(前編からの続きです)
☆
ピットに帰ったレンは、もうあちこちうろつくことはなかった。
綾波の視線を思い出すと、背筋に冷たいものが走る。
ミクにくっ付いていたいのだが、報道陣に囲まれていて近づけなくなってしまった。
仕方なくレンはパイプイスに座ってコースを走る車を眺め、時間をつぶしていた。
「ミク姉すごいな…。よく綾波レイなんかと対等に渡り合うよ…。痛車になるのって、大変なんだな…」
一人凹んでいるレンに、スーツ姿の若い男が声をかけた。
「レン君、後でテレビ局が来るから、ミクさんと一緒に出てもらえるかな。それまで別室で待機しててよ。ゲームもあるよ」
「はあい」
ミクと別行動するのは少し不安だったが、ゲームに釣られてレンは立ちあがった。
スーツの男についていく。
男は明るく世間話をしながら案内した。話しているとレンも気がまぎれた。
しかし、すぐ近くだろうと思っていた控え室には、なかなか着かない。
そのうちだんだん人気がなくなってきた。
「あの、まだかかるんですか? 控え室って…」
「ああ、もうすぐだよ」
男が不自然なほどにこやかに微笑む。
(わたしの親衛隊には、荒っぽいのもいるのよ――)
綾波の言葉が脳裏をよぎる。
怖くなったレンは、隙を見て反対方向に駆け出そうとした。
しかし、後ろを向いた途端にレンは別の男の腹にぶつかってしまった。
叫ぼうとした口を塞がれ、両手も押さえられる。
レンは引きずられるようにして建物の影に連れ込まれた。
スーツの男とは別に、もう一人、ジーンズの男も現れ、レンは三人の男に囲まれる形になった。
レンを捕まえている男はデブで異様に腕力があり、身動きが取れない。
「お前の姉貴、レイ様にずいぶんなめたマネしてくれたなあ」
スーツの男は豹変し、陰惨な顔つきになった。
「恨むんならお前の姉貴を恨めよ。おい、いいか、顔は殴るな。服で隠れるところだけにしろ。ヘッドセットは外しておけ」
指示を受けてジーンズの男が頷き、レンのヘッドセットに手をかける。
レンはもがいたが、まったく振りほどくことができない。
「あんた達、何してるの」
場にそぐわない、静かな女の声。スーツとジーンズの男が振り向く。
声の主は、綾波だった。
「レ、レイ様…」
男達の目が見開かれる。レンは縛り付けていた手が緩んだ隙に逃げ出した。
何故だか、あれほど怖かった綾波が救いの天使に見えて、レンはその背中に隠れた。
スーツの男が愛想笑いを浮かべ、取り繕おうとする。
「レ、レイ様、これは…」
「馬鹿なことしてくれたわね…あいつら捕まえてちょうだい。警察に引き渡して」
後ろに控えていた黒服のボディーガードが、男達を取り押さえる。
綾波がレンの頭の上にそっと手を置いた。
「ミクから離れるなって言ったでしょ。脅しじゃないのよ」
綾波は微笑みこそしなかったが、その顔は穏やかだった。
「レン! あ! いた!!」
ミクが姿を現した。急にいなくなったレンをずっと探していたのだ。
レンに駆け寄り、抱きしめる。走り回ったのか、息が荒い。
後からグッド・スマイルのスタッフもやってきた。みんな胸をなでおろす。
ミクはホッとすると周りの状況を確認した。
人気のない建物の陰。綾波のボディーガードに取り押さえられた、ガラの悪い男達…。
「レイ、あんた…」
状況を把握しきれないミクが、疑いの目を向ける。
「ち、違うよ! ミク姉! レイさんは、ボクを助けてくれたんだよ!」
泣きそうな顔をしていたレンが、慌てて綾波を弁護する。ミクはやっと事態を呑み込んだ。
「そういうこと。ミク、子供を一人にするんじゃないわよ」
綾波は無表情に言った。
ミクがもう一度レンをギュッと抱きしめる。
「礼は言わないわよ。あんたの親衛隊でしょ」
ミクは厳しい顔を崩さない。
「もちろんよ。逆に謝らなくちゃ。ごめんね、レン」
