1.
時計の針が5時ちょうどを差し、ようやく補習が終わった。
最後に宿題のプリントを山ほどくれて、先生が教室を出て行く。その足音が遠くへ消えて行ったのを確認してから、リンは力尽きたように机に突っ伏した。
「あ~、しんど……」
オーバーヒート気味の頭に、机のひんやりとした感覚が心地よい。リンはそのまま頭だけを動かし、ぼんやりと窓の外に目をやる。
外はすっかり夕焼けの光で赤く染まっていた。最近どんどん日が短くなってきている。秋は駆け足で過ぎ去り、もうすぐ冬になるんだ。
廊下側から足音が近づいてきた。
その足音の主は分かっているのでリンは振り返らない。予想に違わず音はこの教室の前で止まり、ガラリと扉が開いた。
「あ~……しんど。鏡音、終わったんでしょ? 帰ろ」
リンはまた首だけを動かして振り返る。長い髪の少女が、まるで自分の教室のごとく無遠慮に教室へ足を踏み入れて、こちらへ近づいて来るところだった。
学校では1コ上の先輩だが、仕事ではこっちが先輩という奇妙な間柄の同僚―――― リリィだ。
「ん~」
おざなりに返事をする。
でも動かない。
リリィは机の傍まで来ると、突っ伏しているリンを見下ろして小さく首を傾げた。
「なに、今日はずいぶんグロッキーじゃない。そんなに絞られたの?」
「補習自体は普通だったけど……」
説明するのも面倒くさくて、床に置いた鞄を指差す。
開きっぱなしの鞄には、先ほど宿題として渡されたプリントの束が無造作に突っ込まれていた。
「これはこれは。ご愁傷様」
リリィはさも愉快そうにニヤニヤするだけだった。薄情な同僚だ。
「そんなもん適当にパパッと書きゃ良いのよ。それより早く帰ろ、もう私腹減っちゃってさ」
「ん~」
返事だけはするものの、やっぱりリンは動かない。
覇気のない様子にリリィは少し表情を改め、わずかに腰をかがめて覗き込んできた。
「なん、マジで具合でも悪いの?」
「そうじゃないけど……な~んかさ、最近マンネリだなぁって思ってさ……」
リンは正直に今の心情を吐露してみた。
ボーカロイドとして活動している傍ら、学校の勉強もこなす。普通の子よりどうしても授業は遅れてしまうが、それはこうして特別に設けられた補習でカバーしている。
毎日が忙しく充実はしているものの、学校・仕事・寝るという生活パターンにそろそろ物足りなさを感じ始めているのも事実だった。
「体は忙しいけど、心は退屈って感じ。ぜいたくなこと言ってるのかも知れないけどさ」
「あ~、まあね」
程度の違いはあれ、同じような境遇であるリリィは曖昧に同意する。
「私もたまにだけど、普通の学校生活ってやつに憧れたりすることはあるね。部活とかさ」
「そうそう。補習の時さ、もしボーカロイドやってなかったら、私は今どうしてたんだろうって考えてたんだ」
断じて今の生活に不満があるわけではない。普通の生徒達から見れば、むしろ自分たちの方が夢の世界に生きる、羨むべき存在に見えているであろう事も理解はしている。
でも当事者としてはこれこそが日常であり、物足りないのが本音なのだ。
要するに刺激が欲しいのである。なにかこう、ルーティンな日常をひっくり返してくれるような事件が。
「なんか面白いこと無いかな~」
リンがぼやくと、リリィはまた始まった、といった調子でフウと息を吐いた。
「気持ちは分かるけどね。あんた今夜も仕事でしょ? 早く帰らないと、ごはん食いっぱぐれたら仕事キツいよ。それからこの宿題。なんならメイコさんの名言を私が言ったげようか」
「いいよ~。もう耳タコだから」
「口を動かさずに手を動かせ」
「あーもう。いいって言ったのに」
仕方なしにリンは身を起こした。
のろのろと帰り支度を整え、リリィと2人で教室を出る。
「あーあ。マジで何か面白いことないかなー」
「しつこいっての。そんな簡単に面白いことが現実世界に転がってるなら、ゲームも漫画もいらないっての」
「今夜あたり、ドカンとさー」
「リア充にでもなったら? ドカンと爆発できるよ」
