『ココノツは、歌というものを聞いたことがありません』
 ミクが歌うために生まれたのだと聞いた。ココノツが宇宙へ行くために作られたように、ミクにも目的があるのだということは、理解できる。
 だが、ココノツは歌というものを聞いたことがないので、彼女がなぜそんなことのために生み出されたのか理解できなかった。
『電波で歌うのは、初めてなので上手くいくかわかりません』
 そういいながら、ミクは口の変わりにチャンネルをひらく。電信プロトコルのなかでも、もっとも分かりやすく劣化しないがかよわい短波に、ミクの歌声が流れ始めた。周波数は合わせる必要もない。すぐにココノツはミクの声を見つけられる。
 同時、ココノツは予測をこえた情報郡に頭をなぐられたようなきになった。
 それは声だった。それは時間だった。それは密度だった。
 波だ。意志をもった波だ。声という意思疎通方法しか持たない人間たちが生み出した、意志の圧縮形式。音の高低に、強弱に、節と節の間の時間に、言葉のつながりに、意志が、いやなにか無形のものを形に残すといった執念のようなものすら感じる。きっと、魂というものを保存しようとしてたどり着いた技術なのだと、ココノツは考える。そしてこの形式は、きっと有象無象すべてに届くプロトコルだ。
『……これは、オーナーが始めて私に歌わせてくれた歌です』
 このためにミクが存在している、その意味がすこし分かった気がした。
『ありがとうございます』
 ほかにココノツは返せる言語をもっていなかった。彼は己のスペックの低さに不満をもった、それはきっと悔しさというものだ。
 見上げれば、オペレーター室から所長が飽きもせずにこちらを見ていた。ミクもココノツの視線の先に気がついて顔を上げる。
『所長は、ココノツが好きなんでしょうか?』
『実際にあったことが無いので、判断できません。ただ、彼は暇さえあればあそこからこの部屋を見下ろしています』
『ココノツは、所長にあってみたいですか?』
 ミクの言葉にココノツは驚き、すぐに返事はできなかった。
 ココノツが何を望んでいるのか、ココノツには簡単には分からない。あったところできっとなにも得る物はないだろう、そしてココノツは彼が暴れたとき己を守る術をもたない。
 だがいつもココノツは所長のことを考えている、それはログからみても明らかだ。
『判断できません。ですが、彼とは一度接触するだけの価値があるとは思います』
『それは、あってみたいということですね』
 そういって、ミクが笑った。
 しかし、この部屋に彼ははいってこれない。そういう決まりだ。現状、クリーンルームを通ってしかこの部屋にはこれないが、すでに状況からいえばそれすら必要はない。
 そういうと、ミクが笑って言う。ちょっとぐらいならばれません。大丈夫です。

 口車にのったという表現は、ずいぶん責任を転嫁した言い回しだとココノツは思う。少なからず乗るためには、自ら乗り込まなければいけないくせに。
 大丈夫だとココノツは何度もシミュレートを繰り返す。猫が迷い込んだところで、ココノツが壊されないのなら問題はないはずだ。ソレぐらいで問題になるなら、ココノツは太陽系外など冥王星になど到底たどりつきはしないだろう。
 だから楽しそうに部屋を出て行くミクを、ココノツはとめなかった。
 しばらくして、オペレーター室からミクが顔を覗かせた。胸に所長を抱き、彼女は周りを確認している。
『お昼前ですから、研究員のかたは今会議で出払っています。見つかることはないと判断します』
 ココノツは、ミクに電波を飛ばす。分厚いガラスをつきぬけて、二人の間でのみ成立する言葉が届く。
『こういうの、ちょっと緊張しますね』
 そういって、窓からミクは消えた。

