長に細身の体。
綺麗な紺色のポロシャツと白色のハーフパンツ。
綺麗な花色の短髪の猫毛が生ぬるい風に少しだけ揺れている。
『暑い』
団扇を扇ぐ仕草をする海斗に、俺は「ゴメン」と右手を体の前に立てて、軽く倒す仕草で返す。
よくよく考えれば俺が謝ることはないんじゃないかと思うが、それを指摘する前にずかずかと家の中に入っていく海音。
その足は迷わず閉じられたリビングへのドアへと向かい、ドアを開けると、グルンッと首だけをこちらに向けてきた。
突然のホラー展開に俺はビクリと肩を震わす。
『僕が暑い炎天下を歩いていた中で、君はこんな涼しいところにいたんだね』
「そ、その……えっと……つ、冷たい麦茶飲むか?」
『ううん、遠慮しておく。実はさっき他の友達と遊ぶ約束をしていたことを思い出して、スグに帰らなくちゃならなくなったんだ」
「……は? それじゃあ……勉強、教えてくれないのか?」
『うん』
唖然して言った俺の言葉に海音はそう頷き、さっき俺がしたように『ゴメン』と右手を体の前に立てて、軽く倒す仕草。
さっきまで必死に勉強をしていた俺は、良くない頭を働かせたせいで非常に疲れている。
人というものは疲れると怒りやすくなる。
そんなときにドタキャンされたらどうなるのか。
「あっははー。遊ぶ約束をしてるならしょうがないよなー。うんうん、約束は守るものだしねー。しょうがないしょうがない──わけないだろうがぁ!」
俺の堪忍袋の緒が簡単に切れて、海音の胸倉を掴みかかった。
「俺が暑い──いや、涼しい中頑張って勉強していたっていうのに、お前っていう奴は……!」
『勉強は今度ちゃんと教えるから怒らないでよ。ちょうど小母さん達旅行でいないから、僕の家で勉強会のついでに泊まっていけばいいし』
その言葉に俺の手がピタリと止まる。
海音の家は社会人の姉と二人暮らしの割りには綺麗な一軒家で、そのうえ自分の部屋にもクーラーが付いている。(俺の家はリビングだけなのに!)
対する俺が住んでいるマンションは、ビルの高さは5階建てとそこそこ、建物内は誰でも侵入可能──学校で帰りが遅くなったとき、エントランスに不良が何故か集会を開いていて中に入るには入れなかったことがある──、3階の部屋にもかかわらず何度も現れる黒光りのアイツ──食事中に出たときは発狂した──、1台だけ設置されているエレベーターは時々故障する──そのうちの2回は俺がちょうどエレベーターの中に入ったときに起きた──などなど、住み心地は最悪まではいかないものの、お世辞にも笑顔で良いとは言えない。
とどのつまり、俺は海音の家にもの凄く憧れているのだ。
そのため俺が怒りをすっかり忘れて二つ返事でオーケーしてしまったことは言うまでもないだろう。
そして海音は俺の部屋の一面の本棚にびっしりと埋まっているマンガの中から数冊抜き取り、それらをリュックの中に閉まうと、左手の手の平を下に向けて、右手で一回切るような仕草をした。
「別にいいよ。その代わり! 絶対明日は空けとけよ? 分からないところみっちり教えてもらうからな!」
『あ、結局明日なんだ……』
「何だよ。文句あるのか?」
『別に。元はといえば僕のせいだしね。姉さんにもちゃんと伝えておくよ』
「おう! それじゃあまた明日な!」
『……うん』
海音はゆっくり頷くと、リュックを背負って、俺に背を向けて玄関へとまっすぐ歩き出した。
俺も見送るためにその後を続く。
玄関のドアノブを握ったそのとき、海音は何かを思い出したかのように振り返って、右手を振った。
『じゃあな』
そして玄関扉が開いて海音は外に出ると、ドアがゆっくり閉まり、完全に海音の姿が見えなくなったのだった。
俺は鍵を閉めて、また涼しいリビングに戻って勉強を再開させた。
その後は誰かから誘われたり、勉強を教えてもらえたりするわけでもなく、一人で黙々と進めていった。
俺の集中を切らせたのは一本の着信音だった。
スマホを確認すると、海音の姉の初音《ハツネ》さんからのコールで、このときの俺は呑気にその電話を出た。
「もしもし?」
『──岳君』
「どうしたんですか初音さん。こんな時間に」
時計の針は7時を指しており、夏の空も徐々に暗くなっている。
『まだ、誰からも聞いてないの?』
「何をですか? ──まさか、夏休みが一週間増えるとか!?」
『ううん、そんなのじゃないわ』
何だ、違うのか──俺は肩を下ろした。
「じゃあ、一体何なんですか?」
『あ、あのね……』
そこまで聞いて、俺は彼女の声が微かに震えていることに気がつく。
『海音が……』
俺は今、どんな顔をしているのだろうか。
頭の片隅でどうしようもないことを考えながら、彼女の話の続きを聞いた。
『……殺されちゃったの』
その後に、彼女のすすり泣く声がスピーカーから響いた。
唯一無二 1
ミステリーです。
……え? 冬に書いてたモノはどうしたって? ……何のとこでしょう(すっとぼけ)
この作品に出てる人達はボカロと関係ありませんので、人が死んでも発狂しないように!
今はまだ犯人を割り出すまでは出来ません。
次の刑事視点と今回の岳という青年の視点では、とある違和感が生じると思います。
その違和感の正体に気が付けば、謎の解明にぐんと近づけられる…と思いますよw
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