ダラダラと取りとめもない事を話しながら、帰途へとついたのだった。
―――― まさかその夜、本当にドカンと事件が起こるなど、当然ながらこの時の2人には知る由もなかった。
・
・
・
・
今日の収録は7時からだった。
進行状況は極めて順調。今までの経験上、この分なら9時過ぎには終わるペースだ。
プロデューサーもご機嫌で、早めに休憩を取って一気にスパートをかけようという事になり、リンには早々の休憩が与えられた。
さて、どうしよう。取りあえず飲み物でも買ってくるかな。
そう思ってスタジオを出た瞬間だった。
「おのれ貴様、愚弄するかッ!!」
建物全体を震わせるような怒号が響き渡った。何事かと思い、リンは声のしたエントランスホールの方へ行ってみる。
エントランスホールは天井が5階まで吹き抜けになっており、リンがいるのは2階だった。手すりから見下ろすと階下に人だかりができており、その中心によく見知った男2人の姿があった。カイトとがくぽだ。
「バカにしちゃいないさ、事実を言ったまでだ。だって無理だろ? お前にはさ」
「その口ぶりが愚弄しておると言うのだ。鍛え鍛えし我が剣に、出来ぬことなどあるものか!」
エントランスホールの脇にはロビーがあり、そこには大画面のモニターが据え付けられている。
普段はこの本店―――― もといヴァルハラを経営する会社の概要や、ボーカロイドの最新PVなどが流れているのだが、今はなぜか昼メロが大音量で流れていた。
『さだ子!』
『今さら何よ!』
『すまん、俺が悪かった』
『バカ……寂しかった!』
前後の流れが全く分からないが、さだ子と旦那が仲直りしたらしい。なによりだ。
しかしそこへ何の脈絡もなく、着物姿の老女が登場する。
『いい気なものね。この泥棒猫』
『お母様……っ!』
継母の登場か。まさに昼メロの王道をゆく、ドロドロ展開の予感だ。
しかし取りあえず今は、さだ子の運命などどうでもいいのだ。
リンは手近な女性スタッフを捕まえて尋ねてみた。
「あの、どうしたんですかアレ?」
「リンちゃんじゃない、お疲れ様。それがね、あの旦那が優柔不断なせいで、さだ子がイケメンの一流エリート商社マンの誘惑に負けそうだったのよ。夫婦の愛に危機が」
「いやドラマじゃなくて、カイ兄ぃとがくぽさんの方です」
女性スタッフは少し残念そうにしながらも、いきさつを説明してくれた。
「1時間ほど前だったかしら。ルカさんがスタジオ入りしたから、がくぽさんは外で待っていたのよ。そしたらカイトさんが来てね、おもむろにDVDを取り出して、ロビーの大画面モニターで昼メロを見始めたの」
「はあ」
「がくぽさんは始めのうち無視してたんだけどね。カイトさんが何か話しかけて、それから2人で昼メロを観賞し始めたの」
「へえ」
「しばらくは何事もなかったんだけど、ふとカイトさんが何か言ってね。で、今の有様よ」
なるほど、さっぱり分からん。
せっかく説明してもらったが、話に脈絡がなさすぎる。なんでいきなり昼メロなのか、なんで2人で見始めたのか、そしてどうして喧嘩になったのか、事態の進行を推測することすら出来ない。
「あの、もうちょっと詳しく説明してもらえませんか? 私バカだから、よく分からなくって」
「詳しくって言われてもねえ。私は見たままを言っただけだし、それ以上のことは分からないわ。とにかくカイトさんが何か言って、それでがくぽさんが怒ったのよ」
「何て言ったんですか?」
「よく聞こえなかったけど、なんか浮気は男の甲斐性だとか、どうとか」
なんだそりゃ。
けっきょく事実関係はサッパリ分からず、ただ色々ツッコみたい衝動が湧き起こっただけだった。
そうこうしている間にも、カイトとがくぽはどんどんヒートアップして行く。
いや、正確にはヒートアップしているのはがくぽだけで、カイトは飄々として煽っているだけだ。
「いや普通に無理だって、お前には。素直に認めろよ」
「よかろう、そこまで言うのならば見せてくれるわ」
ついに業を煮やしたか、がくぽが高らかに宣言した。