ミクにではなく、レンに綾波は謝った。
言っていることは穏やかなのに、綾波はこんな時も笑みを見せない。
レンは小さくうなずいた。
その時、辺りに携帯の着信メロディーが響いた。
グルーヴ感のあるトランステクノ。
聞き覚えのあるメロディーに、ミクとレンは、アレ? と顔を見合わせた。
ボディーガードの一人が、持っていた小さなバッグから携帯を取り出し、綾波に差し出す。
プラグスーツで荷物を持てない綾波に代わって持ち歩いているのだろう。
綾波は、いつも冷静な彼女にしては珍しく、ひったくるようにして携帯を受け取った。
すぐに着信ボタンを押す。
「レイ、今の、あたしの…」
ミクには構わず、綾波は電話の相手と話しだす。
「はい。ええ、こっちの用は済みました。すぐ向かいます」
携帯を閉じると、綾波はミクの視線を避けるように向こうをむいた。
一瞬、頬がうっすらと赤くなっているのが見えた気がした。
「行くわよ」
ボディガードとともに歩き出す綾波。
ミクは思わず「待って」と声をかけた。
綾波に駆け寄る。警戒したボディーガードが、素早く綾波の盾になる。
「…いいの、どいて」
肩を押してボディーガードを横にどける。
綾波がミクに歩み寄った。
至近距離で向かい合う二人。
ミクが、すっと綾波の耳元に顔を寄せる。
ボディーガード達に一瞬緊張が走った。
ミクが綾波の耳に何か一言ささやく。
それだけだった。
ミクは少女のような笑みを見せると、あとは何も言わず立ち去った。
レンとグッド・スマイルのスタッフが急いで後を追う。
綾波はそのまま立ちつくして、ミクの背中を見送った。
それから、溜息か苦笑いか分からない息を吐き、その場を後にした。
☆
一週間後。昼下がりのボカロ家。
珍しく仕事もなく、昼間から四人揃っている。
玄関のチャイムが鳴ったので、リンが出た。
宅配便が二箱のダンボール箱を持ってきていた。
サインして荷を受け取る。
「レンと、ミク姉にね。誰からだろ…」
荷札を見たリンの顔が青くなる。
「ちょ、ちょっとー! みんな来てー!!」
荷物は綾波レイからだった。リビングに四人が集まる。
「ど、どうするの? 絶対爆弾とかそんなんだよ」
リンはこの前の痛車騒動の話をレンから聞いて以来、綾波をひどく恐れている。
「レイさんそんなことしないって、いい人だって言ってるでしょ」
レンがそう言っても舌戦の話ばかりが印象に残っているのか、聞こうとしない。
ルカはリンほどには綾波を恐れていないが、中身の想像がつかず、考え込んでいる。
「考えたってしょうがないでしょ。レン、開けてごらん」
ミクが促すと、レンはガムテープをビーッと剥がした。
リンはいつ爆発してもいいようにクッションで頭を防御し、壁の向こうから片目だけ出して見守っている。
ダンボールの蓋を開けると、発泡スチロールの緩衝材の中から、もう一つ紫色の箱が出てきた。
「わ! レイの痛車ラジコンだ!」
GTレースで走っている綾波の痛車と同じデザインだ。
公式グッズの一つなのだろう。
レンが喜んで箱を開ける。でかい。車長四十センチくらいありそうだ。
「うおー! 超カッコいい!」
アルカリ電池も入っていたので、レンが早速セットする。
ルカは他に何か入っていないかとダンボールの中をあらためる。
小さなカードが入っていた。
『この間はゴメンね』
ただそれだけが書いてあった。
ミクが首を伸ばしてカードを見る。
「まったく、無愛想ね。ハートマークくらい書けばいいのに」
リンも部屋の隅から這い出してきた。
「へー、レンの言うとおり、いい人なのかな」
「じゃあ次はあたしのね」
ミクが自分宛のダンボールのテープを剥がす。
「わあ! 本命だ! ミク姉は絶対爆弾だよ!」
リンが慌てて部屋の向こうへ逃げ出す。
箱の中には、ビニール製の手提げ袋。中身は…服?