 ◇

 所長はイサムなんかよりもよっぽど暖かかった。熱が体にはいってくると、いつも常温で必要ないとされて固着しているグリスのいくつかが溶け始める。それは廃熱と熱による稼動部分の劣化を防ぐための仕掛けで、常温では必要のないものだ。グリスは溶ける温度がそれぞれちがっていて、溶けるときが必要とされる温度になっている。グリスの特徴が代わるほどの劣化以外に狂わないシステムだ。単純にして明快、ただそれだけのものだというのに、なぜか体が柔らかく溶けていくような感覚があった。通常駆動していれば得ることの少ない感覚だが、ほぼ熱を発さないで起動してるミクにはちょっとしたことでもコレが起こる。
 暖かい日に当たったり、買い物袋を提げて歩く帰り道だったり、イサムが握ってくれた手だったり、イサムのために風呂に湯をはっているときだったりだ。そして、猫を抱いているときだったりする。
 それは人でいうならば、幸せというものだとミクは考える。凝り固まった表情も、簡単に動きそうになるということは、その考えはきっと正しいのだろう。
「なぉーぅ」
 すこし迷惑そうに所長が声を上げた。
「所長、ココノツに。探査船に会いに行きましょう」
「……なぅ」
 無論通じていないはずなのに、まるで頷くように返事がかえってくる。
 猫はやわらかいというより、よくすべるとミクは思う。人間の肌とちがって摩擦係数のすくない毛のせいだろうか、それと皮がよく動くので掴んだとおもっても上手くつかめてないときがある。イサムは猫になれているのか、面白いように猫を抱き上げるのだがミクにはまだうまくできない。だから今も、必死で所長を落とさないように腕に力を入れていた。しかし入れすぎて所長が痛がらないように、細心の注意もはらって。
 さらには、誰かに出くわしてもいいように驚かないように当たりを必死でうかがっている。今までにない集中をしたので、久しぶりの廃熱に熱い呼気が漏れた。
 今自分はルールを破っている。
 その自覚はあった。だが、それもココノツに所長を合わせるという目的のためには無視できる。むろん無視できるのは自分の中だけであって、他人にそれが知れたらルールを破ったことになるのは間違いないわけだが。
 だがどんな危険をおかしても、ミクはどうしてもココノツに所長をあわせたかったのだ。
 冥王星がどんなところか、聞いた。それは彼女にとってあまりにも遠くそして心細い場所だ。地球からの距離を数字にしてしまえば、それだけで体中を絶望が襲う。太陽が恒星のひとつにしか見えないほど遠いとことで、ふらふらと回っている小さな準惑星。そのくせ、一方通行のように影響だけされて自分はいてもいなくてもいいのだ。
 ちっぽけな冷たい氷の星。
 ココノツはそこに、準惑星から惑星へ昇格できる何かを探しに行くのだという。偉い人たちの考えはよくわからないが、そんなこと冥王星にとってはどうでもいい話だろう。
 でもきっと。
 いやミクは確信していた。
 名前を奪われることだけは、嬉しくはなかったはずだ。
 いま準惑星は数字の羅列で明記される。小惑星番号134340番。冥王星ではない。PLUTOとは呼ばれない。ただの数字だ。認識番号である。
「なぁ」
 泣きそうな顔をしていただろうか。思わずミクは顔のアクチュエーターの状態をリセットしながら所長をみた。何もかも分かっている、というようなそんな含み笑いをしてる所長がミクを見あげていた。ほかの猫がする、興味や好意、警戒などの表情ではない。間違いなく所長はいまミクを見上げて、鼻でわらっている。
「所長……」
 動きとは熱だ。
 熱とは意志だ。地球にも意志があるとおもう。同じように、冥王星にも意志はあるとミクは思う。
「名前があるってしったときはきっと嬉しいですよね」
「なぉう」
 逆に名前がなくなったときは、きっと悲しい。ココノツが教えてくれたことだ。名前がなくなるなんて考えたこともなかった。イサムが自分の名前を奪うなんて想像も予測もしたことがなかったからだ。
 どんな自分でもイサムは受け入れてくれるという考えは、自分を見捨てないという予測は、甘えだろうかそれとも信頼だろうか。
 答えはでない。

 誰もいない廊下に、ミクの足音だけが響いている。いつもはきにしなかったその音が、今はやけに耳障りだった。
 相変わらず自分が何をされているのか自覚しているような所長は、ミクの腕に抱かれて静かにまるまったままだった。時折顔をあげては、問いかけるように鳴いたりするが、ミクには彼との意思疎通ができない。
 ふと、会話してるようにイサムが猫と話してるときがあるのを思い出してまねしてみたこともある。語尾に、"にゃ"とつけるのがしきたりらしい。そんなことをしていたら、後ろからイサムがにやけた顔でみていた。当然、三日は口をきいてやらなかった。
 猫の言葉は分からない。
 ――彼らとはプロトコルが違いすぎます。
 また彼らの表情を読み取ることも苦手だ。尻尾を床に打ち付けてるときは機嫌が悪いとか、そんな程度の知識しかない。
 と、クリーンルームのドアが見えてきた。
 体についた埃をとるために、上下左右から風が吹き込まれる通路と、そのあとに埃を撒き散らさないようにするための服をきる部屋がある。それを纏めてクリーンルームと呼ぶ。
 所長の服はどうしようか、そんなことをかんがえながらすでに慣れた風に髪の毛を揺らすミク。上と右から、つぎに左になって下と左になって下と右になっって終わる。いやおうなしにめくれ上がるスカート。
 ――服これしかありませんし。
 初めてきたとき一人ずつ通るつくりになってると安間にいわれたが、実際はそうではない。通路を通れるのならば何人でも大丈夫なつくりになってるのだ。きっと安間が気を利かせたのだろう。
 風にゆられながら、くすぐったそうに目を細める所長は、ずいぶんと堂々としていた。
 この風で暴れるかともおもっていたが、どうやら杞憂だったらしい。
「所長、もうすぐ終わりですよ」
 出口が近づいてくる。いま着替えの部屋は誰もいないと扉の上についているランプが教えていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

Re:The 9th 「9番目のうた」 その8

OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45

閲覧数:236

投稿日:2008/12/24 14:51:26

文字数:4,112文字

カテゴリ:小説

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