「明日、俺が浮気をして見せようぞ! 我が大和魂、とくとその目に焼き付けるがよい!」
ザワッ……
エントランスホールがどよめいた。
「がくぽさんが浮気!?」
「ルカさんはどうなるんだ」
「破局よ、破局だわ」
そこかしこで主に女性スタッフや受付嬢たちが、携帯やスマホを忙しなく操作し始める。なぜだか妙にワクワクした様子で。
リンにとっても、これは衝撃の発言だった。あまりのことに、気持ちを落ち着けるため大急ぎで一旦その場を離れる。
そして人気のない非常階段の辺りまで来て、携帯を取り出した。
電話をかける相手はもちろんルカ―――― ではなく、リリィだった。
『ふぁ~い、もしもし~?』
だらけ切った声で相手が出る。
「もうっ、シャキッとしてよ! この非常時に」
『んん~? なんかテンション高いね~、鏡音。何か面白いことでも見つけたの?』
今にも安らかな眠りについてしまいそうな声で、のんびり尋ねてくるリリィに。
リンは息を吹き返したように元気いっぱいに答えるのだった。
「すっごい面白いことになった!」
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ご意見・ご感想
藍流
ご意見・ご感想
遅れましたがお邪魔します。出張お疲れ様です!
私的に今回は、グミさんに全部持っていかれましたw
胸倉掴んでがっくんがっくん揺さぶりながらの怒涛のツッコミ、好きです(笑)
泡噴いた挙句に夢オチにしようとするがくぽも、ナイスお約束ですね☆
相変わらず天然フェアリーなミクも可愛いです!
貴重な休日だというのに急な誘いも素直に喜べるとは、できた御人だわ。
お洗濯の歌も謎過ぎてステキでしたw 洗濯物は結局敵なの、武器なの……?w
そしてルカさんは次回に期待が……!
デレを見せてくれるのか、更なる波乱が待ち受けるのか?
浮気の相手がミクって事は青い人が魔物の如く大暴走したりもしそうで、いろんな意味でドキドキですw
次回も楽しみにお待ちしてますー!
2011/11/13 11:48:11
時給310円
たはー、レス遅れまして申し訳ありません! 今回もお読み頂きありがとうございます!
グミですねー。この子、ホント動かしやすいんですよねー。もういっそこの2人がくっつく話に路線変こu(ry
ミクを褒めて頂いてありがとうございます! これは嬉しい。可愛く書きたいんですけど、いつもイマイチ描き切れていない感じなので。次回こそはガッツリ行きたいと思ってますので、よろしくお願いします!
そしてルカとカイトですね。次回の話はこの2人をどう動かすかで、だいぶ変わってくると思います。ただいま構想を練っております、うまいことオチがつくように頑張ります!
それでは、重ねてありがとうございました! 次回もよろしくお願いしますっ!
2011/11/15 21:17:23
穂波
ご意見・ご感想
今回も面白かったです!
きっと「浮気」じゃなくて「不貞を働く」とかだったら通じたんでしょうね(笑)。残念!
さりげにグミを頼りにしているがくぽの内面が見られたり、つきあっているわけじゃないといいつつむかむかしているルカさんが見られたり(可愛いv)、さらには浮気の意味を誤解している(これが演技だったらそれはそれですごいですが…多分、天然かなぁ)ミクと、次回逢引本番が待ち遠しいです!
リン、リリィの尾行にも期待しています(笑)。
2011/11/13 00:59:41
時給310円
おお?、お読み頂きありがとうございます! お返事遅れまして申し訳ありません!
「不貞を働く」……おおぅ、なんか背徳感あふれる感じですな。やばい興奮しt(ry
ミクのあれが演技! その発想はなかった! いま何か新展開のヒントを得たような気がします、ありがとうございます!
色々と人間模様が入り乱れる逢い引き本番になりそうです。次回も頑張りますので、よろしければお付き合い下さい。
ではでは、ホントにありがとうございました!
