湯気が星のない夜空へと消えてゆく、午後十時。
白羽(しらは)家のメイドの長(おさ)である鈴木志穂(すずきしほ)二十二歳は、露天風呂に浸かりながら自分の豊かな胸を両腕で隠した。
「私としたことが・・・・、忘れていましたわ」
うつむいて零(こぼ)すその言葉は、細身で筋肉質の男に向けられている。
「これはこれはメイド長殿。奇遇ですなぁ」
男は軽く一瞥(いちべつ)し気にする様子もなく、洗い場の椅子に座り背を向けた。
「ちょっと、出てって下さらない!? 女性が先に入っていたらお風呂に入ってこないか、出て行くかするのが普通でしょう」
「今は男湯の時間ですぞ、メイド長どの。ご存知ではなかったか?」
男は志穂を見ずにそのまま体を洗い続ける。
ここ、白羽家の使用人用浴場は一つしかないため、時間帯で男風呂と女風呂を分けている。とはいえ、数年のあいだ執事はジィと呼ばれる老紳士のみだったので、このような「事故」は起きていなかったのだ。
「あなた、今日からお嬢様の専属執事になった、黒鉄(くろがね)・・・・・・法隆(のりたか)って言ったかしら?」
「ダーク・ホウリュウとお呼びください」
「・・・・・・はっ?」
いま何か変な言葉を聞いたような。ダーク、ホウリュウ? そうゆうのが今の流行? いえいえそれはないわ。この感じは、お嬢様のアレにそっくり。そういえば彼の面接ってお嬢様がやっていたような。でも、一応ジィもお嬢様といっしょにいたハズだし。でも、まさか、もしかして、お嬢様の言うがままに採用した、なんてこと・・・・・・。
ダーク・ホウリュウは頭から湯をかぶって泡を洗い流し立ち上がると、平然として志穂のいる湯船へと歩いてくる。しかも、まるで同性を相手にしているかのように、彼自身のダークな部分はまったくのノーガードである。
「え? なっ! ちょっと、やだ!」
志穂は慌てて波を立てて移動し、躊躇なく湯に浸かるホウリュウから距離を取る。
今は三月。夜の冷気のおかげで、湯けむりは多い。
何なのこの子! 年は十八って聞いたけど、常識がないにもほどがあるわ。何よりも私を女として意識してないのが、ああ、もう、ホントに、もう! 私だってまだ二十二なんだから! まだピチピチ、とは、ちょっと、い、言えなくもないんだから!
志穂は湯のなかで拳を作ったあと、溜め息をついた。
気を取り直して。
「あなたの面接の時って、もしかしてお嬢様が相手だったのかしら」
「第六宇宙ガイアの姫御子(ひめみこ)と私は、もともと主従の関係だ。この出会いも数多(あまた)ある宇宙意思の一つによって決まっていた。その証拠に、俺の言葉一つで姫は俺を採用した」
星のない夜空を見上げそう言った後、タオルをきれいにたたんで自分の頭に乗せた。
「そ、そうなの? ななんて、言ったのかしら?」
志穂の声が裏返る。
「俺は片ひざを付き姫の目をまっすぐに見つめ、『無限と思われる転生を繰り返し、今日再び、姫に相見(あいまみ)えることができました。日頃の雑用から王家の復興までなんなりとお申し付けください』と言った」
一秒で追い出してるわ私がいたら! ああでも、もう採用は決まってしまったし。
志穂はできるだけ平静を装い、続ける。
「ふ、ふぅーん・・・・・・。それで、お嬢様の反応はどんなだったのかしら」
「始めはうつむいておられた。今までの数万年の時を振り返り、涙をこらえられていたのかもしれない。やがて顔を上げると震える手で私を指差し、『採用!』と叫んだ。その瞳には大いなる喜びと決意が宿っていた」
ダメだわこの子早くなんとかしないと。こんなのがお嬢様の専属になったら、病気がますますひどくなっちゃう。あのチューニ病が。少しでも彼の近くにいる時間を減らさなくちゃ。
でも、どうすれば・・・・・・。
「の・・・・・メ・・長ど・・・メイド長殿!」
志穂が大きく瞬きをする。
「え、何?」
「急に黙り込まれてどうなされた。湯にあてられたか?」
「そ、そうね。ちょっと長く浸かりすぎたわ」
これは早く旦那様にお願いしなければ。もうこの方法しかない。これ以上、お嬢様の病気を重くするわけにはいかない。
「ねえ」
「なにかな?」
「私、もうお風呂から上がりたいの」
「ん。・・・・・・それで?」
「だ、か、ら、向こうを向いていてくださらない?」
「いや、俺はメイド長殿の裸体など気にせんぞ? なんなら見ても構わん」
”見ても構わん”の言葉が志穂の頭のなかで繰り返される。志穂は再び湯のなかで拳を作った。
「私がイヤなの。見られたくないの。分からないかしら」
顔はひきつっているのだが、濃い湯気のせいでホウリュウからは見えない。
「なぜイヤなのだ? メイド長殿の裸体が醜いとは思えんが。もしや、過去の大戦の傷跡でも残っているのか? それならなおさら気にすることはない。名誉あることではないか。激しい戦いを生き抜いてきた証を隠す必要などありぶっ・・・・」
大量の湯を志穂はホウリュウに浴びせ目眩ましとし、
「ハッ!」
思い切り顔面に正拳を入れた。ひどく鈍い音が、夜空へと逃げて行く。
志穂は呼吸を整え、
「言ってなかったけど私、学生のころ空手やってたの。こんなところで役に立つとは思わなかったわ」
鼻血を出して伸びているホウリュウに言い捨てる。
「あと、私もお嬢様の専属にさせていただくよう、旦那様にお願いしておきます。あなたみたいな人だけを専属にしていたら、白羽家の名が落ちますもの」
志穂は颯爽と湯から上がり、脱衣場へと向かった。
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