ミクが襟らしき部分をつかんで引きずり出す。
出てきたものは、白いプラグスーツだった。
「わお! やったあ! レイのプラグスーツだ!」
意外な中身に、ルカとレンも驚きの声を上げる。リンも駆け寄ってきた。
「な、何で綾波レイがミク姉にプラグスーツを送るの!?」
綾波に『極道の妻たち』的なイメージしか抱いていなかったリンは、訳が分からない。
ミクは立ち上がって身体の上からサイズを合わせた。
「あ、ピッタリっぽい。さすがレイ、サイズ調べてくれたんだ」
ルカとリンはますます不思議顔になる。レンがハッと何かに気付いた。
「ミク姉、この前のレイさんとの別れ際、何をささやいたの? 秘密って言ってたけど」
ミクはプラグスーツを身体に合わせ、リビングの鏡に映して喜んでいる。
「うーん? ああ、あのこと? もうばらしちゃうね。『あたし、レイのプラグスーツ着てみたい』って言ったんだ」
三人がまた驚きの声を上げる。
「ミ、ミク姉、あの状況でそんなこと言ったの…度胸ありすぎる…」
「だって、レイたんったら、あたしの曲着信音にしてくれてるんだもの。あたしも本音で話さなくちゃ」
あきれ顔のレン。レンは二人の対決を思い出すと、今でも鳥肌が立つというのに。
「あ、そうだ。お礼言わなくちゃ」
ミクは携帯を取るとメールを打ち出した。
「ミ、ミク! あなた綾波レイのメアド知ってるの!?」
今度はルカが驚く。
「うん、あの日ね、後でグッド・スマイルのスタッフに頼んで、レイにメモ渡してもらったんだ。スタッフの人すっごく恐かったって言ってたけど。レイからちゃんと来たよ、メール」
「いったいどんなやり取りしてるのよ…?」
「教えたげない。でもレイのメール、いつも素っ気ないよ。そこがまた可愛いけどさ。…『今度うちに遊びに来て』っと」
「きゃあ! ミク姉! 何打ってるの! ホントに来たらどうすんのよ!」
リンが携帯を奪い取るが、画面には『送信を完了しました』の文字。
「もう送っちゃったよ」
「ひいいい! 綾波レイが来る…! ど、どうしよう、ルカ姉」
青い顔で怯えるリンを、ルカがなだめる。
「大丈夫、ちゃんともてなせば、取って食やしないわよ」
そういうルカの額にも斜線が入っている。
プレゼントをもらったミクとレンだけが、浮かれて喜んでいた。
☆
東京都心、ワンルームマンションの一室。
極端に物が少ない殺風景な部屋で、綾波は遅めの昼食を摂っていた。
テレビもなく、物音といえばときおりコンビニ弁当のパスタをすする音がするだけだ。
ひどく寂しい静寂を、ミクの明るい歌声が破る。メールの着信音だ。
携帯を開き、受信ボタンを押す。液晶の灯りがぼんやりと顔を照らす。
綾波の口元にほんの少しだけ笑みが浮かんだ。
「札幌か…。二日休みがあれば行けるかしら」
窓の外を眺める。
家に閉じこもっているのがもったいないくらい、空は晴れわたっている。
北海道はまだ寒いのかな。
たまには外に出て、暖かい服でも買ってこようかしら――。
携帯をパタンと閉じ、綾波は出かける支度を始めた。
おわり
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ご意見・ご感想
桃色ぞう
ご意見・ご感想
最初にお読みしてから永い月日が流れました・・・
すいません、桃色ぞうです。
鎬を削る、などといいますが、真剣で斬り合って火花を散らすような、このレイとミクの関係が好きです。お互いの実力の限界を試せる相手だからこそ、刃こぼれが肌に刺さってヒリヒリするような、この緊迫感を醸せるのでしょう。
それでいて己に非があれば認めるに躊躇しない。レイのそんなところに凄味を感じます。
在るべき己の姿にブレがないからこその、その度量。
そして、そんなレイの一歩引いたところに付け込まず、自らも引いて見せるミク。
譲れない美意識を持つが故の、その潔さ。
この二人の本気の勝負を、もう少し見ていたい気分でした。
ところでスーパーGTにちなんで車ネタを一つ、トヨタ車のエンジンは、開発をヤマハ発動機が手掛けていて、YAMAHA生まれのボーカロイドにとっては遠縁みたいなものなんです。
・・・と思っていたら、ミクさんBMWで優勝!! まあいいかw
2012/04/24 01:00:59
ピーナッツ
お?久し振りのコメントだ?!嬉し?!
桃色ぞうさん様、ご感想ありがとうございます!
以前にお読みいただいてたのですね。改めてのご感想、嬉しいです!
私は女同士の口喧嘩を書くのが好きで、この作品もミクとレイの対決シーンを
気合入れつつ楽しんで書きました。
桃色ぞうさんから感想をいただいたので、記念に読み返してみたのですが、
本当にひどいこと言いあってますねw ひとことで絶交されそうなw
実は今公募に出そうと思っている長いのを書いているのですが、その作品でも
オリジナルキャラの女の子二人がいつも喧嘩しています。
喧嘩するほど仲が良いと言いますが、この二人も時々デレます。
あー、ホントに女の子の喧嘩は書いてて楽しいですねっ。
ところで車関係お詳しいですね。以前のメッセージからもそういう関係に
お勤めなのかな?っと思ってますが。
私が車買ったお話しましたっけ?
22万km乗ったグランツァがいよいよ車検通せる状態じゃなくなりまして、
中古のポルテを買いました。
もちろん(もちろんじゃねえよ)カラーはミクっぽいメタリック青緑。
ポルテはホントに、これぞって感じのミクカラーがあるので良いです。
中古車屋さんにお願いしたら快くナンバーを3939にする手続きもやってくれました。
そんなわけでイラストもないのにノーマルで痛車な車に乗っています。
近況報告でした。
前述の長編が書き終わるまで二次は書けませんが、
エレうた!のパーソナリティに小倉唯さんが採用された記念に、
彼女のダンスにまつわる話を書きたいな?とか思ってます。
いつになるやらですが、また読んでいただけたら光栄です。
2012/04/24 19:49:13