2011/11/15 21:16:24
sunny_m
ご意見・ご感想
見事な浮気、とやらを次回は見せてくれますか!?がくぽさん(笑)
は~、笑いすぎて腹筋が痛いですwww
いつも思うのですが、どうやって笑いのネタを生み出しているのですか!?w
グミさんとガクポの掛け合いがいちいち面白くてどうしようって感じですwww
待て、おすわり!とか、グミさん素晴らしすぎる…www
ミクさんはその天然っぷりがもう、可愛い面白くてたまらないし…!!w
そうか、確かに浮かれた気分で浮気だわww
ルカさんの、デレがみれそうな予感ですね~!
鏡を見て自己嫌悪しちゃったルカさん。なんか可愛いです!!
美人さんがたまに見せる笑顔とかって、かなり美味しいのよ!ルカさん!!
それにしても。カイトさんにとって、ミクちゃんが浮気の相手になるとは大誤算に違いないw
続きを楽しみにしています!
2011/11/10 20:48:02
時給310円
レス遅れました、お許し下さい! 今回もコメ頂きありがとうございます!
笑って頂けたようで何よりです。ネタ出しについては……あれ、どうやってるのかな?
それはそれは筆舌に尽くし難い苦しみの果てに捻り出したりですね、ストーリーの中でネタを出すと言うより、むしろそのネタをやるためだけにストーリーを構築したりですね……。とにかく色々です!w
グミとがくぽにお誉めの言葉、ありがとうございます! ネタ出しに難儀するこのシリーズですが、なぜかこの2人の掛け合いだけは、妙にサクサク進んだりしますww
次回は前々から書きたかったミクの可愛さについて存分に、と思っておるのですが、ルカのリアクションの方が確かに重要ですね! 頑張らねば。リンとリリィもいますし、第三勢力のカイトについても……なかなか複雑な構成になりそうです。
次回も頑張ります、ありがとうございました!
2011/11/15 21:15:39
29
ご意見・ご感想
カイト兄さん、あんたなにやってんだよっ!?w
どうも29です。もう11月ですね。暑いのか寒いのかわかんなくて、ダウン寸前ですw自給さんもお気をつけて><
で、カイト君。これはもしや、ルカさんをヤキモキさせてかくかくしかじか作戦なのか?w
浮気相手がミクちゃんなのは絶対計算外だろうけどwww
しかし、浮気はなくて逢い引きはある、がくぽの辞書はどうなってるのか不思議です。古風ですな。がくぽっぽいです。
逆に一人称が俺なのにドッキリしたwこれがギャップ萌え!…萌え?
あと、リンちゃんとグミちゃんの違いがいい味だしてる!どっちもキャピキャピ(死語)しててかわいいです。うひひ。
次回のルカさんデレフラグとフェアリーミクの活躍にwktkです!!
ところで、20代前半なんです。すいません、社会経験があんまりないから失礼があったのかもしれないです。うっかり見た目が大人、頭脳は子供な成人なんです。
目に余るところがあったら良かったらご指導下さい。
…というか思い至ったことがあって、この前ピアプロからのメッセージ受け取り機能を把握しまして、もし携帯で受けてらっしゃったら、深夜にメッセージを書き込んでしまった記憶がものすごくありまして…リポDで頑張ってる自給さんを起こしてる可能性に気付きました…orz
すいません。深夜に起こしてたら本当にごめんなさい。
なんか既に長くてウザイ感じに仕上がってしまいました…。
感想書けなくなっても草葉の陰から付いていき(ry
2011/11/10 15:39:40
時給310円
どうもです29manさん。せっかく早々にコメ頂いたのに、レス遅れて申し訳ありません。出張行ってました!
そうですねー、浮気を煽ったはいいけど、相手がミクになってしまったのはカイトにとって完全に計算外でしょうねーw
リンとグミにお誉めの言葉ありがとうございます! リンについては今回いまいちキャラを描き切れなかった感があるのですが(次回がんばります!)、グミについては今回も僕自身、書いてて楽しかったです!w ホント動かしやすいわー、この子。
次回はミクについて、もっと掘り下げたいですね! ただいま構想を練っているところでございますよ、よろしくお願いします。
ところで、ピアプロのメッセージ受け取り機能の件ですけど。
ぜんぜん問題なしです。深夜に鳴ったかも知れませんが、僕はグースカ寝てましたww
29さんに何か迷惑被った記憶なんて1つも無いですよー。なので、これからもどうぞ変わらぬお付き合い、よろしくお願いします!
2011/11/15 21:13:39