どうやら、倒れてしまったようだった。あまりのショックに心も体も耐えきれなくなったらしい。
目が覚めた時には、保健室のベッドの上で天井を仰いでいた。
偶然駐輪場を通りかかった保健室の先生が、自分の姿を見つけたらしい。それで倒れている自分を、ここまで運んできたみたいだ。先生はそう言っていた。
一方リンは、三時間目になっても帰ってこないリリィを不安に思ったらしく、リリィが四時間目になって教室に戻った時には、言葉をマシンガンのように浴びせられた。
なにもないよ、と嘘をつくので精いっぱいだった。本当の事は言えなかった。
結局、授業はほとんど受けられなかった。一体、自分は学校に何しに来たのだろうと思う。
うなだれていても、過ぎた時間は戻ってこない。時間は過ぎていくばかりだ。
リリィは憂鬱な気分のまま、放課後にメイコの喫茶店に立ち寄った。
― ― ― ―
「へぇ……そんなことがあったのかい」
カウンターに一人沈むリリィ。カイトは、今日は仕事で来ていなかった。
目の前で苦しそうに事を語るリリィに、メイコはどう対処していいのか分からなかった。
はてさて、何と慰めればいいものか。言葉が見つからない。
最初、リリィは明るく取り繕ってはいたのだが、その仮面は徐々にはがれおちていった。
自分が苦しんでいるのを悟られまいとはしているようだが、メイコにはそれが痛いほど伝わってくる。
彼氏に振られた。その事実を改めて認識する上でにじみ出てくる感情は隠せるものではなかったようだ。
「私、嫌われちゃったみたいです」
その言葉には元気が無かった。間違いなく彼女は憔悴していると、メイコは察した。
見ているだけで、その事が分かる。
「ほら、ミルクティーだよ。飲みな」
いつもリリィが頼むメニューを、そっと彼女の前に差し出す。
「え、でもまだオーダーは」
「今日はサービスだよ。それ飲んで、帰って、今日は何も考えないで早く寝な。今のリリィちゃん、本当に辛そうだよ」
見てるのが痛々しくなるくらいにね、と心の中で付け足す。
昨日もリリィは元気がなくて、それでもなんとか明るさは取り繕えていたが、今日は余程ショックなことがあったのだろう。
ただ辛そうに目を伏せるばかりだ。彼氏に別れてくれなんて言われれば、当然だ。
「そんで、よかったら明日も来ていいから」
「明日は、木曜日じゃないですか」
「いいっていいって。定休日っつったって、明日は予定ないから。いつでも来な」
「でも、いいんですか」
「いいよ。明日もサービスするからさ」
メイコは、二コリと笑った。
人に対して笑顔で接してあげれば、相手も笑顔で返してくれる。
笑顔は人間だけが出来る、特別な力だ。
そして、笑顔は人との信頼や関係を、潤滑させる油のようなものだ。
これはメイコが自分で考えたのではなく、リリィからその事を教わったのだった。
思えば三年前からリリィは明るい性格で、素直で、いい子だった。
「メイさんって、優しいんですね」
「なあに。困った時はお互いさまさ。それにリリィちゃんはウチに来てくれるお客さんの中で、一番長いからね。もう、三年の付き合いだろ」
「……もうそんなになるんですか」
時間の経過というのは残酷だ。時を一瞬でも止められたなら、どんなによかっただろう。
あいにく人間はそんな超能力を持ち合わせてはいない。
けれど時間を経る事は、何も悪い事ばかりではないはずだ。
「ああ……そういえば、そうでしたっけ。私が中学生だった頃ですよね。懐かしいです、初めてここに来た時のこと」
リリィは三年前の事を思い返しているようだった。
現在よりずっとあどけない彼女の顔が、今でも簡単に浮かぶ。
メイコは、まだ大学を卒業したばかりだった。大卒なのに、どうして自営業のちっぽけな店を構えようなどと思ったのかは、今になって考えてみてもよく分からない。
就職活動で失敗続きで、半ばヤケを起こしていたのだ。卒業する最後の最後まで、どうしても就職出来なかったら、もう自分で店を開設してしまおうと開き直っていた。
そんなことがあって、今に至る。自営業の店を営んでいるということは、まぁそう言う事だ。
最後まで就職出来なかったわけだ。でも、別に後悔はしていない。
自営業というのは、自分の思うように営業ができる。そこが自営業の利点だ。
口うるさい上司もいない。取引先の会社に頭を下げる必要もない。いわゆるフリーダムというやつで、実際こっちの方が自分の性には合っている。
そういった事を考えれば、結果オーライだ。
開設まで多額の借金を要したが、それも順調に返済出来ている。
ようやくこの店も軌道に乗り始めたので、なんら問題はなかった。
「あれから私も、大人になったんですよね……いつまでも病んでたって、誰も助けてくれないですよね」
「そりゃそうさ。大人ってのはそういうもんだよ。でも、まだリリィちゃんは大人じゃないだろ。まだ高校生だ。親には、甘えられるうちに甘えときな。わがままも、言える時に言っておく。自分が子供であるうちにね。私でよければ、いつでも相談に乗るからさ」
「あ……ありがとうございます」
リリィはテーブルに置かれたミルクティーを啜った。芯から温まるような、程良い甘さが喉を包んだ。
熱すぎず、ぬるすぎない。絶妙な温かさのミルクティーをリリィはすぐに飲み干してしまった。
「あ、あの、お代わりしてもいいですか」
空になったティーカップをテーブルに置くと、リリィは、おずおずと尋ねた。
本来お代りは三杯目まで無料としているのだが、リリィはいつもお代りを頼まなかった。
『お代りって、なんだかタダで飲んでますって感じがして、悪いですから』というのが彼女の言い分だった。
その彼女が今日はお代りを頼んだ。ということは、これが彼女の甘えの形なのだろうか。
そうだとするならば、彼女には何杯だって出してあげてもいい。
メイコは満面の笑みを浮かべながら、「はいよ」と元気のいい声で言った。
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